14. 婚約成立
「……え……?」
今度こそ本当に、私の頭は真っ白になった。
あのクライヴ様が……私との婚約を望んでいる?
私を、妻に? ……この私を? なぜ?
ずっと黙っていた母が、もう我慢ならないとばかりに口を挟む。
「これまで星の数ほどの縁談があったはずの、あのサザーランド公爵家のご子息が、あなたをこそ婚約者にと望んでくださったのよ、ローズ……! 王立学園騎士科を首席で卒業なさって、今は王国騎士団に所属する、あの誉れ高い騎士様が! クライヴ様はすでにお父君のサザーランド公爵閣下にも話を通してくださっているそうなのよ。ああ、ローズ……! あなたの気持ちにそぐわぬご縁ならばと心配したけれど……大丈夫なのね? あなた、嫌ではないのね!?」
「……そっ……、それは……、ええ、でも……」
爛々と目を輝かせて私を見つめる母と兄の圧に押され、思わずそう答えた。けれど、気持ちが全然ついていかない……。頭の中は大量の疑問符で埋め尽くされていた。クライヴ様とは、兄が王立学園に入学して以来、何度かは顔を合わせてきた。けれど、あの方からの特別な好意など感じたことはない。むしろ何かの折に私と二人きりになると、普段以上に無口になっておられた気がする。私は私で、柔和な雰囲気の兄とは正反対のクライヴ様に対しては、うっすらと苦手意識がある。そのうえみっともない姿ばかり見られてきているので、余計に気まずさもあるのだ。
だけど、遠慮いたします、なんて言えるはずがない。
フラフィントン侯爵家との婚約がダメになり、大きな取引先を失ってしまった。そんな我が家に──これが何かの間違いでなければ、ただの取引先というにはあまりにも強力なご縁が舞い込もうとしているのだ。サザーランド公爵家の姻戚ともなれば、我がハートリー伯爵家の格は一気に上がる。社交界での信頼度も発言力も格段に増すだろうし、これはもう失ったものを取り戻すどころか、我が家の未来を塗り替えるレベルのご縁ではないか。
三人は息を呑み、食い入るように私を見つめ続ける。
優しい両親と兄だ。私が難色を示せば、きっととても困るだろう。貴族家の娘として、どう答えるべきかは決まりきっている。
私は静かに大きく息を吸い、全力で口角を上げた。
「……もちろん、お受けくださいませ、お父様。あまりにも恐れ多いご縁ですが、あ、あのクライヴ様でしたら、嫌な理由がございませんもの。サザーランド公爵家に嫁ぐ可能性なんて微塵も考えていなかったから、これから一生懸命頑張って、相応しいマナーを身に付けますね!」
胸の前で拳を握ってそう答えると、皆の顔がますます明るくなった。母がそばへとやって来て隣に座り、私のことを思いきり抱きしめた。
「まぁ……! ローズ! あなたなら大丈夫よ! とても優秀な子だもの……! それに、クライヴ様なら、あなたをきっと大切にしてくださるわ。物静かで紳士的な、とても素敵なお方よ」
「ああ、それはもう間違いない。あいつは本当にいい奴だからな。ルパート・フラフィントンのことは一生許さんが、少しだけあの男に感謝する気持ちが湧いたよ。ははは」
嬉しそうな二人の声を聞いていると、これでよかったのだと心からほっとする。
真面目な顔の中にも喜びを隠しきれていない父が、ゆっくりと頷いた。
「……よし。では、サザーランド公爵とクライヴ殿にお会いし、正式に承諾の返事をしよう」
それからの一週間は、まるで夢の世界にいるかのように現実感がなかった。父はすぐにサザーランド公爵と話をし、クライヴ様と私の婚約が決まった。彼は来週、私に会うために我が家に来られるそうだ。それを父から聞かされた時、緊張のあまり体が飛び跳ね、ついでに心臓も口から飛び出すかと思った。それからずっと、そのことを考えるたびに、私の心臓はパタパタと暴れている。
父と話をしたその二日後。私はオークレイン公爵家のタウンハウスを訪れた。学期末の日にあの騒動があってから、我が家の状況は劇的に変わった。ノエリスもきっとびっくりすることだろう。
オークレイン公爵家の家令に案内され、広々とした明るいサロンでノエリスを待つ。しばらくすると、ラベンダーカラーのデイドレスを着たノエリスが、目を輝かせてサロンに入ってきた。
「ローズ! 久し……」
立ち上がって出迎えた私を見て、ノエリスが途中でぴたりと止まった。そしてこちらをまじまじと見つめている。
「久しぶりね、ノエリス。先日は本当にありがとう。我が家まで送ってくれて、母に事情を説明してくれて……」
「……」
「おかげさまで、もうすっかり元気になったわ。あなたに話したいことがいろいろとあるのよ」
無言で固まっていたノエリスは、私がそう言うと、おそるおそるといった感じでこちらへゆっくりと近付いてきた。そして目の前に立つと、両手で私の頬を挟む。
「あなた……なんて綺麗で可愛らしいの……! これが本当のあなたなのね? まるで別人だわ……!」
「お、大袈裟よ。……でも、ありがとう。ふふ」
目を輝かせながらそんなことを言うノエリスに照れてしまう。今日の私は、瞳の色と同じ濃桃色のレースやリボンがあしらわれたクリーム色のデイドレスを選び、チェリーピンクの小さな宝石がついたネックレスとイヤリングを着けてきた。蜂蜜を垂らしたような艶のある巻き髪は、今日は侍女たちが気合いを入れ丁寧に結い上げてくれた。耳の上には指先ほどの細さの三つ編みが幾筋も編み込まれ、ハーフアップにまとめられている。
久しぶりにめいっぱいおしゃれをして、こうして大好きな友人に会いに来る。
とても楽しくて、幸せな気持ちだった。
満面の笑みを浮かべたノエリスが、私をぎゅっと抱きしめる。
「ああ、ローズ……! 辛い思いをしたけれど、これからはもう、ありのままのあなたでいられるのよね。本当によかった……」
「……ノエリス……」
まるで自分のことのように喜んでくれる優しい友人の背に、そっと手を回す。涙がじわりと込み上げた。




