20 悪夢の事実
「だれもいなかったの~」
ベルはお昼寝から起きて、誰もいない魔法宮で徘徊していたようで、タオルケットを引きずったままアリシアに抱きついた。
「ごめんね、ベル君。ちょっとお出かけしてたの」
「アリシア~」
甘えるベルを、アリシアは思わず強く抱きしめた。
先ほどエレンから聞いた残酷な歴史は、アリシアの心を酷く沈ませていた。
熱の入る抱擁に「?」顔のベルを抱きしめながら後ろを振り返ると、エレンは俯いていた。
「エレン君。私はもう大丈夫よ」
アリシアが強がって笑顔を見せると、エレンは首を振った。
「僕のせいでアリシアさんを泣かせてしまった……」
小声の反省に、アリシアは立ち上がってエレンに近づき、エレンの手を両手で握った。
「私に歴史の真実を教えてくれてありがとう。今までずっと疑問だった数々の理由がハッキリとわかって、ショックだけど納得ができたの。私、これからもっと勉強して、この世界をちゃんと知りたいと思ったよ」
「アリシアさん……」
アリシアの言葉は本心だった。
アリシアが伯爵家にいた頃、家庭教師から勉強を教わったのは12歳までで、それ以降は本を読むのもままならない生活だった。しかも父が敬虔な教会の信者だったので、きっと教わっていた教育も教団の言い分に偏った歴史だったのだろう。
アリシアは自分の、そして母のルーツや先祖が辿った運命を知りたいと、心から願っていた。
♢ ♢ ♢
その日の夜、バルトロメウスは帰らなかった。
アリシアはバルトロメウスに歴史について話が聞きたかったので、眠れないままずっとベッドの中で主の帰りを待った。
リビングの天井から吊るされた幾何学のオブジェがシャラン、と幾度か鳴った深夜に。
そっとリビングのドアが開く音がした。ようやくバルトロメウスが魔法宮に帰って来たようだった。
アリシアはパジャマワンピースにローブを羽織って、ルームシューズを履いてリビングを覗いた。
だが、バルトロメウスはテーブルに仕事の書類を残したまま、いなくなっていた。
「バルトロメウス様……?」
アリシアが魔法宮の中でバルトロメウスを探していると、半開きになったドアから灯りが漏れている部屋を見つけた。
アリシアはそっとドアに近づいて、小さくノックをして覗いた。
部屋の中は書庫のようで、バルトロメウスは魔術師の仕事着のまま、梯子に腰を掛けて本を開いていた。
暖色の灯りが黒髪や宙色の瞳を彩って、まるで絵画のように美しい光景だった。
「アリシア? こんなに遅くにどうした?」
「あの……バルトロメウス様とお話がしたくて」
バルトロメウスは本を閉じると、アリシアを書庫の中に入れてドアを閉めた。
アリシアはエレンから聞いた歴史について、バルトロメウスに伝えた。そして無知だった自分を恥じ、これから学びたいという意思も同時に伝えた。
「そうか。だけどアリシアだけじゃない。この王国の殆どの国民が、この悲惨な歴史を知らないよ。教会が国民の教育を仕切っているからね」
「そうなんですね……何故、過ちを認めずに嘘を吐き続けるのでしょうか?」
「そりゃあ、間違ってたなんて認めたら、権威が失墜するからな。尊敬されるべき自分達が、無知と残虐者のレッテルを貼られるなんて耐えられないんだろう」
アリシアは悔しさで唇を噛んだ。
バルトロメウスは微笑んで、本棚の一部を指した。
「歴史の本ならここに沢山ある。教会の息吹がかかっていない、小国の生存者が記した書もね」
アリシアはその棚に近づいて眺め、顔を上げるとバルトロメウスの顔が間近にあって、宙色の瞳と目が合った。ドキリとするアリシアに、バルトロメウスは感情が読めない口調で呟いた。
「可愛い女の子はこんな悲惨な歴史を知らなくていいよ」
「えっ……」
アリシアが戸惑うと、バルトロメウスはいつもの意地悪顔でニヤリと笑った。
「なーんてね。そう言いたいところだけど……」
バルトロメウスは一冊の本を棚から取り出して、アリシアに渡した。
「知識は糧だ。まずはこれを読みなさい」
上司らしい口調のお勧めに、アリシアは緊張して本を受け取って、胸に抱きしめた。
そしてアリシアは自分がずっと気になっていた事……エレンには聞けなかった疑問を、バルトロメウスに尋ねた。
「あの……私は気分が落ち込んだ時に、変な夢を見るんです」
「へえ。どんな?」
「どこかの塔の上で……子供達が縛られていて。一人ずつ、魔物が齧るんです。それで最後には私も食べられて……とてもリアルな夢で怖くて」
アリシアは夢を思い出して身震いすると、バルトロメウスを見上げた。
するとバルトロメウスは、軽いノリだった空気を一変させて、驚きで目を見開いていた。そしてその空気を誤魔化すように、考えるふりをして顎に手を当てて目を逸らした。
「うん……それはもしかしたら、アリシアの先祖か同胞の、昔の記憶かもしれないね」
アリシアは背筋を凍らせた。
「あの残酷な夢は、現実にあった事なんですか!?」
バルトロメウスは「は~」と溜息を吐いた。
「アリシア。これ以上怖い話をしたら眠れなくなるし、怖い夢を見てしまうよ」
「で、でも、教えてください! 知識は糧ですよね!?」
バルトロメウスは自分の言葉が藪蛇になって、顔を顰めた。アリシアの毅然とした強い意志に、諦めたように言葉を選んで話した。
「昔は魔力を持つ紫の瞳が魔物を呼ぶと信じられていたから……その色の瞳を持つ子供達が、魔物の生贄になった時代があったんだ」
アリシアは自ら強く答えを要求しておきながら、明かされた無惨な史実に、視界が回って腰が崩れた。バルトロメウスは咄嗟にアリシアを支えて、目眩で揺れる頭を自分の胸に寄せた。
「だから言っただろう? 急に詰め込みすぎだ。知識が糧になる前に、心が追いつかない。少しずつ学ぶんだ」
アリシアは喉が震えて、声が出せなかった。
あんな恐ろしい夢が、現実の出来事だっただなんて。しかもあの子供達は、自分の先祖や同胞だったのかもしれないなんて……とても飲み込む事ができなかった。
「よしよし、今日は特別だ」
バルトロメウスはアリシアをそのまま抱き上げると、いつもベルにそうするように、抱っこしたまま廊下を歩いた。
「わっ、私、歩けますっ」
涙と鼻水にまみれながら慌てて降りようとするアリシアを、バルトロメウスは笑って運んだ。
「あはは。無理だよ、腰が抜けてるじゃないか」
仰る通り、アリシアの腰も脚もグニャグニャになったみたいに力が入らなかった。情けなさと恥ずかしさでアリシアは抵抗をやめて、大人しく運ばれた。バルトロメウスの逞しい胸は温かく、やはり高貴な良い香りがする。頭が爆発しそうに紅潮しているのに、身体は安堵に包まれていた。早く部屋に着いてほしいような、いつまでもここにいたいような、複雑な気持ちだった。
バルトロメウスはアリシアの部屋に入りベッドにアリシアを下ろすと、ウィンクをして指を自分の唇に当て、アリシアの額に当てた。
「可愛い子が穏やかに眠れる魔法を掛けた。ぐっすり眠るんだよ」
アリシアはドキドキしながらも、気持ちが不思議と落ち着いていくのがわかった。きっとバルトロメウスは、自分が育成する小さな魔術師の卵たちに、こんな風に愛情を込めて接しているのだろうと考える。
バルトロメウスは「おやすみ」と言い残すと、静かにアリシアの部屋のドアを閉めた。
(私もきっと、子供扱いされてる。でも、それでも嬉しい……)
アリシアはそっと目蓋を閉じた。




