天使の後始末 ①
「答え合わせって……」
微笑を浮かべるおかきとは対照的に、アクタは目を丸くする。
それもそのはずだ、彼女からすればすべては後の祭りなのだから。
いくらおかきが余裕を見せようと、天使の妙薬が散布された事実は変わらない。 現に火柱は空へと打ち上げられた。
しかしアクタは知っている、こんな状況で負け惜しみを見せるような探偵ではないと。
だからこそ彼女の言葉の意味を考えた。 しかしあの屋上へつながる道は一つだけだ、どうやっても何も階段を上るしかない。
地下の爆弾に気づき、毒島を倒せば間に合わない距離と時間では――――
「――――あ」
間に合う。 そう、アクタが仕掛けた時間調整は完璧だった。
おかきの体力ならば、ギリギリ間に合うようにすべての計画を調整したのだから。
しかしあの屋上に到達した探偵は、汗どころか息ひとつ乱していなかった。
「……うわぁ、探偵さんって人誑しね」
「人聞きが悪いですね、“あの2人”の説得はミュウさんたちに頼みましたよ」
「せやで、こっちはこっちで大変だったんやからなホンマ」
「あっ、ウカさん」
後ろからやってきておかきの肩に手を回したウカの顔には、治療ほやほやのガーゼや包帯が巻き付いている。
激しい戦闘による打撲や骨折に加えて電撃による熱傷。 常人ならば全治数か月の大怪我だが、人ならざる身である彼女にとってはまだまだ軽傷に過ぎない。
「こんばんわ、キツネちゃん。 レキちゃんは無事なの?」
「起き抜けに能力酷使させたからぶっ倒れとるわ、ずいぶんな量を飛ばさせたもんでな」
「すごいなぁ、まさかあの状況から間に合わせちゃうなんて」
アクタは自身の敗北を悟り、クッションに埋もれたまま空を見上げる。
もはや夜闇を貫いて上るあの炎の柱に意味はない、天使の妙薬は空へとはばたかなかったのだから。
「次元君の転送能力を使って探偵さんと地下の麻薬を運び出した、違う?」
「その通りですよ、正確に言えば彼の姉にも手伝ってもらいましたけど」
おかきは屋上へ上る前、ミュウたちの手を借りて(物理的に)叩き起こしたレキたちへ協力を求めた。
時限爆弾が仕掛けられていること、黒幕が存在すること、このままではアクタによって全滅は免れないこと。
幸いにも起きたばかりの2人は状況をすぐに理解し、敵対よりも協力を選ぶ余地が残されていた。
まず次元の能力でおかきを屋上まで送った後、ありったけの“天使の妙薬”をSICKが待機する地点まで転送。
ウカたちは時間が許す限り、避難の寸前まで万が一に備え続けていたのだ。
「さすがに爆弾と火薬をどうこうする時間はなかったけどな、ほんまギリギリやったで」
「そっか、レキちゃんって私のこと嫌ってたから喜んで協力したでしょうね」
「おう、そのレキっちゅうやつから伝言や。 “次に顔見かけたらぶっ殺す”ってな」
「あはは、彼女らしい。 だけどまだ死にたい気分じゃなくなっちゃった」
クッションの中からアクタが両手を伸ばすと、すぐ近くで銃を構えながら警戒していた職員がその手に手錠をかける。
すべての目論見は潰され、天使の妙薬すら拡散できなかった彼女はおかきに完全敗北したのだ。
ゆえに「投降する」という約束は守る、大人しく拘束されたのは彼女なりに探偵へ向けた敬意であった。
「ねえ探偵さん、お願いがあるの」
「いやです」
「私ね、ラブレターを書くわ。 探偵さんにいっぱいいっぱい、だから読んでね? 返事も書いてくれると嬉しいわ」
「いやです」
「でないと私、探偵さんに会いたくて脱獄しちゃうかも」
「………………」
SICKもバカではない、みすみす彼女を逃すような事態はないはずだ。
だけど可能性は0ではない、そのうえアクタという人物が本気で“お願い”していることはこれまでの経験から嫌というほどわかっている。
ゆえにおかきは三度目の拒絶を口に出せず、苦虫を嚙み潰したような表情でただただ痛む頭を抱えた。
「…………善処します」
「やった、愛をこめて書くからね!」
「苦労しとんなぁ、おかき」
「同情するなら代わってください」
「馬に蹴られたくないから遠慮しとくわ、それよりそろそろ撤退せんと人集まってくるで」
ウカの言う通り、夜の中で嫌でも目立つ火柱に集まってきた野次馬の話し声が路地の先から聞こえてくる。
警察に扮したSICKが先回りして規制線を張っているようだが、このまま人が集まれば現場から撤退するのも一苦労だ。
「おいウカァ!! アクタのクソ野郎はどこ行った!?」
「わぁ、悪花様キレ散らかしてる。 たすけて探偵さん」
「不本意ですが見つかると魔女集会との戦争がはじまりかねないですね、逃げましょう」
「うーい、うちは足止めしとくからそっちは頼んだで」
武装職員の肩を叩いて悪花の元に向かうウカを見送ると、アクタを囲んだエージェントたちは素早く撤収の支度に入る。
おかきも彼らの後を追って現場から離れると、路肩に用意された護送車両の中から手を振る甘音の姿が見えた。
「おかきー! こっちこっち、ってかあんた手ェ!」
「甘音さ……そういえば大変なことになってましたね」
今の今までアドレナリンで忘れていた痛みが一気にぶり返す。
ナイフで切り裂き、洗脳された甘音にかみ砕かれ、それでも銃を振るったりと酷使した掌は実にグロテスクな有様だった。
「ああもう、ほら早く乗って! 大丈夫なのこれ、ちゃんと治る!?」
「あだだ……多分大丈夫ですよ、しばらく箸は握れないかもしれませんが」
「一般的に重傷って言うのよそれは! ああもー、傷残ったらどうしよう!? 私のせいよねこれぇ……」
車両内に常設されている救急箱を慣れた手際で扱い、おかきの傷を消毒する甘音の目には涙が溜まっていた。
元はと言えば自分が誘拐などされなければこんなことにはならなかったのだ、彼女からすれば罪悪感を感じずにはいられない。
それでもおかきは恨み言の一つも言わず、無事な方の手で甘音の目じりにたまる涙を拭う。
「大丈夫ですよ、SICKなら医術のレベルも高いはずです。 傷なんて微塵も残らないですよ、心配しないでください」
「ううぅうぅ~……! 優しくされるだけじゃどうにもなんないのよこの気持ちはー!」
「じゃあ帰ったら美味しいご飯を奢ってください、それで手を打ちましょう」
「持てるコネクションのすべてを投じて最高のレストランとフルコースを用意するわ!!」
「あの、そこまでされると逆に恐れ多いんですけども……?」
涙を流す甘音と恐縮するおかきを乗せ、車両はSICKへ戻る道を走り続ける。
結果はどうあれ、こうしてアクタが巻き起こしたはた迷惑な事件がようやく終わりを告げた。
ただし、おかきの胃に甚大なダメージを残しながら。




