19. 初めてのデート
長期休暇はまたたく間に過ぎていった。突然公爵家のご令息と婚約した私は、より一層高度なマナーを身につける必要があった。
「サザーランド公爵家は、この国の要職を歴任されてきた名門だ。クライヴ殿も例外ではない。領地も広く、背負う責務は計り知れん。いずれその隣に立つお前は、それに相応しい所作と覚悟を備えねばならない」
父はそう言い、宮廷儀礼などに通じた複数の家庭教師を雇った。私の前にはこれまで触れてこなかった領域の学問やマナーの教科書の数々が並べられることになり、私は無我夢中で勉強を始めた。
時折ノエリスとお茶会をしたり、母と一緒に街に買い物に出かけたり。クライヴ様を招いての夕食会もあった。それから、両親とともにサザーランド公爵邸に挨拶にも行った。厳格そのものの公爵閣下と気品漂う奥方を前に始終緊張しっぱなしだったけれど、対面はつつがなく終わり心底ほっとした。クライヴ様の兄上であるハロルド様は、領地のお屋敷で静養中とのことで、お会いできなかったのが少し残念だった。
そんな日々を過ごしているうちに、あっという間に休暇も最終週に入った。
(新学期からは、このままの自分の姿で通えるのよね。嬉しいけど、ドキドキするな……。いきなり全然違う格好で現れたら、皆にどう思われるかしら)
ルパート様の登校停止処分はまだ続いているのだろうか。もう登校していたら嫌だな……。
新学期のことを考え、彼の顔がふと頭をよぎった瞬間、同時にエメライン王女の顔も浮かんできた。……どちらとも、あまり顔を合わせたくはない。
そんな不安が頭をもたげはじめた頃、またサザーランド公爵家の使者が屋敷にやって来た。いつものようにお花と手紙が届いたのかと思い出迎えると、今日は様子が違った。使者は私にカードを差し出し、恭しく口を開く。
「クライヴ様より、明後日のお昼頃にお迎えにあがりたいとのことでございます。お連れしたいところがあると」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「え? ク、クライヴ様が、私を連れてお出かけになると……?」
「さようでございます。ご都合はいかがでございましょうか、ロザリンド様」
すぐに心臓の鼓動が速くなり、私はひとまずカードをそっと開いてみた。……今従者が言ったのと同じ言葉が書いてある。どうしよう。どこへ行くのだろう。戸惑いつつも返事をしようとした、その時だった。
「もちろん、喜んでお待ち申し上げておりますわ!」
「っ! お、お母様……っ」
廊下の奥から早足でこちらに向かってきた母が、サザーランド公爵家の使者に弾んだ声でそう言った。彼は礼をし、「そのようにお伝え申し上げます」と言うと、そのまま帰っていった。
玄関扉が閉まると、母は私の腕を取り、今にも鼻歌でも歌い出しそうな様子で階段へと向かう。
「ふふふ。ようやくデートね、ローズ! お忙しいクライヴ様がお時間を作ってくださったのですもの。楽しい一日になるといいわね。この機会に、二人の距離をぐっと縮めるのよ」
「お母様ったら……。い、一緒に行く? お母様も。お好きでしょう? クライヴ様のこと」
緊張のあまりためしにそう言ってみると、母が私を睨み、少し乱暴に腕を引いた。
「馬鹿なことを言わないでちょうだい。恥ずかしがらないで、貴重な時間を存分に楽しんでくるのよ。大丈夫よ、二人でお出かけとはいっても、侍女や従者たちはいるんだし。さぁ、ドレスを選ぶわよ! アクセサリーは派手すぎないものにしなくちゃね」
尻込みする私とは裏腹に、張り切った母はその後一緒に私の部屋へと行き、嬉しそうにクローゼットを漁り続けていた。
そして迎えた二日後。空は爽やかに晴れ渡り、絶好のお出かけ日和となった。
今日の空と同じ色のデイドレスを身にまとった私は、小さなパールのネックレスとイヤリングを着けた。髪は片側に緩やかに編み下ろし、肩の前へとふわりと流している。編み目の始まりの部分には、小さな白い花とパールを組み合わせた繊細な髪飾り。とても可愛らしく仕上がっていて、鏡を見た私は嬉しくなった。
「ありがとう」
身支度をしてくれた侍女たちにお礼を言うと、彼女たちも微笑みを浮かべる。
「とてもお美しゅうございます、ロザリンド様」
「サザーランド公爵令息様も、きっとお喜びでございます」
「そ、そうかしら……」
「もちろんですとも!」
屋敷の侍女たちも皆、私とクライヴ様の婚約が整ってからというものすごく嬉しそうだ。ルパート様の件では皆にかなり心配をかけてしまっていたから、今の彼女たちの顔を見るとほっとする。あの時の陰鬱な空気は、もうこの屋敷のどこにもない。彼はハートリー伯爵家の雰囲気まで、大きく変えてくださったのだ。
しばらくして、そのクライヴ様がお迎えに現れた。家令が呼びに来て、階下へと下りていく。……相変わらず心臓の音はうるさいくらいで、足も震えていた。
「お、お待たせいたしました、クライヴ様。本日はお誘いいただき、ありがとうございます」
目の前まで行き挨拶をすると、彼はじっと私のことを見つめた。仕立ての良さそうな薄手のジャケットは、やはり黒だった。よほど黒がお好きらしい。
「……ああ。……行こうか」
しばらくして目を逸らしそう言うと、クライヴ様は小さく咳払いをした。
その耳朶が、また赤く染まっているように見えた。
クライヴ様からサザーランド公爵家の馬車へとエスコートされ、向かい合って座る。行き先はすでに決まっているようで、馬車はすぐに動きはじめた。
私は緊張しすぎて言葉が出ないし、クライヴ様はもともと寡黙だ。馬車の中はずっと静かで、時折クライヴ様が、「もうすぐ新学期だな」とか、「最近は何をして過ごしていた?」とか、そんな風に話題を振ってくださる時だけ、少し会話が生まれた。
手に汗握る気まずい時間がしばらく流れた後、馬車は王都の中でも貴族たちが多く行き交う、洗練された大通りの近くに停まった。先に降りたクライヴ様はフットマンを差し置いて、自然な仕草で私に手を差し出す。
「おいで」
「……は、はい」
一瞬息が止まった。けれど私は勇気を出して、小さく震える自分の指先を、クライヴ様の手のひらに乗せた。
その手を包み込むように握られ、体温が一気に上がる。心臓が破裂しそうだった。




