13. 婚約の申し入れ
ちょうど学園が休暇期間に入ったのはありがたかった。しばらくは授業の遅れなどを心配せず、ベッドの上でぼんやりしていられる。家族の優しさに甘え、私は自分の心と体をゆっくりと休めた。
数日が経ち、ようやくいつもの生活を取り戻しはじめた。食事や睡眠がとれるようになってくると、母から「先日、オークレイン公爵家から使者の方が来たのよ。お見舞いの品物のお届けですって」と伝えられた。届いていたのは、砂糖菓子やチョコレート、それに小さな花々の刺繍が施されたハンカチだった。ノエリスが私のために刺してくれたのだろうか。一緒に入っていた手紙には、『そちらの状況が落ち着いた頃、会いに行ってもいいかしら。早く元気になってね』と記されていた。胸がいっぱいになり、私はすぐさまノエリスにお礼の手紙を書いた。
その日の夜、ルパート様に厳しい処分が下ったことを父から聞かされた。
王立学園で暴力事件を起こしたルパート様。その実家であるフラフィントン侯爵家には、調査が終わるまでルパート様の登校を停止するという通達が出されたらしい。まぁ、今はちょうど長期休暇中ではあるのだけれど。王宮にも報告が上がり、侯爵家のタウンハウスには監察官が派遣されたそうだ。ノエリスや他の生徒たちの証言が添えられた以上、もはや火消しなどできるはずもなかった。
また、ルパート様の父親であるフラフィントン侯爵には、王宮や王立施設への立ち入りを一時的に停止する処分が下った。嫡男の教育を怠ったことが、今回の事件に繋がる要因となったからとの理由だそうだ。
この処分は、実質的には王家からの冷遇宣言と同義だった。オークレイン公爵家は王弟筋。やはりその一人娘であるノエリスの証言の影響は大きかったようだ。
彼女の冷静な報告と学園関係者の一致した証言によって、フラフィントン侯爵家は完全に加害者として処理された。けれど、詳しい調査はまだ続くそうだ。
「婚約解消は認められた。あとは監察局の裁定を待つばかりだ。まぁ、相当な額の賠償金が決まるはずだぞ。愚かな息子を持つと大変だな」
父はおどけたようにそう言って肩を竦めた。あの日以来、皆が私にとても気を遣ってくれている。私は幸せ者だ。娘など政略結婚の駒に過ぎないと考える貴族家ばかりな中で、父も母も兄も、こんなにも私の心に寄り添い、大切に守ろうとしてくれている。大きな取引先を失い、今回の件は我が家にとって大損害となったはずなのに。
その優しさに応えたくてわざとくすくす笑ってみせると、父が少しほっとしたような顔をした。
さらに数日が経ったある日のお昼過ぎ、ノエリスから手紙が届いた。こちらから出向きたいとしたためた私の手紙に対して、「いつでも待っているわ」との返事だった。嬉しくて、訪問の日時を知らせる文面を考えながら、久しぶりにクローゼットを開けてドレスを選んでみる。
(……そうだ。もう私、好きなドレスで出かけていいのよね。ルパート様の指図通りに地味なワンピースで出かける必要はないんだわ)
そのことに高揚し、自然と顔が綻んだ。髪はどんな風に結ってもらおう。久しぶりにこの瞳の色と同じ、濃桃色のレースとリボンの装飾がついたクリーム色のデイドレスを着るのもいいかもしれない。ノエリスにありのままの自分の姿を見せるのは、考えてみたら初めてだわ。喜んでくれるかな。学期末の最終日、私の顔から黒縁眼鏡は吹っ飛んでいったけれど、目は充血していただろうしほとんどずっと下を向いていたから、彼女はまだ私の素の顔をまじまじと見たことはない。
軽やかな気持ちで迎えた、その日の夜。
王宮から帰宅した父と兄に、突然居間へと呼び出された。不思議に思いながら、私は自室を出て階段を下りる。
(一体何事だろう。夕食の席でのお喋りじゃダメなのかしら。……もしかして、フラフィントン侯爵家に関する話かな。あまり良くない内容じゃなければいいのだけど……)
少し怯えながらそっと居間に入る。そこには目を丸くした母と、なんだか強張った表情の父、そして、やけに楽しそうな顔をした兄が揃っていた。
「おお、ローズ!」
「ええ。お帰りなさいませ、お兄様。お父様も。……何かございましたか?」
溌剌とした兄の声に答え、父に向き直ってそう尋ねてみる。すると父は、私にソファーを勧めた。
状況が摑めないままそっと腰かけると、父が軽く咳払いをし、ハンカチで額を拭った。
「ローズ。……その、お前、クライヴ殿をどう思う?」
「……えっ?」
まったく予想だにしていなかったお名前が出たことで、一瞬頭が真っ白になり、その後心臓が大きく音を立てた。
「クライヴ様……、サザーランド公爵令息様、ですよね? お兄様のお友達の」
「ああ」
「……」
やけに切羽詰まった目つきの父が、食い入るように私を見つめる。その両サイドに座る母と兄。母もまるで祈るような、何かを窺うような顔で私を凝視している。そんな中で兄だけが、楽しくてたまらないとでもいうように目を輝かせている。
(ク……クライヴ様を、どう思うか……? いつも真っ黒な装いで、とても体が大きくて……凛々しいお方だけれど、怖いし少し苦手です。……なんて、正直に言える雰囲気じゃないわよね……)
迷った挙げ句、私はおそるおそる口を開いた。
「そうですね……。ご立派で、素敵なお方だと思います」
「そうか!! よかった、ローズ。お前もあいつのことが好きか!」
「……え?」
前のめりにそう言葉を重ねる兄を、父が呆れたように見た。
「そうは言っておらんだろう。ローズは悪印象はないという意味で言ったのだ。少し落ち着け、ナイジェル」
そう咎めると、父は再び私の方に向き直り、一呼吸置いて私の目をじっと見つめ言った。
「実はな、ローズ。……クライヴ殿はナイジェルから、お前とあの男の婚約解消の話を聞いてな、婚約の申し入れをしてこられたのだ」
「……? 婚約?」
「ああ」
ゆっくりと頷いた父が、噛み締めるように言葉を続ける。
「クライヴ殿──サザーランド公爵令息殿は、お前を将来の妻にと望んでおられる。ローズ、お前と婚約を結びたいと、そのように仰せなのだ」




