32 恐怖のお手紙
夜会を終えて平穏に戻った魔法宮で、アリシアはお掃除しながら少しずつ本を読んだり、美味しいご飯を食べたりして、平和な日々を過ごした。
夜会の日に会った継母と義妹のキャロルの件は、ベルがブローチを取り返してくれたのもあって、アリシアの頭の中からすっかりと忘れ去られていた。
(継母が何か不気味な事を言ってた気がしたけど、はて……)
などと呆けているうちに、アリシアの目前に突然、現実がやって来た。
アリシアは今、絶句して立ち竦んでいる。
自分の手に渡された、エレガントな封筒を前に……。
「あの、アリシアさん? どうしました?」
ディアナがアリシア宛に届いた手紙を宮廷から持って来てくれたのだが、その差出人の名を見て、アリシアは固まってしまったのだ。
「ドリス・エアリー」
……継母からの手紙だった。
アリシアはぎこちない笑顔を作って、ディアナに微笑んだ。
「ありがとう。じ、実家からだわ……」
開けようとした封は、既に開いていた。
「ごめんなさい。王宮と魔法宮に届く手紙は、一部を除いて検閲が入るの」
ディアナの説明にアリシアは笑顔で頷いて、ティアナが去った後、封筒の中を改めて開けた。
幸いバルトロメウスは仕事に出ていて、エレンとベルは自室で勉強している。アリシアは誰も見ていないこの隙に、手紙の中を読んだ。
内容は気取った筆跡で、簡素に書かれていた。
要約すると、このような内容だ。
愛しのアリシア・エアリーへ
嬉しいお知らせがあります。
○月○日に宮廷でお茶会を開きますので、
ぜひ貴方も参加してください。
ドリス・エアリーより
アリシアは手紙を読みながら、夜会で継母に言われた言葉を思い出した。
『きっと近々、貴方にも良い知らせが来るわ』
継母が予告する 「良い知らせ」でアリシアは今まで嬉しかった覚えがないので、嫌な予感しかなかった。
しかも、宮廷で継母がお茶会を開いて、それに自分を招待するだなんて……。継母が宮廷に出入りできるようになったのは、あの夜会で会った子爵が仲介しているのだろう。継母が子爵を利用しているのか、それとも、伯爵家の名を子爵に利用されているのか……アリシアの不安は幾つも重なった。
どちらにせよ、自分を虐げる者が自分の居場所にじわじわと浸食してくる恐怖に、アリシアは怯えた。
以前から金と権力に執着している継母は、愛娘のキャロルを名家に嫁がせる野心を抱えている。伝手を得て、宮廷内での婿探しに本腰を入れたのかもしれない。
「おぉ……うわぁ……」
アリシアは鬩ぎ合う不安が心の限界値を超えて、目眩を覚えた。テーブルの上に両手を付いて項垂れ、嫌な想像が次から次へと浮かぶ苦行に耐えた。体が重い。
「アリシアさん?」
重い空気の中に清涼感のある声が聞こえて、アリシアはテーブルから顔を上げた。エレンが勉強を終えて、自室からリビングに戻ってきていた。
「エレン君……」
項垂れたままのアリシアは元気を装う余裕がなく、せめてこっそりと、手にしていた手紙をエプロンのポケットに突っ込んだ。
「どうしたんです? 元気が無いようですが」
「え? う、うん。天気が悪いなぁって」
「快晴ですが?」
「……」
上辺の取り繕いが通用しないエレンに、アリシアはありのままを伝えた。
「宮廷のお茶会にね、誘われたの……」
エレンは訝しげに首を傾げた。
「誰が主催するお茶会ですか?」
速攻のツッコミに、アリシアは喉が詰まった。
「えっと、私の継母の……」
「そうですか。では、護衛として僕がそのお茶会に同行します」
エレンの予想外の返答にアリシアは驚いて、突っ伏していたテーブルからずり落ちた。
「エレン君が護衛で!? それはちょっと大袈裟だよ!」
「アリシアさんとご家族の間では、ブローチを巡ってトラブルがあったようなので」
「あぁ……あれはベルくんが取っただなんて、義妹も継母も気づいてないよ。きっと、あの魔物の騒動で紛失したと思ってるはず」
アリシアは精一杯の笑顔を作った。
「手紙には、良いお知らせがあるって書いてあったの。義妹に婚約者ができたのかもね。私は一応伯爵家の長女だから、お祝いの席に参加しないと」
「お祝いなら良いですが、万が一の事を考えて、やはり僕が護衛に付きます」
「いやいやいや、大丈夫だって!」
アリシアが必死の形相で護衛を止めるので、エレンは口を噤み、返答を変えた。
「わかりました。では、お茶会の件はバルトロメウス様にもお知らせください」
「う、うん。それは勿論、伝えるよ」
エレンが自室に戻り、アリシアは再びテーブルに伏せた。
今度はバルトロメウスが同行すると言い出したらどうしよう、とアリシアは不安になった。あの夜会で義妹にベルを会わせてしまったのは偶然だったが、これ以上、魔法宮の方々に自分の残念な家族や内情を知られるのは耐え難かった。
「これって見栄なのかな。自分が虐げられていた過去を知られるのは、恥ずかしくて……辛い」
アリシアは胸に飾っているブローチをそっと握りしめた。
「大丈夫。これまで何年もあの継母と渡り合って来たんだもの。お茶会くらい、どうって事ないよ」
自分に言い聞かせて、上半身だけマッスルポーズを決めてみせた。




