30 気持ちいい寝床
アリシアはハタキとホウキを使って、猛烈に書斎の魔を祓った。
「本はそのままに」というリクエスト通り、床の本を跨ぎ、避けながら掃除をしていった。時折ガニ股の酷い格好だが、掃除に集中しているので、それどころではない。
背の高い体を小さく屈めて、書斎の端に座るバルトロメウスはそれを楽しそうに見学している。
「お~。気持ちいいほど綺麗になっていくね~」
大きな窓から爽やかに風が入って来て、揺れるカーテンがお日様で光っている。室内にあった大量の黒い煤は風に乗って、煌めきながら消えていった。
アリシアは大掃除にテンションが上がって、最後に優雅なポーズを決めた。
バルトロメウスはパチパチと拍手をして、立ち上がった。
「お見事。ところで、いつも決めてるそのポーズは何?」
「あ、これは癖っていうか……おまじないみたいな物です」
「へえ、おまじないか。いいね」
いつも無意識でするポーズを指摘されて、アリシアは恥ずかしいので澄まし顔で誤魔化した。
書斎の中は黒い煤が綺麗に無くなって、本だらけの部屋は視界が明るくなった。
アリシアは改めて、開いている本や、積み上がっている本に目を落とした。一体何を読んでいるのか、気になっていた。
「わあ……複雑な模様。これは魔法陣? 呪文だらけの本に、薬物の辞書……」
魔術師らしい本の内容に、アリシアは興味津々で眺めた。だが小難しい本に紛れて、様々な物語や童話がある。中には「世界のかわいい動物」と、ほんわかしたタイトルの物もあった。
アリシアが動物の本を手に取って開くと、ずんぐりとしたモフモフの小動物がいきなり登場した。
「わ~、可愛い! 手足短か……目がまん丸!」
アリシアが可愛い動物に夢中になっていると、いつの間にか真後ろにバルトロメウスが立っていた。突然の近距離にアリシアはビクッと肩を揺らしてしまったが、バルトロメウスは無邪気に動物の絵を指した。
「これ、可愛いよなぁ。こんなモフモフした奴と一緒に暮らしたら、楽しいだろうなぁ」
「バルトロメウス様は動物が好きなんですね」
「うん。俺は可愛いものが好きだ」
耽美なお顔から発せられる意外な趣向に、アリシアは笑ってしまった。言われてみればバルトロメウスはベルを猫可愛がりしているし、よく「可愛い、可愛い」と喜んでいる。
「魔術書ばかりかと思っていたら、あらゆるジャンルの本を読むのですね」
「難しい本を読んでいると疲れちゃうからな。合間に可愛いものとか美しいものを見て、心を和ませてるんだ」
「なるほど……」
光線を撃って魔物を爆発させる人物とは思えない読書法だった。
アリシアはふと、本の山の中に同じ単語が並んでいるのを見つけた。
「モルガナイト国の歴史」
「モルガナイト 魔法の奇跡」
「自然と暮らす モルガナイトの文化」
アリシアはバルトロメウスを見上げた。
「モルガナイトって、どこにある国ですか?」
「ここから南側の内陸にあった国で……多分、アリシアの祖国だと思う」
「え!?」
まさかの回答に、アリシアは本を二度見した。
確かに、バルトロメウスから借りた本にはいくつかの国が記されていて、そのうちのひとつに「モルガナイト国」があった。
知らなかった出身国の答えを得て、アリシアは自分を形作るピースが一個、見つかったような気持ちになった。
「こんなに沢山の本で……私のルーツを調べてくださったんですね」
「うん。祖国を知りたいだろうと思ってね」
その言葉には、ほんの少し憂いのニュアンスがあって、アリシアはバルトロメウスが自分を心配しているとわかった。
祖国の歴史を知って、またショックを受けないか気遣っているのだろう。アリシアは手に取った「モルガナイト国」の本をそっと机に戻して、笑顔でバルトロメウスを見上げた。
「私、これから順番に、少しずつ学んでいこうと思っています。私は本を読むのがとても遅いので……だから学べる準備ができたら、その時は私に祖国のことを教えてもらえますか?」
「ああ。勿論だよ」
バルトロメウスが笑顔になったので、アリシアも元気良く書斎を出て、問題のベッドルームに向かった。
「よし、寝室もお掃除しちゃいましょう!」
寝室の魔も徹底的に祓ったが、アリシアはいまいちスッキリしなかった。ベッドが本に埋もれたままだからだ。
「うーん。ベッドの上だけでも本を片付けて、快適に眠れるようにしましょうよ」
「今でも充分快適だよ。こうやって手を伸ばせばすぐ本が取れるし、こっちに伸ばせばこっちのも取れるし」
アリシアはしょうもない言い訳をするバルトロメウスを、キリッと睨み上げた。
「ダメです! 寝床は睡眠の質に大切なんですよ! 私だって酷いベッドで寝てた頃は、体が痛くて疲れが取れませんでしたから。宮廷魔術師様ともあろうお方が、疲れを残してどうするんですか!」
実体験を伴った正論の勢いに、バルトロメウスは仰け反った。
アリシアはベッドの上を侵食している本を容赦無く片付けだして、反論を諦めたバルトロメウスは黙って見守った。
占拠していた本が無くなったキングサイズのベッドは、広々としたスペースに生まれ変わった。
真っ白なシーツを太陽光で輝かせているベッドを、バルトロメウスは目を丸くして見渡した。
「おお! こんなに広かったっけ?」
「ほら、寝てみてください! ど真ん中に大の字で!」
バルトロメウスは言う通りにベッドの上に乗ると、大の字に寝た。
「おお、体が伸びる……魔も祓われて快適だ……」
「ね? ちゃんとした寝床は気持ちいいでしょう? これでぐっすり眠れて、疲れも取れますよ」
「うん……」
アリシアが大の字になっているバルトロメウスを覗き込むと、長い睫毛の瞳を閉じて、気持ちよさそうに……眠っているようだった。
「え? 眠っちゃった?……バルトロメウス様?」
返事の代わりに、「スー、スー」と静かな寝息が返ってきた。完全に眠ってしまったようだ。
寝転がっただけで速攻で眠ってしまうとは、今までどれだけ窮屈な寝方をしていたのだろか。
と、アリシアは呆れながらも、滅多に見られないバルトロメウスの平和な寝顔に見入っていた。
外面の魔術師の顔は特にミステリアスで知的な印象だが、眠ると途端に柔らかな表情で、いつもより可愛らしい。
アリシアは乱れているバルトロメウスの髪を少し整えると、お腹が冷えないように布団をかけて、ベッドサイドに積まれた本を手に取った。表紙には桃のような絵が描いてある。
「モルガナイトの果物。これなら読んでも楽しそう」
アリシアは果物図鑑を開いた。そこには見た事のない果物がズラリと載っていたので、どんな味なのだろうと想像しながら、アリシアは夢中でページを捲った。
綺麗になったベッドには爽やかな風が届いて、ポカポカと温かい日が射している。静かに眠るバルトロメウスの横に腰を掛けて、アリシアは心地良い読書の時間を楽しんだ。




