23. 王女の接触
ごくりと喉を鳴らす私の隣を歩きながら、ノエリスは淡々と続ける。
「だからこそ、そこに対立の気配を見せた家は、それだけで他の貴族家からも距離を置かれるわ。サザーランド公爵家と敵対しかねない振る舞いをしたとみなされることは、貴族社会ではすなわち自ら信用を捨てる行為よ。そんなサザーランド公爵家が、あなたとの婚約を正式に成立させたのだもの。そしてそのあなたを踏みにじる行為をしていたのが、ルパート・フラフィントン。あの男はサザーランド公爵家が迎えようとする未来の身内に対し、公然と手を上げたわけ。それはまぁ、消されるわよね」
「け……消され……。その、私とクライヴ様との婚約は、もう社交界の皆さんには知れ渡っているのかしら」
おそるおそるそう尋ねてみると、ノエリスは爽やかな笑顔で答えた。
「ええ! 母がお茶会で話題に出したわ」
(あ、もう知らない人はいないな)
私はすぐさまそう理解した。フラフィントン侯爵家は、もはや没落の道を辿るしかないのだろう。ルパート様の仕打ちにはひどく傷付いたけれど、こうなるともはや同情さえ覚える。
そうこう話しているうちに、私たちは教室の前に着いた。
「さぁ、明るく笑ってね、ローズ。大丈夫。あなたは最高に可愛いわ! これまでとのギャップに皆が驚くのは、今日だけよ」
「え、ええ……」
私を勇気づけるノエリスの言葉にも、そう返事をするのがやっとだった。
彼女は私の腕をとり、教室のドアを開けた。
そこにはすでに半数以上の生徒が来ていて、それぞれ仲の良い友人らと集まって談笑している。ノエリスがよく通る美しい声で挨拶をした。
「おはよう、皆さん」
すると、全員の視線が一斉にノエリスへ──そしてその後すぐ、私へと集まった。
「…………」
シン、と静まり返る教室。驚いたような、疑わしげな、まるで得体の知れないものを見てしまったような皆の視線が、全身に刺さる。
「ほら、ローズ」
笑みを浮かべて私に寄り添っていたノエリスが小声で急かし、皆に見えないように私の背中をそっと押す。私は勇気を出し、引きつる頬でどうにか微笑んだ。
「お、おはようございます、皆さん」
少し声が震えてしまったけれど、どうにかそう挨拶をした。すると、ほんの一瞬間を置いて、教室内が一気に騒がしくなった。皆が様々な感嘆の声を上げながら、吸い寄せられるように私たちのそばへと寄ってくる。
「えぇっ! あなた……ハートリー伯爵令嬢なの?」
「信じられないわ……! まるで別人よ! なんて可愛いの!」
「休暇中に聞いたあの噂は本当だったんだな……。フラフィントン侯爵令息が、ハートリー伯爵令嬢に変装を強要していたらしい、とか……」
「すごく素敵よ! ロザリンドさん! それと、ご婚約おめでとうございます!」
どうやらルパート様との婚約解消に至る事情も、クライヴ様と私との婚約も、案の定すでに誰もが知っているようだった。
こんなに人に囲まれたのは生まれて初めてだ。私は体を強張らせながら、どうにか皆に返事をし、お礼を言う。その間ノエリスはまるで私の身内のように誇らしげに微笑んでいた。
「そうでしょう? 可愛いでしょう? ローズって。本当の姿はこんなにも愛らしいのよ。ふふ」
やがて始業前の鐘が鳴り、皆がようやく私のもとから離れ、それぞれ席に着きはじめた。……正直、なんとも言えない微妙な気持ちだった。入学以来、これまでノエリス以外のほとんど誰も、私に話しかけてはこなかったのに。田舎から出てきたばかりの地味で暗そうな伯爵令嬢には、誰も興味を示してくれなかった。だけど、見た目を変え、クライヴ様の婚約者となって登校した途端、突然皆が目を輝かせて話しかけてきたのだ。
あまり考えたくはない卑屈な思いが頭をよぎり、小さくため息をついた、その時だった。
まだ着席していない数人の女子生徒が、私におずおずと話しかけてきた。
「ハートリー伯爵令嬢……」
「っ! は、はい?」
ドキッとして顔を向けると、彼女たちは申し訳なさそうに言う。
「その……今まで少し避けたりしていて、ごめんなさいね。話してみたかったんだけど、なんていうか、その……」
「ハートリー伯爵令嬢の独特なお姿と雰囲気に、近寄りがたいオーラがあって……」
「まさかあなたに、あんな大変な事情があっただなんて。何も知らずに見て見ぬふりをしていたわ。勇気を出して話しかけてみればよかったって、今さら後悔しているのよ、私たち。よかったらこれからは、仲良くしてくださると嬉しいわ」
「……皆さん……」
心底申し訳なさそうにそう言う彼女たちの表情を見て、私はハッとした。……たしかにそうだ。これだけ皆が美しく身なりを整えて登校してくる中で、ぼさぼさ頭と珍妙な黒縁眼鏡で、自分から話そうともせずにただ俯いているだけの女の子になんて、話しかけづらいに決まっている。
サザーランド公爵令息の婚約者となった私と親しくしておきたい気持ちも、もちろん貴族家の子女ならばあって当然だ。けれど、今わざわざこんな言葉をかけに来てくれる彼女たちには、誠意が感じられた。
わずかでも卑屈な感情を抱いた自分のことを、恥ずかしく思った。
「……ええ、もちろんです! こちらこそ、今まで話しかけづらい雰囲気を出しちゃっててごめんなさい。よかったらぜひ、仲良くしてくださいね」
精一杯の笑顔でそう答えると、彼女たちは皆ほっとしたように微笑んだ。
午前の授業が全て終わり、昼食の時間になった。
朝声をかけてきてくれた女子生徒たちや、他にも何人かの生徒が、私とノエリスのそばにやって来る。そして一緒に昼食をとろうと誘ってくれた。
「いいわね。大勢でわいわい食べましょう。どうする? ローズ。中庭へ行ってみる? 人数が多いから、食堂の方がいいかしら」
ノエリスにそう声をかけられ、私は鞄を漁りながら答える。
「そうね、食堂の方がいいかもね。……ごめんなさい、皆で先に行ってて。私、休暇中の課題の提出を一つ忘れていたのよ。教員室に持っていったら、すぐに行くから」
「ええ、分かったわ」
ノエリスがそう頷き、皆とともに教室を出た。私は課題のノートを探り当てると、それを手に食堂とは逆の方向へと小走りに向かう。
階段を下り、廊下を曲がった、その時だった。
(──っ!)
向かいから、エメライン王女と騎士科の男子生徒たちの集団が、こちらの方向に歩いてきていることに気付いた。なんとなく暗い気持ちになりながら、私は目を伏せ、そのまま教員室の方へと歩く。
すれ違いざまに会釈をしよう。そう思った。
ところが、すぐそばまで来た時だった。エメライン王女が私に声をかけてきたのだ。
「ロザリンド・ハートリー伯爵令嬢、よね?」




