絵にも描けないおぞましさ ①
『姫……姫ぇ……姫ェ! 起きてくだされ!!』
「う、ううん……陀断丸さん……あまり姫姫言わないで……」
『おお、ご無事で! 怪我はござらぬか!?』
目覚ましにしては心地の悪い呼び方に嫌でも目を覚ます。
頭が痛い、というか全身が痛い。 どうやらしばらく気を失っていたらしい、たしか意識を失う直前……
「穴……そうだ、海に突然穴が……陀断丸さん、皆さんは!?」
『そ、そこから先は私が説明したほうが早いかもしれないなぁ……』
「っと、ミカ。 あなたも当たり前のように無事ですね」
『死ぬかと思ったんだからなぁ……!!』
手元には陀断丸さんが一振り、そして傍らには涙目で震えているミカが一霊。
同じ船に乗っていたはずのウカさんたちはどこにも見当たらない、それどころか乗っていた船もどこへ行ったのやら。
『藍上……様、周りより“上”を見た方が早い。 説明の手間が省けると思う』
「上? ……って、なんですかこれ」
ミカに促されてみ上げた空には、「海」があった。
深い黒に染められた水の中を漂う魚たち、まるで天地がひっくり返ったような光景に思わず目を見開く。
『この一帯だけ水がないんだ、まるで大きな泡の中みたいに』
「……呼吸もできる、少し暗いですが最低限の光もある。 いったいなんなんですかここ?」
海とこの生存空間を隔てる境目は、端に向かうほど天井が低くなっている。
大きな泡というミカの表現は言い得て妙だ、どうやら私たちはあの穴に飲み込まれてこのドーム空間に落っこちてきたらしい。
『あ、あの境目だけど……だいぶ柔らかいんだ、船が落ちた時も一回受け止めてくれた。 耐え切れず突き抜けてここまで落ちちゃったけど』
「なるほど、高度のわりに無事なのはそういうことでしたか。 そして人が通過してもシャボンのように割れることはないと」
足元の地面はきめ細かい砂地が広がっている、一握り掬い取ってみても水気はほとんどない。
よく見れば私の服も乾ききっている、もしかしてあのドームの境目は余計な水分を弾いてくれるのだろうか。 だとすれば体内の水分はどうやって区別を……
「……いや、考え込んでいる場合じゃないか。 ミカ、ここに落ちた時みなさんはどこへ?」
『さ、境目で受け止められた時にあっちこっちに弾んでいった……たぶん無事、だとは思う……』
「まあウカさんたちなら大丈夫でしょうけども」
心配なのは王子とキューさんだが、私が無事である以上彼女たちもそこまで深刻なことにはなっていないと考えたい。
拭いきれない不安を払拭するためにやはり合流は急務だ、それにこのどこかもわからぬ場所にいつまでも孤立しているのは危険すぎる。
「ミカ、大まかにいいので皆さんの跳んでいった方向を教えてください。 陀断丸さん、もし荒事が必要な時は頼みます」
『心得た、某は周囲に気を配りますゆえ必要な時は呼び掛けてくだされ』
丈が合わなくて不格好だが腰に携え、念のためいつでも抜刀できるように備えていく。
私の実力ではお飾りでしかないが、ないよりはましだ。 願わくば名状しがたき怪物などに出くわさなければいいが……
「……まあ、望み薄ですかね」
天井が最も高い場所、すなわちこのドームの中央に目を向け、ため息を零す。
光源が少なくて全貌は見えないが、そこには天井に屋根が触れそうなほど巨大な城のシルエットがそびえたっていた。
――――――――…………
――――……
――…
周辺を歩き回って少しわかったことがある。
まずこの生存空間を覆うドーム、これは触れて見たところ肌に吸い付くゴムのような感触だった。
押しても突いても破ることはできない、ただ一定以上の圧力がかかるとどういうわけか通り抜けることができる。
その辺に落ちていたサンゴの枝でも、私の全体重をかければドームの外側へ押し出すことができた。
『わ、私の力ならこの泡を抜けてあなたを海の上まで引っ張り上げられるんじゃないか……?』
「難しいですね、みたところかなり水深が深い気がします。 脱出した瞬間に水圧でペチャンコですよ」
『そ、そっかぁ……』
ミカは居心地が悪そうにビクビクしながら縮こまる
彼女にとって塩水に囲まれた状況は針の筵に等しい。 ウカさん曰く幽霊として格が高いため海の塩分程度では浄化されないはずだが、それでも心地いい空間ではない。
「そういえば他にもSICKの救助艇は出動していたはずですよね、そちらは無事なんでしょうか……もし無事ならSICKへ救援を要請しているはずですが」
『姫、また“やつ”がおりまする。 隠れてくだされ』
「おっと、ありがとうございます」
近くにあった手ごろな岩場に身を隠し、そっと息を殺す。
わかったことその2、どうやらこの空間には“先住者”がいるらしい。
「ギチギチギチギチ……」
『ひ、ひぃ……怖……』
(ミカ、声は上げないでくださいよ……)
幽霊であるはずのミカが思わず悲鳴を漏らすほどの異形が、私たちが隠れた岩場のすぐ近くを通り過ぎる。
それは形容するなら「人型に近いダイオウグソクムシ」だった。
鋭い二脚で歩きながら腹に畳んだ節足をワシワシと動かし、巨大な複眼とヒゲで何かを探っている。
『ぬぅ、具足を履く姿は武士と見た。 是非とも一太刀交えたい……』
(今は我慢してください陀断丸さん、私の身体が持たないです)
グソクムシの意思は読めないが、積極的に出会いたいとは思えない。
少なくとも彼(?)が引きずっている錆びた大剣が手放されない限り、私は対話の選択肢を選ばないだろう。
『……行ったぞ、こっちには気づいてない。 もう大丈夫だ』
「よし、それでは引き続き皆さんの捜索を」
『あいや待たれい、先ほどとは異なる気配がまっすぐこちらに近づいておりまする』
「なんですとぉ……」
殺風景なこの空間に隠れられる物陰は多くない、もしやどこかからか私が隠れる姿を見られたか?
だとすればやり過ごすことは難しい、最悪の場合交戦に発展するかもしれない。
『姫、お覚悟なされよ。 某がついております』
「頼りにしています、ミカもできる限り援護を。 私が死ねばあなたの身の安全も補償できませんよ」
『全身全霊で務めさせていただきますぅ……!』
陀断丸さんの鯉口を切って近づく足音との遭遇に備える。
これが味方ならそれでいい、さきほどのグソクムシならば……
『間合いまであと三歩……二歩……一歩……今ッ!』
「動かないでください! 寄らば斬り……あれ?」
呼吸を整え、見つかる前に推定敵の前へと飛び出す。
しかし目前に現れたのはグソクムシでもウカさんたちでもなく、目の下にクマを作ったヒゲ面の男だった。
「き、貴様は……さっきのガキ!?」
「……イオルド、なぜあなたがここに?」




