10 木箱の中の悲鳴
「ひゃっほ~!」
アリシアはつい歓声を上げてしまって、口を塞いだ。
お昼の後、お弟子さん達は各自のお部屋でお勉強の時間になった。
アリシアは自分のために用意された部屋に案内されて、豪華なベッドのふわふわを一人で堪能していた。
豪華なのはベッドだけではない。明かりがよく入る大きな窓に、綺麗なカーテンが映える真っ白な壁。お洒落な猫足のテーブルに、なんとドレッサーまであるのだ。
引き出しに化粧品は入っていないし、大きなクローゼットにはメイド服しか入っていないが、エーレンフリート曰く、アリシアの異動は急に決まったので、日用品の調達が間に合っていないのだという。
「いやあ、充分ですよ。贅沢すぎますって」
アリシアは真顔でドレッサーの鏡を見つめた。鏡の前にはブラシと香油だけが置いてある。ディアナが間に合わせてくれたのだろうか。
ジャスミンの香りがする上等な香油とブラシを使って、髪を解いてみた。うっとりするほど気持ちがいい。
「ごめんね。ずっと手入れもしてあげられなくて。気持ちいいねえ」
自分の頭皮と会話する危ない人のようだが、アリシアは大真面目に労った。
アリシアが多感な思春期の頃に伯爵家にやって来た継母は、アリシアが乙女らしく粧すのを毛嫌いした。「いやらしい」と言っては鏡やブラシや、身嗜みを整える物すべてを取り上げられた。血の繋がらない他人の娘が、愛娘よりもずっと劣っていてほしいという、継母の願望だったのかもしれない。
悔しい気持ちで鬱々としたので、アリシアは立ち上がってブラシを掲げ、優雅なポーズを取った。
「ブラシさん、ありがとう。頭皮さん、どういたしまして」
声色を変えて対話をしていると、クスクスと笑う声が聞こえた。
ドアが少し開いていて、そこからベルノルトが覗いていた。アリシアが慌ててブラシを背中に隠して照れ笑いをすると、エーレンフリートが後ろからベルノルトを抱えて引き剥がし、ドアを閉めた。
「こら、ベル! 女性の部屋のドアを勝手に開けちゃダメだ!」
「だって、ぼく、おべんきょおわったもん。アリシアとあいたいもん」
可愛い会話がドアの向こうから聞こえて、アリシアは尊さでどうかなりそうなほど悶えた。すぐにブラシを置いて、ドアに駆け寄って開けた。
「ベル君、大丈夫だよ! お勉強お疲れ様!」
「アリシア!」
ベルノルトことベルは、満開の笑顔でアリシアに飛びついた。
「ねえアリシア! いたい、いたいって、いってるよ」
「えっ? 誰が? どこで?」
ベルの訴えに、アリシアは慌てた。
するとベルはリビングの床に置いてある木箱を指した。
「あの はこのなか。いたいんだって」
心霊的な物を想像して、アリシアは思わずゾーッとした。あの木箱の中はガラクタばかりで、生き物など入っていないはずだ。
真っ青になったアリシアを見かねて、エーレンフリートが説明した。
「多分、ベルはスティックの事を言っているんだと思います」
「スティック? 木の棒っきれの事?」
確かに、あの木箱にはハタキの柄となった棒の他にも、長さがバラバラの棒が三本ほど入っていた。
「はい。あの棒はもともと長かった物が、折られていますよね?」
言われてみると、確かに残りの棒は断面が乱暴にへし折られたように、ガサガサになっていた。もしかしたら、木箱に収めるために継母がボキボキに折ったのかもしれない。
「えっと、それでその棒が、痛いって言ってるの?」
アリシアの問いに、ベルは頷いた。
「ぼく、なおしてあげる」
ベルが毅然とした顔で小さな唇をキュッと結んだので、アリシアは微笑んだ。
「本当? ベル君は優しいね。ありがとう」
ベルは木箱に駆け寄ると、両手に棒を持って、二つを繋げるように手で握った。目を瞑って集中している様子を見守るうちに、アリシアの顔は微笑みから驚愕の表情に変わった。
何の変哲もない木の棒から、シュルシュルと音を立てて根っこのような物が出て来て、折れた側面同士で絡み合い、互いに繋げ出したのだ。
アリシアが唖然として不思議な光景に魅入るうちに、ベルはさらにもう一本の棒を同じように繋げ、三本のバラバラだった棒はベルの身長よりも長くなった。
「う、嘘!……長い棒になった!!」
アリシアは驚きのあまり、見たままを叫ぶしか無かった。
ベルが「はい」と渡す長い棒を、アリシアは震える手で受け取った。
するとその時、空中に黒い煤が突然現れて、ベルの周りに浮遊するのを見た。
「あっ! 黒い煤が湧いた!? 駄目、あっち行け!」
アリシアはつい、手でそれを祓うと、小さな煤は光って消えた。ハタキが無くても「魔」を消せるのだとわかって、アリシアは驚いて自分の手を見つめた。ベルもびっくりした顔でこちらを見上げている。
「ぼくがまほうつかったら、わるいのきたけど……アリシアがやっつけた!」
小さい両の手で拳を握って、興奮している。
エーレンフリートは確信して頷いた。
「やっぱり。アリシアさんに祓いの力があるから、魔道具が無くても祓えるのですね。手だけで大量に祓うのは大変だと思いますが」
エーレンフリートはアリシアの持つ長い棒を指した。
「その復活した杖はハタキの柄と同じ素材ですから、ハタキよりも更に祓いの力を増幅させますよ」
「本当!? じゃあ、ホウキにしてみるよ!」
エーレンフリートは面食らったようだ。
「ホ、ホウキですか。確かに掃除には使いやすかもですが……」
エーレンフリートはリビングの端に立てかけてある長いスティックを持って来て、アリシアに見せた。
「わあ。綺麗な石が付いて、装飾が見事ね。まるで魔法の杖みたいな」
「はい。魔法の杖です。本来はこのように魔力を秘めた木材や石を利用して、魔術師の力を増幅させたり、コントロールを定めるためにスティックを利用するのです」
「そうなんだ! この棒にまさか、そんな役割があっただなんて」
アリシアはしげしげと、自分の手にある何の変哲もない木の棒を眺めた。
バルトロメウスがハタキの柄を凝視していた理由はわかったが、同時にハタキを破壊された場面も思い出して、アリシアは顔を顰めた。
気を取り直して、自分の身長よりも背の高い杖を持っているエーレンフリートに尋ねた。
「エーレンフリート様は、その杖でどんな事をするの?」
ベルが棒を修復する力を見て、アリシアは魔法への好奇心が湧いていた。
「主に破壊ですね。僕は攻撃魔法が得意なので」
「えっ、そ、そうなんだ」
意外でつい引いてしまったが、次世代の宮廷魔術師なら魔物を倒すのが仕事なのだから、適性なのだろう。
「勿論、魔法書で学んだ防御や浮遊などの魔法も一通り使いますが……人に得て不得手があるように、魔術師には向き不向きがあります」
エーレンフリートは言いながら、ベルを見下ろした。
「ベルは主に治癒や修復を得意とします。バルトロメウス様が任務でお怪我をされたら、ベルが治します。教会に所属するどんな聖女よりも、ベルは治癒力が強いので」
「そうなんだ! 凄いね、ベル君!!」
褒められてグンニャリとしたベルは、アリシアのスカートに飛びついた。アリシアはベルの後頭部を撫でながら、エーレンフリートを見つめた。
「二人とも可愛いのに、強くて優秀で。バルトロメウス様は素晴らしいお弟子さんをお持ちなのね」
自分が可愛い枠に入っているのがくすぐったいようで、エーレンフリートは少し戸惑った後、照れた笑顔になった。




