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普軍、オーストリア本国国境に達す

 7月14日。普・第一軍は第6師団をブリュンに置いたまま、第5、第7の二個師団をブリュンの街に入城させ、休息を取らせました。また、第8師団と騎兵軍団も前日の野営地から動かず休息し、第3、第4の二個師団のみ、わずかな距離を移動するだけに止めます。

 前日のブリュン陥落後に状況を確認した参謀本部が、ウィーン進撃の前に補給状況や兵士の疲弊度を見て判断したもので、当初の予定を変更して第一軍全体としてはこの日、休息と補給に当てることとなりました。


 逆に活発だったのはエルベ軍で、カール王子からブリュン進撃の連絡が入った直後、ブリュンが第6師団により占領され確保されたことを知ったビッテンフェルト将軍は、直ちにブリュン進撃を中止、各部隊をオーストリア本国方面への進撃に戻しました。


 本隊から離れ、既に南下を続けていたエルベ軍の先鋒部隊は、墺騎兵軍団が部隊毎にモラヴィア=オーストリア境界のターヤ川を渡河している最中であることを知ると急進、モラヴィア境界ターヤ川河畔の町、ツーナムを敵騎兵との小競り合いの末に占領します。そして休むことなくターヤ川河畔に至り、そこに破壊され残っていた橋を工兵が修理し始めました。

 この辺りではターヤ川がモラヴィア=オーストリア境界ではなく、境界線は十キロほど南にありましたが、この川を下れば(東に行けば)そのまま境界線となります。普軍は遂にオーストリア本国との境界線にまで達したのでした。

 

 このエルベ軍先鋒部隊はカール・フリードリヒ・フォン・デア・ゴルツ少将率いる普第14騎兵旅団から抽出した騎兵中隊を中核に、歩兵7個大隊、騎兵16個中隊、砲兵4個中隊強(26門)に及ぶ強力な支隊(およそ一万名・小規模師団相当)で、今日で言うところの諸兵科統合戦闘団です。この時ばかりでなく、普軍は通常の部隊編成を越えた支隊を状況に応じて現場指揮官が組み、刻々変わり行く戦況にうまく対応させています。これもモルトケが腐心し軍に浸透させた「委任命令」の成果と言えるでしょう。

 

 既に前日13日にブリュンへ入城していた普王国大本営はこの14日、今後を見据えて方針を定め、以下の命令を発しました。


『カール親王の第一軍は本日14日を休息日とし、翌15日ターヤ川を渡河、ウィーンへ進撃せよ。

 その際の進撃路は以下の三本とする。

 A・アイベンシュニッツ(イヴァンチツェ)=ラー・アン(・デア・ターヤー)=エルンストブルン

 B・デュルンホルツ(ドルンホレツ)=ラーデンドルフ

 C・ムシャウ(ムスハウ/現・ダム湖の底)=ニコルスブルク(ミクロフ)=ガウネルスドルフ(ガウヴァインシュタル)

 その他一個支隊を編成し、ルンデンドルフ(ブジェツラフ)へ向けること。

 各支隊の大小部隊編成はこれをカール親王に任せる。

 また、この支隊より先行し先鋒前衛部隊を編成し、至急ルンデンドルフからプレラウ(プルジェロフ/オロモウツ南東18キロ)に連絡する鉄道を破壊、敵(オルミュッツの墺北軍)がこれを使えないようにすること。

 ただし、ブリュン=ルンデンドルフ(ブジェツラフ)=ゲンゼルンドルフを結ぶ鉄道線は残し、前衛はこれに沿って進んで鉄道を占領、我軍がこれを使用出来るようにせよ。

 ビッテンフェルト将軍のエルベ軍も14日を休息に充て、翌15日ツーナムより以下二本の進撃路によって南下せよ。

 D・イェッツェルスドルフ=ホラブルン

 E・イェスロウヴィッツ(ヤロスラヴィツェ)=エンツァードルフ(・イム・ターレ)

 その他一個支隊を編成し、ドナウ川上流ツルン(・アン・デア・ドナウ)からクレムス(・アン・デア・ドナウ)間での示威行動のためまずはマイッサウへ向かうこと。

 第一軍・エルベ軍共に援護し合うため、両軍本隊は17日を以てターヤ川を一斉に渡河すべし。』


 またボヘミアの予備軍団に対し、以下の予告命令を発します。


『ローゼンベルク師団(近衛後備歩兵師団)はプラーグ(プラハ)に守備隊を残し、本隊は鉄道にてパルドゥヴィッツ(パルドゥビツェ)へ進出すること。

 ベントハイム師団(混成後備歩兵師団)はプラーグへ入城後、歩兵一個旅団に騎兵一個連隊と砲兵一個中隊をプラーグ守備隊として残置し、ローゼンベルク師団の守備隊と共にパルドゥヴィッツへ向かうこと。

 以上はプラーグ=ブリュン間の鉄道線が補修完成後、改めて命じる。』


 これら第一予備軍団の部隊は当初エルベ軍の後方に配され、開戦から三日でエルベ軍がザクセン王国を占領すると、ボヘミアに向けて南下して行ったエルベ軍に代わってザクセンに入り占領任務に当たっていました。

 この開戦時、急遽この予備軍団司令官に就任したミュルベ中将は、ケーニヒグレーツ戦の直後に大本営の命令によりボヘミアの首都プラーグへローゼンベルク師団が送られると、ザクセン民衆への威嚇としてザクセン首都ドレスデンに残っていたベントハイム師団を率いてプラーグへの行軍を開始します。ドレスデンには占領軍として後備槍騎兵第3連隊が残留しました。


 この時ボヘミア北部ではテレジエンシュタット要塞が攻略されずに残り、要塞を監視する普軍後備の小部隊の隙を突いて強行斥候隊が幾度も出撃、ボヘミア=ザクセン国境付近で騒擾を起こし、普軍の後方占領地を脅かしていました。このため、後備部隊は多くの小さな支隊に分割されてこれら墺軍部隊への対処に追われていました。ベントハイム将軍の師団も行軍中多くの部隊がこの警戒任務に割かれ、各地で墺軍斥候と小競り合いを繰り返しながら7月18日、ようやくプラーグに至ります。

 なお第一予備軍団のほとんどがボヘミアへ進出した後の7月8日、ザクセン占領地総督に普軍の長老ハンス・ヴィルヘルム・フォン・シャック将軍が就任、後備部隊より一個師団相当の部隊が編成されて10日後、第8師団長フォン・ホルン中将が異動してザクセン占領軍を率いています。


 この7月中旬の時点ではボヘミア領域内の主な鉄道は各所で破壊、分断されており、普軍後備の工兵や普国鉄道省の活躍で急速に補修されてはいましたが、完全な復旧にはまだまだ時間が掛かるものと思われていました。


 ブリュン大本営からの命令は、以下の注意を促して結ばれます。


『国王の大本営はしばらくの間ブリュンに置くつもりなので、各軍は電信線を本営から大本営へ敷設して前進、連絡を怠らないようにすること。ブリュンは第一軍より一個支隊を譲り受けこれにて守備隊とする。

 特に第一軍はブリュンと前線の間の兵站線に留意すべし。 参謀総長モルトケ』


 15日は普軍が一斉に動き始め、いよいよオーストリア本国に入ることとなります。

 墺騎兵軍団は普軍が一日動きを止めたため、ターヤ川を14日中に渡り切り、この日はターヤ川の南、オーストリア領を更に南下しようとしていました。ところがこの夜、墺軍総司令官のアルブレヒト親王はこの騎兵軍団に向け、16日に至るまでラー・アン付近のターヤ川に張り付いていろ、と命じました。この5日間、敵(エルベ軍と第一軍)に追い付かれまいとして進んで来た脚の速いこれら部隊は、既にターヤ川のラインを後ろに、オーストリア本国、ドナウ川のライン目指し進んでいます。ラー・アン付近に残っていたのはその後衛だけで、既にエルベ軍前衛はターヤ川を越え、モラヴィア=オーストリア境界に迫っていました。この状態でターヤ川まで戻る部隊はいませんでしたが、ホルシュタイン公の部隊だけは現在地に一日待機して忠実に命令を実行しています。

 この日、南下する普軍と墺騎兵軍団の後衛との間でハウグスドルフ、グンテルスドルフ、ハドレスなどで小さな遭遇戦が発生していますが、双方損害は微々たるものでした。


 普第一軍は命令通りほぼ軍団単位で悌団を作り、三本の進撃路に沿ってターヤ川を目指し、その前衛はターヤ川に達して、一部前衛は斥候を渡河させて敵情を探っています。

 ところがこの夜、大本営に第二軍からの至急報が届きました。

 オルミュッツの墺北軍本隊が遂に動き始めたのです。


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