第24話:泣きたい時は思いっきり泣きなさい
昨日の悪夢が何度も夢に出た。
綺羅が目が覚めたのは朝の8時過ぎ。
「ひどい目覚めだった」
朝までぐっすりと眠れた、わけではない。
昨晩は朝の5時過ぎまで、眠れずにいた。
布団に入って、目をどれだけ瞑っても。
結局、綺羅は十分に眠る事ができずにいた。
「ヒロ先輩の事ばかり考えていたなぁ」
そもそも、彼と喧嘩したいわけじゃない。
綺羅は本気で弘樹が好きで、初めての恋をしている。
『……だ、ダメッ!』
なのに、あんな形で拒絶してしまった。
『……帰る。さよなら』
拒絶したまま、嫌いじゃないのに、嫌われるような事をしてしまった。
自分でもよく分からない感情。
綺羅は未だにどうして彼のキスを拒んだのか自分でも不明なままだ。
「どうして、嫌じゃないのに拒んだの?」
眠りたくても眠れずに夜を過ごし、結局は疲れ切って眠ってしまったようだ。
誰だって、不安があると眠れないものなだからしょうがない。
「気持ち悪い……ものすごくダルい」
最悪の寝心地で、綺羅は気が重いまま起き上がる。
綺羅は着替えて顔を洗うと、鏡を見上げた。
「ひどい顔をしてるな、私……こんなの見せられない」
自分でも呆れるほどに疲れが残り、落ち込んだ顔がそこにあった。
リビングに入ると、七海が「おはよう」と声をかける。
「おはよ、ママ」
「朝ご飯はどうする? 用意する?」
「……いらない。食欲がないの」
「そう。だったら、ココアだけでも飲む?」
綺羅は小さく頷くと、彼女はキッチンでココアをいれてくれる。
ソファーに座って何気なくテレビに視線を向けた。
『さて、ゴールデンウィークも半ばです。昨日は大雨でしたが、今日からの天気は晴れ間が続くでしょう。残りの連休を思う存分に楽しみましょう』
窓の外を見ると、昨日の雨から一転、晴れの様子だった。
昨日、弘樹とのデートを台無しにしてしまった。
雨の話で思い出して、ネガティブになる。
落ち込んで沈み込んでいると、うるさい姉がリビングにやってくる。
「やっほー、綺羅ちゃん。今日も元気してる?」
「……ちっ」
「あ、朝から人の顔を見て舌打ちはやめてよぉ。リアルに傷つくの」
「傷つけ。そして、私に顔を見せるな。姉が嫌い」
嫌そうに綺羅は睨みつけて威嚇する。
無駄にテンションの高い姉は苦手なのである。
「ぐすっ。そんなに邪険にしないでよ。なんで、綺羅ちゃんは昨日から暗いの?」
「うるさい。私にかまうな」
「しかも、妙に攻撃的だし。あっ、お姉ちゃん分かっちゃった。昨日のデートで何かあったんでしょ? 間違いないわぁ。そうだったのね」
「……」
「帰ってくるなり、落ち込んでたもんねぇ。それで拗ねてるんだ?」
また余計な事を追及してくる。
その空気の読めなさが腹が立つのだ。
むすっと綺羅は黙り込んで、何も答えない。
「綺羅ちゃんが不機嫌ってことはやっぱり、彼氏と喧嘩した? したんでしょう?」
「……してません」
「素直じゃないからなぁ。彼氏の前でもそんな態度だったら嫌われちゃうよ?」
……嫌われる。
その言葉に綺羅は身体をビクッとさせる。
――大好きなヒロ先輩に嫌われる?
最悪の結果を想像してしまった。
想像が現実になったとしたら。
――そんな事になったら……嫌だ……。嫌だよ。
空気の読めない姉は綺羅をからかうように言葉を続ける。
「綺羅ちゃんに彼氏なんてまだ早いんじゃない? 綺羅ちゃん我が侭なところあるし、その辺ですれ違ったりしてない? 相手に無理させちゃったりしてさぁ」
「……ぅっ……」
「男の子は性格が素直で可愛い子じゃないとダメじゃないのかなぁ?」
「そんな、ことは……」
「結局、男の子って自分に合う子を探すのよ。今の子がダメなら次の子を、別の相手を探し続ける生き物だもの。案外と執着心とかないんじゃないかな」
綺羅は自分が素直じゃなくて、我が侭な性格なのを自覚している。
人と接する事が苦手で、我がままで。
素直にもなれなくて。
はっきり言って誰かに好かれる要素なんてないのに。
「自分にはあの人しかない。なんて思うのはウソ。そんなことなんてありません」
違う。
「運命の赤い糸なんてないもの。特別だろうが結局飽きたらおしまい。バイバイよ」
違う。
「面倒なら切り捨てて、他に代わりをすぐに見つけて。同じことを繰り返すの」
違う。
「結局、男と女の恋愛なんてそんなものだよ、綺羅ちゃん」
違う。
『俺は綺羅の事が好きなんだ』
弘樹はこんなダメな所ばかりの自分を好きだって言ってくれた。
綺羅も彼が好きだ。
――誰かの傍にいるのが安心できて、もっと近くにいたいと思えたのは先輩だけ。
もしも、彼が面倒くさがって綺羅を捨てるようなことがあったら。
そんな彼に嫌われるのだけは嫌だ……。
「……ひっく」
気が付いたら瞳から涙がポロポロとこぼれ落ちる。
泣かないと我慢していたのに。
「うぅっ……ぅわっ……」
一度涙がこぼれたら、もう止められない。
押さえこんでいた感情が、溢れだしていく。
これ以上、弘樹には嫌われたくない。
抱え込み、抑え込もうとしていた感情が爆発してしまう。
「うぁ……ぁあああ……」
嗚咽を漏らしながら泣き続ける。
彼の事を思うと、すごく胸が痛くて、辛くて――。
「え? あ、えっと……え?」
綺羅が泣き出した事にさすがの夢逢もまずいと思ったのか動揺する。
過去、妹がこれほどに感情をあらわにしたことがなかった。
涙を見せるという行為を、普段からする子ではなかったからだ。
「き、綺羅ちゃん?」
「うぇえっ……あぁっ……ひくっ……」
「ほ、本気で泣いてるし。私が泣かせた? 綺羅ちゃん、あ、あのね?」
その様子に気付いた七海がリビングの方へとやってくる。
泣いてる綺羅に驚いた。
「あら、どうしたの? 綺羅?」
「うぅっ、ぐすっ……ひっくっ」
「……はぁ、夢逢。貴方、綺羅を泣かせたの? 何やったの?」
「え、えっと……泣かせるつもりなんてなくて、ただの会話のつもりだったのに」
七海は綺羅の顔を覗き込みながら、
「……綺羅。お姉ちゃんにひどいことをされた?」
「し、してません。多分」
「夢逢には聞いてないわ。綺羅に聞いてるの。大人しく黙っておきなさい」
「は、はひ。ごめんなさい、反省してます」
シュンッとうなだれる夢逢。
さすがに悪いと思ってるらしい。
「私、綺羅ちゃんが泣いてるの初めて見たかも……?」
「夢逢ぁ? 貴方が泣かせたんでしょう? ん?」
「す、すみません。ごめんなさい、怒らないで」
「まったく、夢逢はホントに空気読めない子なんだから」
「そこまで言わなくてもいいと思います」
「そこまで言わないと分からない子でしょ。綺羅、大丈夫……?」
そう言って母は泣きじゃくる娘をぎゅっと抱きしめた。
綺羅は涙が止まらずに泣くことしかできない。
「わ、わたしは……」
「いいのよ。今は何も言わないで。思う存分に泣けばいい」
「うぅっ……えぐっ……」
「誰に似たのか、貴方は感情を表に出すのが苦手な子だもの」
小さな頃から笑うことも泣くことも、あまりしない子供だった。
そっけなくて愛想もなくて。
感情というものを表現するのが苦手ゆえに。
自分の中での感情をうまく制御できない一面が綺羅にはあった。
「泣きたい時は思いっきり泣きなさい。綺羅は泣く事がほとんど経験がない子なんだんだから。泣くことは大切なことなの」
そんな娘を七海は優しい声色で囁きながら、受け止める。
大粒の涙を瞳からこぼす。
――涙腺が壊れたみたい。涙が止まってくれないの。
それは誰のための涙か。
声をあげて泣いた事なんて本当に久しぶりだった。
前に自分がいつ泣いたのかなんて忘れてしまった。
――嫌だよ、嫌だ。ヒロ先輩、私を捨てないで。嫌いにならないで。
そんな綺羅が泣くのだからよほど今回の件は衝撃的で辛いものだったのだろう。
「うっ……ぁあっ……」
想いが溢れるように、頬を伝う涙は止まらない。
弘樹が好きで。
嫌われたくなくて泣いてしまって。
こんな風に彼のために涙がこぼれるなんて、思ってもみなかった――。




