22 何もない空
「えええ!? ひあああ~~!!」
アリシアはこれまでの人生で、一番大きな悲鳴を上げた。
先ほどまで魔法宮のリビングで会議をしていたはずだったが、バルトロメウスが杖を掲げ、円形の光が満ちた瞬間に、景色は一変していた。
「そ、空! 空中~!?」
周囲は青一色の空の中、遥か下には緑の芝生が広がり、魔法宮の屋根が丸ごと見渡せるほど、アリシアは高い空の上にいた。
地上よりも風が強く吹いていて、アリシアのスカートも髪も舞い上がっていた。
「落ち着いて。決して落下はしない」
頼もしい声が真横から聞こえて、アリシアは隣を見上げた。自分の肩を抱いて支えるバルトロメウスが、間近にいる。風で髪とローブを靡かせながら、太陽光で装飾を輝かせて。アリシアはこんな時なのに、美しい様に魅入ってしまった。
「ででで、でも、浮いています!!」
アリシアとバルトロメウスの足元には、円形の光が煌めいている。きっとこれが空中で体重を支える面になっているのだろう。だが、しっかりと足場があるというよりも、バルトロメウスが浮かせているような感覚の方が強く、アリシアの踏ん張れない足は置き場を求めて、バタバタと泳いでしまう。
「いいかい? もう一度移動するよ?」
「えっ?」
ヒュッと風を切る音がして、光が満ちたのと同時に、また景色が変わった。今度は王宮の端にある森の上だ。眼下には濃い緑の木々が広がり、森から飛び立つ鳥達が横を掠めていった。
「ひっ、ひえーーっ!」
叫びつつも、遠く前方に輝かしい青い屋根の王宮を確認した。パニックの中でも「綺麗な景色」という感動が同時にあるのは不思議だった。
「アリシア。これは瞬間移動の魔法だ。こうして12の塔を移動しながら、魔物を迎え撃つ」
「ななな、なるほど!」
「空中に留まる魔力を節約する為に、塔の屋上を足場に使うのだ」
「わ、わかりましたっ」
余裕が無くて手短な返事をするアリシアを、バルトロメウスは「あはは」と笑った。そしてゆっくりと景色を見回した。
「うーん、いい天気だな。風が気持ち良いね」
「は、はいぃ……」
確かに涼しい風が心地よく、太陽が温かい。アリシアは少しずつ、その心地良さを享受する気持ちが出てきた。
「空はとても静かだ。喧噪も噂も無い。あるのは自然だけ」
「……そうですね……」
アリシアは足をバタバタせずに、深呼吸をした。
落ち着きを取り戻したアリシアに、バルトロメウスは微笑んだ。
「あの嫌味なクソボケじじいの顔も無いしな。最高だ」
アリシアは王宮で出会った、あの冷酷そうな教皇を思い出して噴き出した。
「バルトロメウス様は見かけによらず口が悪いです! あははっ!」
「わはははっ」
互いに笑って、次の瞬間には光が満ちて、アリシアはリビングに戻っていた。
突然、エレンとベルと、室内の景色が戻ってきた。
アリシアはいきなり本物の地面に足を付けて、ガクッと腰を抜かした。「おっと」とバルトロメウスが支えた。
「ちょ、ちょっと! いきなり戻らないでください!!」
アリシアの抗議にバルトロメウスは笑っている。
「ごめんごめん。だけど、この感覚に慣れて欲しいんだ。いつかアリシアも、こうして瞬間移動に付き合わざるを得ない状況があるかもしれない」
アリシアはグシャグシャの髪で涙目になりながら頷いた。
「は、はい……がんばります……」
♢ ♢ ♢
夜会当日の配置はこうだった。
まず、バルトロメウスは夜会のダンスで、お姫様や貴族の令嬢達を相手に踊る。
「え?」
とアリシアは、初手の段階で疑問を呈した。
「魔物の襲撃に備えるのに、何故にダンスを?」
バルトロメウスの代わりに、エレンが応えた。
「上流社会において、ダンスのお相手をするのは常識なので。文化的な貴族の人間であると証明する為です」
バルトロメウスが加えた。
「魔物が現れない限り、俺は立場上、夜会に参加せねばならない。異国の要人を招待し、錚々たる貴族達を招待する以上、「魔物は来ませんよ」と安心させるのが建前だからだ」
アリシアはなんだか人任せで見栄っ張りな主催者側の理屈にモヤモヤしたが、理解して頷いた。
「その間、アリシアはエレンとベルと一緒にいて欲しい。もしも魔物の魔力を察知した時には、俺とエレンは塔の屋上に瞬間移動する」
「わ、私とベル君は!?」
「ベル君を抱っこして待っててくれ」
アリシアは拍子抜けした。
「えええ? それだけ!?」
笑顔で頷くバルトロメウスの隣で、エレンが付け加えた。
「万が一、先生か僕が怪我を負った時、どちらかがベルの元へ移動します。その時はベルが全力で治癒できるよう、魔祓いをお願いします」
やっと任務らしさが出て来たが、アリシアは「怪我」というワードに顔を引きつらせた。
バルトロメウスは軽いノリで牽制した。
「怪我なんて滅多にしないから、安心してくれ。エレンが転んで膝を擦り剥かなければな」
「僕は転びませんよ!」
エレンがムキになって、夜会の警備の会議は終了した。
アリシアは最初から最後まで特に役割は無さそうだが、夜会に魔物が集まる可能性を考えると、とても楽しめる気持ちにはなれなかった。
つん、とスカートが引っ張られたので見下ろすと、ベルが掴んでいた。
「ぼく、アリシアとおどる~」
「うん、私もベル君と踊りたいよ!」
朝から空を飛んで恐怖して、情緒を乱されまくったアリシアの心が、やっと和んでいた。




