酒気帯び先生 ③
「クソ……なんなんだ、あれは」
飯酒盃たちの死角となる物陰から様子を伺っていた男が悪態をつく。
王子が日本へ保護を求めた組織、男もただの治安維持組織ではないとは勘づいていた。
だが所詮は平和ボケした島国、自分が持つ力があればどうにでもなる――――と、驕っていなかったと言えばウソになる。
「……SICK、覚えたぞ……なるほど、その名の通り私にとっては病のような鬱陶しさだ」
片手の本を握る腕に力がこもる。
怒り任せの握力でも握りつぶすどころか、革表紙に凹みすらつけられない。 あくまで男はただの人間に過ぎないのだから。
つまり今、往来のど真ん中で新たに封を切った一升瓶を飲み干している飯酒盃には絶対に敵わない。
「王子も、貴様らも、我々の障害にはさせん。 我らが祖国に、揺るがぬ繁栄を……!」
策が必要だ。
雑な改変では太刀打ちできない、必中必殺の策が。
ゆえに男は臥薪嘗胆の思いを胃の腑に飲み込み、影に消えるようにその場を後にした。
――――――――…………
――――……
――…
「グビッグビップハー! 一仕事終えた後の大吟醸は美味い!!」
「私未成年だけど大吟醸ってラッパ飲みするような酒じゃないわよね」
「常人なら救急搬送待ったなしですね」
「恐ろしいデス……」
凶悪犯という男を一撃でのした飯酒盃先生は、サイドカーに隠してあったお酒を一息に飲み干していた。
正気の沙汰とは思えないがこの人にとってはこれが日常、絶賛気絶中の男も特殊合金製の拘束バンドで無力化済みのため、多少のブレイクタイムはとやかく言うまい。
「おーい新人ちゃーん! 助けに来たー……って、もう終わってる?」
「なんや飯酒盃ちゃん、1人で片付けてもうたんか」
「あら、稲倉さんに山田さん。 ごめんねぇ、手柄は先生の独り占めですよ~」
ビルを蹴って跳んできたのか、空から降ってきたウカさんと忍愛さんが道路のど真ん中に着地する。
2人とも服の土ぼこりが目立つ以外、大した怪我もない。 ビルの崩壊に巻き込まれたはずだが、やはりこの2人なら無事だったか。
「無事なら誰の手柄でも構わんわ。 おかき、ほいこれ」
「うわっと……おお通信機、ありがとうございます」
『はいはいもしもーし! 無事だねおかきちゃん、王子も無事だねおかきちゃん!?』
ウカさんから投げ渡されたイヤリング型の通信機をさっそく耳に装着する。
するとすでにチャンネルを合わせて待機していたようで、骨伝導を通してキューさんの声が花火の轟音にやられた鼓膜に飛び込んできた。
「お、お疲れ様ですキューさん……こちらは全員無事です、飯酒盃先生が守ってくれました」
『さすがエージェント飯酒盃、酒に溺れても仕事はきっちりこなしてくれたか。 こっちは胃が2~3個爆発するところだったよ……』
「予備が豊富なようで何よりです」
「キューちゃん、このままぼっ立ちしてまた花火ぶち込まれても面倒だよ。 一度王子サマ地下に仕舞っちゃったほうがいいんじゃない?」
『言い方! ……まあ主犯格の男を逃がした以上、こっちから仕掛けることはできない。 お疲れ様みんな、一度SICKに戻って体勢を立て直そうじゃないか』
――――――――…………
――――……
――…
「ふぃー、ただいまSICK! じゃあ先生はちょっと食堂でビール飲んできますね」
「まだ飲むのね」
「今は好きに呑ませた方がええで、飯酒盃ちゃんなら仕事に支障も出さへんやろ」
「に、ニッポンの地下にこんなすごい基地が……」
「肩の力を抜いたほうがいいですよ、王子。 今から驚いてると疲れてしまいますから」
基地を出たのは朝のこと、まだ半日も過ぎていないというのになんだか懐かしい気分だ。
武装トラックよりも仰々しい装甲車両に乗せられた私たちは、どうにかSICKへ戻ってくることができた。
「やあやあみんなお帰り、全員五体満足で何よりだよ。 ミカっちもよくやった、お供え物にパンナコッタを用意してあるから食べていいよ」
『な、なんだそれは……美味いのか……? 毒じゃないだろうな……』
「うちの厨房が腕を振るった逸品だぜ。 ……さて、ようやく落ち着いて話ができるかな」
ミカを見送ったキューさんが表情を引き締め、気持ちを仕事モードに切り替える。
その手に空の胃薬ビンが無ければ、SICK副局長として十分な威厳が備わっていただろう。
「でもキューちゃん、過去改変ってやつがまた襲ってこないとは限らないんじゃないの?」
「その点は問題ないさ、おそらく敵の改変動作は視覚を起点にしている。 なによりこの地下は現実強度を固定する措置が取られている、ちょっとやそっとの小細工じゃビクともしねえぜ」
「カコカイヘン……ゲンジツキョード……?」
「ふふ、王子は分からないでしょうね。 私もよくわかってないわ!」
「甘音さんにはあとで説明しますね。 ということキューさん、地下に籠っている限り王子の身は安全と考えても?」
「そうだ……と、言いたいんだけどねぇ。 どうも向こうもそれは看過してくれないようだ」
「と、言いますと?」
「クーデター側に動きがあった。 王子、申し訳ないがあなたに確認してほしい映像がある――――おいらたちじゃ判別がつかないから、あなたの確証が欲しいんだ」




