メーデー ④
「おーいおかきちゃーん! ……っかしいなぁ、このあたりに浮かんでいるはずなんだけど」
目印もない海原を一艘の船が進む。
海上に落ちたおかきを回収するため、キューたちは双眼鏡を片手に波穏やかな海面をくまなく捜索していた。
「このあたりって言われてもずっと同じ景色だよー! 間違ったりしてない?」
「間違いないよ、おいら特製“オシャカ君試作号機”の起動反応から逆算した落下地点はこの座標だ。 そりゃ波に揺られて多少の誤差はあるだろうけど……」
「待ったキューちゃん、なんや向こうにゴミみたいなの浮いてへんか?」
「んー? ビニールゴミ……にしてはデカいな、誰だこんなきれいな海を汚す不届きものは」
「ブクブクブクブクブク……」
「ウワーッ!!? おかきちゃーん!!」
――――――――…………
――――……
――…
「ハァ……ハァ……か、海上で……パラシュートなんて使うもんじゃないですね……」
「そんな死に方じゃ成仏できないよ新人ちゃん」
「何やってんだミカァ! 君にはおかきちゃんの護衛を頼んだろ!?」
『う、海はダメだ……清められる……』
「その程度で浄化出来たら苦労せんわ」
最大の危機を乗り越えたと思い込んで油断していた、まさか水場のパラシュートがあれほど危険だとは。
水にぬれた傘が覆いかぶさって溺水しかけた、せっかく助かったというのにこんなところで死んでしまっては笑えない。
(というかカフ子、助けて下さいよ……)
“改変の多用はどんな影響があるかわからないから危険、といったのはどちらでしたっけ?”
(ぐう……)
ぐうの音が出てしまった、口ばかり回るのは誰に似てしまったんだか。
「瀕死のところ悪いけどおかきちゃん、例のブツは?」
「ああ、それならこちらに」
波にもまれて落とさないようベルトの間に挟んでいた本を引っこ抜く。
私はびしょ濡れだというのに本はほとんど湿っていない。
なんだか納得いかないが、これこそただの本ではないという証明になる。
「今度こそ本物だね、“使えた”かい?」
「二回ほど、脱出と救出のため使いました」
このプランC最大の懸念、それは“過去改変の能力を私たちが行使できるか”という点だった。
もしなんらかのロック機構や認証が必要なら、大空に飛び出した時点で私は死んでいただろう。
その問題を解決したのが、カフ子という情報媒体に対する最大の天敵だ。
“案の定、ヴァルソニア人以外は使えないようでした。 まあ情報生命体である私にとってはザルなセキュリティですが”
(それはよござんしたね)
声だけでも胸を張って誇らしげな姿が瞼の裏に浮かぶ、実際今回の作戦は彼女の発案がなければ実行すらしなかっただろう。
過去改編とはすなわち実際に起きた情報の改ざん、自分なら制御権さえ手に入れれば行使は可能だ、というのがカフ子の弁だった。
“とはいえ改変した情報と言うのは食品サンプルのように味気ない、私は好みませんね。 むしろこの本そのものの方がよほどそそられる”
(さいですか、そもそも何の本なんですかそれは?)
“それは今咀嚼中です、しばしお待ちを”
心なしかカフ子の声が上ずっている気がする、よほど情報源としてこの本を気に入ったらしい。
「うん……うん、わかった。 朗報だおかきちゃん、イオルド一行も無事に着水していたところを確保したと連絡があった」
「それはよかった、これで王子の身も安全ですね……」
「そうデス、おかきさんたちには感謝してもしきれないデスね」
「……ってなんで王子がここに!?」
呼吸が落ち着いてきておかげでやっと気づいたが、私を取り囲むいつもの面々にちゃっかり王子の姿も紛れ込んでいた。
まだ日本海域とはいえここは海のど真ん中、とてもじゃないがこんな小型艇に乗せて王子を釣れてきていい場所ではない。
「すまんな、どうしても自分も付いていくって聞かへんからなぁ……」
「止めたら止めたで暴走しそうだからさぁ、ボクらと一緒にいた方がかえって安全じゃない?」
「2人が護衛なら安心ですが……まあ何事も起きてないならそれでいいです」
「おかきさんが命を張ってくれているのに、自分だけ安全な場所で待っているなんてできないデス!」
あなたのために身体を張っているのにそれでは本末転倒だ、という話は野暮か。
せっかくの空気に水を差したくはない、思うところはあるけど王子への苦言は後ろで胃を抑えているキューさんに任せよう。
「キューちゃん、おかきもびしょ濡れやさかいそろそろ引き上げようや。 夏とはいえこないなところおったら風邪引くで」
「っと、そうだね。 イオルドを回収した部隊と合流しよう、帰りも油断せず……おっとっと」
キューさんの話を遮って船が大きく揺れる。
波の影響……ではない、周囲の水面は穏やかだ。 よろめくような荒れ模様ではない。
「キューさん、大丈夫ですか?」
「なあにこの程度ですっ転ぶほど運動不足じゃないさ、しかしなんで……」
首を傾げたキューさんが船の外を覗き込んだ途端、その顔色からさぁっと血の気が引いていく。
その視線の先には――――“穴”があった。
まるで風呂のゴム栓を引っこ抜いたように渦を巻き、海を飲み込む巨大な穴。
この小さな船体などすっぽり収まってしまうような穴が、そこにはあった。
「…………か、か、か、回避ィー!!」
「ウワーッ面舵いっぱーい!! パイセンなんとかしてー!!」
「どうしろっちゅうねん!! あかんこれ無理や、間に合わん!!」
「な、なんデスかあれ!?」
「わかりません! とにかく船のどこかに掴まってください、渦に攫われたらそれこそおしまいですよ!」
何の予兆もなく、突然現れた巨大な穴。
いくら歴戦の面々とはいえ、対処しようにもあまりに猶予はなく――――私たちは船ごと穴の底へ飲み込まれていった。




