18. クライヴ様の甘やかし
それからというもの、クライヴ様はたびたび私に手紙や花を贈ってくださった。数日に一度はサザーランド公爵家の使者が我がハートリー伯爵家のタウンハウスを訪れ、恭しくそれらを置いていく。そのたびに私は胸を高鳴らせ、いただいた花々を見つめながら必死にお返事の文面を考えた。彼の心遣いはとても嬉しいのだけれど、なにせ手紙の内容は、いつもとても簡潔なもの。体に気を付けてよい休暇を、とか、日々健やかに過ごされるよう願う、とか、そんな内容だ。私はいつもお花のお礼を言ってから、昨日はこんな本を読みましただの、こんな勉強を始めましただの、クライヴ様とさほど変わらないくらい短い手紙をしたためていた。
一度、『父が、折を見てご挨拶の場を設けたいとのことだ。日程が整い次第改めて招待を送るので、その時にはよろしく頼む』と記してあり、私は思わず背筋を伸ばしたのだった。
婚約が成立してからすぐに、両親がクライヴ様をまた夕食に招待した。互いのタウンハウスはさほど距離が離れていないとはいえ、王国騎士団の一員であるクライヴ様は、きっととてもお忙しいはず。昔から我が家の招待は必ず受け、顔を出してくださっているのだけれど、ご負担になってはいないかと心配になる。
できるだけ彼との距離を縮めたい。その思いは婚約以来常に心にある。けれど、お顔を見るとやっぱり緊張してしまい、話しかけることができない。見れば見るほどクライヴ様は素敵で、そのうえ迫力や威厳があって、どうしても萎縮してしまうのだ。
そして、婚約して二度目の夕食会でのことだった。相変わらず両親が嬉々としてクライヴ様に話しかけ、彼は淡々とした口調で丁寧にそれに答え、時折兄が口を挟み、私は黙々と食事をする。そんな時間が過ぎ、デザートが運ばれてきた。母が満面の笑みを浮かべ、私に言う。
「ローズ、今日のデザートはクライヴ様が持ってきてくださったのよ。あなたの大好物だから、食後に出してもらうことにしたの。ふふ、ちょうど五個いただいたしね」
「……えっ?」
ちょうどその時、給仕が私の前にプレートを置いた。甘く濃密な香りにつられ自然と視線を落とした私は、思わず息を呑み口元を手で押さえる。
そこにあったのは、琥珀色に焼き上げられたタルト生地の上に、とろりと蜜を含んだ黄金色の果実が輝く菓子だった。
「これ……、ラプルのタルトですか!?」
ラプルとは、数年前に隣国ラシェール王国で品種改良され生まれた果物で、私の一番の大好物だ。手のひらに収まるほどの丸い実の皮は、熟すほど濃桃色に染まる。ひと口かじれば甘酸っぱい果汁が弾け、独特の風味と蜜の香りが口いっぱいに広がるのだ。数年前、家族でラシェール王国に旅行に行った際に初めて口にした。その時から、私はラプルの爽やかな甘さの虜になったのだ。この休暇中に私がラシェール王国に旅行に行ければと願っていたのも、このラプルが目当てだったようなものだ。まぁ、今年も案の定行けなかったのだけれど。
母はにこにこしながら頷いた。
「ええ。サザーランド公爵夫妻とクライヴ様は二日間ラシェール王国に行っていて、昨日帰国なさったばかりだそうなの。よかったわね、ローズ」
「そうだったなぁ。何年か前にラシェール王国に行った時に、お前、このラプルとやらをやたらと気に入っていたよな。ラプルのジャムだの、ラプルを練り込んだクッキーだの、いろいろ買い漁って帰国したっけ。懐かしいなぁ」
兄がそう言って笑うと、クライヴ様が私に視線を向けた。
「……これが好きなのか」
「は、はい! 大好きなんです。ベルミーア王国ではまだ市場に出回ることがほとんどないので、口にするのはとても久しぶりです。ありがとうございます、クライヴ様……!」
低い声でそう尋ねられ、高揚のままにお礼を伝える。
クライヴ様はしばらく私を見つめ、ふいっと視線を逸らした。
「……両親がかの国の友人宅でのパーティーに出席することになり、俺も同行した。その土産だ。……気に入ってもらえたのならよかった」
サザーランド公爵領はベルミーア王国の最も西側に広がる大きな土地であり、ラシェール王国に隣接している。公爵は隣国との交流も多いのかもしれない。
けれど、はしゃぐ私とは真逆にいつも通りの落ち着いた声でそう答える彼の態度に、私はふと我に返った。
(こ、子どもっぽい反応をしてしまったわ……。クライヴ様に呆れられてしまったかもしれない。こういうところ、ちゃんと直していかなくちゃ……)
四つも年上の、サザーランド公爵家の令息と婚約したのだ。その立場に相応しい立ち居振る舞いを、これからしっかりと身につけていかなくては。私を選んでくださったクライヴ様に、恥をかかせるわけにはいかないわ。
そう自分を律しながらも、久しぶりに食べるラプルの美味しさに頬が落ちてしまいそうだった。
その後はラシェール王国についてしばらく話が盛り上がり、やがて私たち家族全員がラプルのタルトを食べ終わった。けれど、クライヴ様は一切手を付けていない。気が付いた母が、控えめに尋ねる。
「あら? クライヴ様、お召し上がりになりませんの?」
「……ええ。持ってきておいて何ですが、私は甘いものはさほど食べませんので。……これも君が食べるといい」
ふいに私の方を向きそう言うと、なんとクライヴ様は、ご自分のプレートを手に取って私の方へと差し出すそぶりを見せた。控えていた給仕がすぐさま近寄りそのプレートを受け取ると、私の席まで運んできた。私は驚き、慌てて遠慮する。
「そ、そんな……! わ、私はもう十分いただきましたので……っ」
「あら、せっかくのご厚意ですもの。ありがたくいただいたら? ローズ」
胸の前で必死に両手を振る私に、母が小さく笑いながらそんなことを言う。手にグラスを持った兄も、ニヤニヤしながら母の言葉に賛同する。
「そうだよ。正式な晩餐の場でもあるまいし。恥ずかしがることないだろう。お前の大好物だと聞いてクライヴがわざわざとっておいてくれたんだからさ」
「…………あ、ありがとうございます……」
なぜだかものすごく嬉しそうにこちらを見ている両親と兄の生温かい視線に、体中が熱くなる。公爵家のご令息が、自分の前に運ばれたプレートを人に渡すなど、普通は決してしない行為だ。それなのに……。
「早速こんなに甘やかされて、幸せ者だな、ローズは」
父がぼそりと言ったその言葉に、私はもう顔が上げられなくなったのだった。




