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ケーニヒグレーツの戦い/ストレセティク大騎兵戦

 午後4時頃。墺北軍の総予備部隊であった第1軍団の敗退で勝負はありました。

 ケーニヒグレーツ(フラデツ・クラーロヴェー)の戦いはこの第1軍団の崩壊時点で普軍の大勝利に決した、と言ってもよいでしょう。


 午後4時30分。普軍は第一軍、第二軍共に主力がクルム高地へ上がり、その中心地であるクルム(フルム)とリパ(リーパ)一帯は兵士で溢れ返っていました。

 クルムとリパには近衛軍団(近1師・近2師)と普第1軍団の第1師団がいて、街道を挟んだランゲンホーフ(ドロウヘードヴォリ)にもその一部が進出しています。

 普軍戦線の左翼、東側からは普第6軍団が進み、その第11師団はロズベリック(ロズビェジツェ)からシュウェティ(スヴィエティー)の郊外にまで迫っていました。同僚の第12師団は、一部をロヘニック(ロベニツェ)とエルベ川に架かる橋に残し、主力がネデリスト(ネジェリシュチェ)に入って来ます。軍団騎兵とビスマルク=ボーレン騎兵旅団がこれに続きました。


 第1軍団の第2師団と近2師の後衛(近衛第4旅団。命令により第1軍団に差配されました)は、マスロウェード(マースロイェディ)とクルムの間で待機となります。これはクルムやロズベリックの部隊が進撃し、入れ替わりにクルムへ入るための調整で、前が空くのを待っていたのです。


 戦場の北東彼方ではシュタインメッツ将軍の第5軍団が強行軍を続けていて、ホレノヴェス(ホジニェヴェス)を目指し進撃中、その後方には第二軍の騎兵師団や直轄砲兵部隊が長い列を作って続きました。


 ほぼ半日の間、墺第10軍団や第3軍団の砲兵に苦しめられた普第一軍は、敵が普第二軍の進撃でランゲンホーフから後退すると、ようやくのことで前進することが出来ました。


 リパにはシュウィープ森の勝者、第7師団の残余兵が入り、ドハリック(ドハリツェ)とプロブレス(プロブルス)までの高地際には第3、第5の二個師団が展開、ゆっくりと南下しています。


 ホラ森周辺で戦い、疲弊が激しい第4、第6、第8の各師団は広くランゲンホーフとストレセティク(ストジェゼティツェ)に至る平原上に散らばり、隊を整えようとしていました。

 これら第一軍の砲兵部隊はホラ森の南に砲列を敷き、南方ウェセスタル(ヴシェスタリ)方面へ向け盛んに砲撃を繰り返していました。


 第一軍の騎兵軍団はザクセン軍や第10軍団の退却で砲撃が止むと、エルベ軍や第一軍の進撃路を伝ってビストリッツ(ビストリツェ)を渡河し、クルム高地へ上がって来ました。その先頭は騎兵第2師団で、ランゲンホーフの北を経てストレセティクの北郊外に至ります。エルベ軍の後方からは騎兵第1師団が同じくストレセティク目指し進撃していました。


 この頃、エルベ軍は最後の「一押し」をボラ、ブリザ(ブジーザ)の森周辺で行っており、その前線には第14、第15の二個師団が展開、第16師団はその後方、フラデック(フラーデク)からテフロウヴィック(チェフロヴィツェ)にいました。


 こうして普軍は三方から墺北軍を急追し、モルトケの作戦は最終段階に入るのです。「分進」し「合撃」を成功させたこの後は作戦の仕上げ段階、「包囲殲滅」が待っているはずでした。


 対する墺北軍。ほぼ全ての部隊が戦闘により傷付き疲弊し、半数以上が敗残兵と化してケーニヒグレーツの街まで退却を続けていました。


 第2軍団は既に見る影もなく離散して軍の体を成していない状態、第4軍団も目を覆わんばかりの惨状で、ほとんどの将兵がケーニヒグレーツ前面まで逃走し、最早戦うどころではありません。

 第3軍団もその後に続き、第10軍団はそれらの部隊とは一線を画して秩序を保ち、エルベ河畔へ撤退して行きました。


 ザクセン軍と最早軍団規模ではなくなった第8軍団は、未だ後退戦を闘っており、特に仲間を多く倒され怒りに燃えたウェーベル第8軍団長の旅団は、ザクセン軍主力と共にブリザの西でもう一踏ん張り、ブリザ森から高原に出て来た敵エルベ軍に向け盛んに銃砲撃を加え、敵に犠牲を強いるのでした。

 しかし、この反撃も敵が態勢を整えるまでの僅かな時間で、敵が攻撃態勢を取ると見るや、ザクセン軍と墺第8軍団は周囲を槍騎兵に警戒させ、整然と隊列を組み行進歩調で行軍し、見事に戦場を後にするのでした。


 大会戦の終盤には騎兵の集団が登場するのが中世以降、ヨーロッパでの戦いではおなじみの光景です。このケーニヒグレーツ戦でも終盤に騎兵が戦場を駆け巡りました。


 騎兵は急速に武器や戦術が発展するこの19世紀中盤、既に過去の遺物の兆候を示していましたが、そこは貴族の士官が支配し軍隊におけるエリートの地位を確保し続ける部門のこと、部隊は未だに大規模で主要部門として独立しており、戦場では煌びやかに着飾った槍騎兵や驃騎兵が颯爽と馬を駆り、威厳を保つ胸甲騎兵が重厚な梯団を組んで突撃し続けていました。


 会戦の終盤、勝敗がほぼ決すると戦場は格好のマンハントの場となります。騎兵たちは走り逃げまどう敗残兵を追い、隠れ怯える兵士たちを狩り出すのです。

 負けた側も一矢を報いようと騎兵を放ち、敗残兵狩にやって来る敵騎兵に勝負を挑みます。

 こうしたヨーロッパの戦場における伝統は、既に鉄道と電信を活用し、市民軍による軍機構の改革で様変わりをしたこの近代戦に、まるで先祖返りのような、ナポレオンの戦場を描いた一幅の絵画を見るようなエピソードを添えるのでした。


 墺北軍の騎兵は、このケーニヒグレーツの戦い序盤から中盤にかけて、その所属する砲兵隊(騎砲と呼ばれる小口径・軽量の大砲中心)による砲撃で防戦に貢献する程度で、森林や起伏のある高地という地勢のため、敵への突撃や追撃などの場面も少なく、後方に控えるばかりでした。


 この戦い終盤、墺軍予備騎兵第1師団はウェセスタルの南にあり、予備騎兵第3師団はストレセティクの東およそ1キロの平原にありました。また、戦いから離れて命令された位置を動かなかった予備騎兵第2師団はブリザの南で忘れ去られたかのように待機を続けています。

 ちなみに、この「予備」という意味、何か「補欠」のような弱小なイメージがありますが原語はReserve(リザーブ)で、意味合いとしては「戦略予備」と記した方がしっくりとします。つまり「予備」騎兵とは、合戦の勝負時に投入される「切り札」なのです。

 彼らはこの終盤戦に主役として登場しました。


 ホリク=ケーニヒグレーツ街道の西、ランゲンホーフ周辺の土地は比較的なだらかで木々は少なく、騎兵戦には適した土地と言えます。ここに後退する墺軍に食いつこうと、午後4時30分頃、普軍の騎兵たちがやって来ました。


 ホラ森横からランゲンホーフへやって来たのは普騎兵第2師団でした。ハーン・フォン・ワイヘルン少将を師団長とするこの師団は、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニコラウス・ツー・メクレンブルク=シュヴェリーン伯爵少将率いる軽騎兵第2旅団と、フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・デア・グローベン少将率いる軽騎兵第3旅団を中心とする名門の部隊で、竜騎兵(銃身の短い騎兵小銃で武装する騎乗銃兵。普軍では重騎兵扱いです)を先頭に敗残兵狩を行おうと南下して来たのでした。

挿絵(By みてみん)

ヴィルヘルム・ツー・メクレンブルク

 既にストレセティクからプロブレス、ボラ森、ブリザ森までは普軍が制圧し、歩兵と砲兵は敵の逆襲に備え、陣を敷き始めています。

 また、西方からはエルベ軍の後方に控えていたヘルマン・カール・ルドルフ・G・フォン・アルヴェンスレーベン少将麾下の第1騎兵師団が進んで来ました。彼らも会戦の最後を飾るべく前線に乗り出そうとしていたのです。


 この墺軍にとって絶望的な状況下、三方から敵が迫るのを見た墺予備騎兵第3師団長、カール・グラーフ・クーデンホーフェ少将は驕る普軍に一矢を報いようと敵騎兵に対し襲撃を命じました。

 胸甲騎兵(磨かれた鋼鉄の胸当てを着けた重騎兵)を前衛に驃騎兵(サーベルやピストル、騎兵銃で武装する軽騎兵)と槍騎兵が続き、彼らは臆さずに敵ハーン少将の騎兵めがけて突き進むのです。

 これを発見したボラ、ブリザ森の普軍兵士たちは一斉に射撃を行い、その砲兵は敵騎兵の隊列を乱すため盛んに榴弾を発射しました。しかし、クーデンホーフェ男爵の騎兵たちは犠牲を出しつつも進撃を止めることはありませんでした。


 普ハーン師団の先頭を行く竜騎兵三個中隊は、迫り来る敵騎兵の集団を見てこれは適わんとばかりに馬首を巡らせ、本隊へと駆け去ります。しかし、ストレセティクの高地まで退いた後、味方騎兵が敵と相対するために集合し始めるとこれに勇気を得たのか反転し、再び墺軍騎兵に向け進み始めたのです。

 ストレセティク近郊に至るまで、墺軍騎兵は南のボラ、ブリザ森から途切れることなく銃砲撃を受け、彼らの進撃した後には転々と死んだ馬やその主の遺体が残されています。しかし、墺軍騎兵は規律を保ち、隊列を一切乱さず、いくつかの梯団を作ってストレセティクの東をこちらに向けて進む普ハーン騎兵師団へと突撃して行くのでした。


 ここに一大騎兵戦が発生します。墺軍の胸甲騎兵は普軍竜騎兵の隊列を一撃で突破、その後ろにいた重騎兵の「餌食」である普軍驃騎兵を襲撃しました。普軍も驃騎兵を救おうと墺胸甲騎兵に対し竜騎兵を背後から突撃させ、槍騎兵が側面から連携して突撃します。この普竜騎兵めがけ別の墺胸甲騎兵が突撃し、これで戦場は敵味方入り交じっての乱戦となってしまいました。

 普軍の歩兵たちはこの血生臭い騎兵戦を遠巻きに見ていたかと言えばそうではなく、敵味方が入り交じっても銃撃を弱めることなく、冷酷にも射撃は騎兵戦の間中続けられ、敵味方を問わずドライゼ銃による負傷者が続出するのです。


 この騎兵戦に参戦すべく、西方からアルヴェンスレーベン騎兵師団麾下の近衛竜騎兵(第1連隊)が早駆けして突入し、今しも墺軍槍騎兵に突破され窮地に陥った同僚の近衛竜騎兵(第2連隊・ハーン師団所属)を救います。墺軍槍騎兵隊は逆に窮地となりますが、ここに墺軍後続の胸甲騎兵が到着し槍騎兵を救い出します。

 ストレセティクの東高地は一面騎兵で溢れ、きらびやかな制服を泥や鮮血で汚した双方の騎兵たちは雄叫びをあげ、激しく入れ替わる敵に対し騎兵小銃(カービン銃)で、ピストルで、槍で、サーベルで挑んだのです。

 このように数十秒単位で攻守が目まぐるしく入れ替わる死闘は数十分間続きますが、次第に墺軍騎兵が普軍騎兵を押しまくる状態へと変化し、普軍騎兵は自然発生的に潰走を始めてしまい、遙かビストリッツ川まで後退して行きました。


 勝ち誇ったクーデンホーフェの騎兵師団からは真っ先に槍騎兵隊がこれを追い、また本隊もこれに続きますが、既にストレセティク西方の高原は普第3と第5師団の後衛がしっかりと押さえており、要所要所に方陣を作り待ち構えた普軍歩兵による一斉射撃で、墺クーデンホーフェ騎兵師団は壊滅的打撃を受けてしまいます。

 落伍者と負傷者は捕虜となり、残りはブリザ部落やクラカウ(ハロウブキの南)へと退避しますが、この師団の半分を構成する旅団指揮官少将、アルフレート2世・ツー・ヴィンディシュ=グレーツ公爵は退却を潔しとせず、部下と共に敵歩兵へと突撃を敢行し、腹部に銃弾を受け戦場に倒れるのでした(生き長らえるも10年後この負傷が原因で死去)。


 この「ストレセティク騎兵戦」とほぼ同じ頃。


 ウェセスタル郊外のホリク=ケーニヒグレーツ街道沿いにはヴィルヘルム・プリンツ・ツー・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公爵中将(デンマーク王家の血統で弟は当時のデンマーク国王クリスチャン9世)指揮の墺予備騎兵第1師団がクルム南方から退避して来ていました。


 第1軍団の攻勢が失敗に終わり、驚くほどの損害を受けて兵士たちが潰走した後もこの騎兵師団は退却せず、彼らの出番を待ちました。その「出番」とは敵騎兵の襲来です。まるで血の臭いに寄って来るハイエナかサメのように、敵の騎兵部隊はやって来るはず。そしてそれは現実となります。普軍の騎兵がホリク=ケーニヒグレーツ街道を南下して来たのです。


 この普軍の騎兵集団は、クルムの南西側でライニンゲン旅団をタイミング良く襲撃した驃騎兵第12連隊(騎兵2師グローベン旅団所属)を先頭に、竜騎兵二個中隊と槍騎兵第4連隊(第4師団所属)からなる旅団規模の臨時集成部隊でした。

 ホルシュタイン師団の半分に当たるユージン・フォン・シンドラッケル少将指揮の騎兵旅団は、この敵騎兵集団に向かって進撃し、途中で激しい銃砲火を浴びても臆せず突き進み、敵の砲兵部隊の砲列を突き抜けて突撃を敢行しました。

 これに第1軍団の予備としてアベル旅団に従い、最後までウェセスタルに残っていたニコラウス驃騎兵連隊が続き、シンドラッケル旅団の突撃を西側面から援護しました。


 墺軍騎兵は普軍騎兵を押しまくり、ランゲンホーフ郊外まで進みます。

 しかしつい先ほどまでガブレンツ将軍の第10軍団がいたランゲンホーフ部落は、クルム部落と同じく普軍兵士が溢れ返っていて、彼らは墺軍騎兵の突撃を見るや大慌てで隊列を組み、一斉射撃で迎えたのです。

 このおよそ五個連隊、即ち一個師団に近い歩兵の集団が一斉に射撃をすれば、どんな重装騎兵でも適うはずがありません。しかも後方のクルムから、更に近2師や第4師団の兵士が駆けつけるに及んで、墺軍騎兵もやむなく馬首を巡らせ退却に移りました。


 シンドラッケル旅団に続いたホルシュタイン師団のもう片方、カール・プリンツ・ツー・ソルムス=ブラウンフェルザー少将指揮の騎兵旅団は、ランゲンホーフの南高地にぽつんと味方から外れた騎兵部隊を見つけ、これに突撃を敢行します。敵の騎兵は墺軍の騎兵集団が自分たちに迫るのを見ると、小馬鹿にしたようにゆっくりと丘を降り、墺軍騎兵の鼻先で、優雅に北方へ転回して見せました。しかし、これは罠だと感付いた墺軍騎兵はそれ以上深追いせず、急いで転回し戦場を後にします。

 それは正解でした。普軍騎兵は囮となって墺軍騎兵をおびき寄せ、ランゲンホーフからリパにかけて待機していた普第一軍主力の中へ誘おうとしたのでした。


 このホルシュタイン師団の退却の最中、普驃騎兵第3連隊が追撃を敢行しますが、墺軍騎兵は胸甲騎兵を転回させ普騎兵の側面から突撃し、普軍の驃騎兵は犠牲を出して離散してしまいました。

 ソルムス将軍の旅団は尚も戦場に止まろうとランゲンホーフの東で進撃の機会を待ちますが、敵の騎兵はこれ以上現れず、旅団は弾雨の中、南へと撤退して行きました。

 ホルシュタイン公の予備騎兵第1師団は一旦ウェセスタル近郊で集合し、敵の第11師団がシュウェティを占領し進んで来るとケーニヒグレーツの西郊外、ククレナ部落(ククレニ)へと撤退して行きました。しかし、その砲兵部隊は騎兵が撤退する中、敵の襲撃を防ぐため後方に留まり砲撃を続け、撤退を見届けてから整然と去って行ったのです。

挿絵(By みてみん)

カール・ツー・ソルムス

 墺軍騎兵が戦場から姿を消すと、普軍砲兵隊はようやく安心して前進することが出来るようになります。

 普第一軍の直轄砲兵たちはこの午後遅くになってからクルム高地に上がり、各師団の砲兵隊はストレセティクからランゲンホーフの高地に砲列を敷き、ケーニヒグレーツの北や西の郊外を砲撃し始めました。


 この墺軍騎兵がランゲンホーフ周辺で血を流している最中も、後衛以外の墺軍と朔軍は退却を続け、戦場から急速に去って行きました。彼らは後方を敵騎兵から脅かされたり乱されたりすることなく、これ以上の人的損害もなく、エルベ川を渡河して行きました。

 墺軍の予備騎兵部隊は、その犠牲と引き替えに、敵騎兵の掃討戦阻止という任務を立派に果たしたのです。


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