青凪ホテル電撃戦 ④
「よいしょっと……いやあ軽い軽い、軽すぎて心配になるな。 ちゃんと食べてるかい?」
「い、一応日々不足ない程度には……ってそういう話はあとですよあと! 生きてたんですね小山内先生……」
「なんとかね、公安たるもの事前に退路を確保するものさ。 それでもギリギリだったけど」
小山内の手を借り、おかきはなんとか小さい身の丈でありながら天井へと昇る。
埃っぽい天井裏で頬の汗を拭っているのは、このホテルで失踪したはずの小山内だ。
左肩から血がにじんでいるが、的確に止血されており。致命傷には遠い。 大目に見れば無事と呼べるコンディションだ。
「命があっただけ何よりです、そしてこうなったら長居は無用です。 バニ山さんが復帰次第逃げましょう」
「いや、それはできない。 藍上くん、君はこのホテルの違和感に気づいているか?」
「あの銀色の怪物以外に? ……ああ、なるほど」
下ではまだ見えない罠を警戒しているのか、液体生物たちが扉の前で蠢いている。
“罠があるかもしれない”という疑念がある今、あからさまなシーツで覆い隠したバニ山に危険が及ぶことはないだろう。
だが廊下に密集した連中がいつ室内へ踏み込むかはわからない……廊下に密集した液体生物たちが、だ。
「気にする余裕がありませんでしたが、たしかにおかしいですよね。 静かすぎる」
「その通り、いくら夜遅くとはいえ君たちと銀スライムとの戦闘は結構な騒音を立てた。 そのうえ廊下にギチギチ詰まったスライムに誰も気づかない、そんな話があるか?」
おかきは黙って首を横に振る。
そもそも屋上での戦闘はともかく、バニ山がこの部屋に侵入する際にも窓を盛大に叩き割った。
隣室ならば気づいてもおかしくはない騒音、だというのに人が生きるどころか廊下でひしめく液体生物に対する悲鳴の声すらない。
「わたしが確認した限り、このフロアに我々以外の人間はいない。 すでにあのスライムたちに攫われた後だ」
「攫われた? なぜそんなことを……?」
「さあね、餌にするかあるいは擬態の材料か。 ともかく穏やかな目的ではなさそうだよ」
「……擬態、ですか」
旅館に投げ込まれた石や屋上で出会ったベルマン、液体生物たちの擬態性能はおかきも重々承知している。
質感まで高いレベルで模倣する力は外見から見破ることは難しい、弱点があるとすれば発話能力の低さだ。
だが人間という教材を大量に確保し、その学習速度を生かして言語を学んだとしたら?
「殺さずに攫ったということは利用価値があるということだ、逆に言えば価値がなくなればどうなるかわからない。 やつらが余計な力をつける前に阻止するべきじゃないかな?」
「それはそうですが……せめてウカさんたちに救援要請を」
「できたらいいんだけどね」
大げさに肩を落として見せた小山内は自分のスマホを取り出し、おかきへ見せる。
ホーム画面の右上に表示されているアンテナは全滅し、「圏外」の2文字が表示されている。
おかきも自分のスマホを確認してみるが同様だ、砂漠のど真ん中でも通信が可能な特殊端末だというのに。
「見ての通り通信は妨害されている、藍上くんの帰りが遅くなれば増援を見込めるかもしれないが……聖はわたしを見捨てただろう?」
「それは、まあ……申し訳ありません」
「いや責めてるわけじゃないんだ、わたしもきっと同じ判断をした。 むしろ君が来たことがイレギュラーだった、わたしとしては嬉しかったけどね」
「……イレギュラーで申し訳ありません、けど無事でよかったです」
「君も強情だな、まったくまったく……」
自分を見つめるおかきの真っ直ぐな視線から逃れるように小山内は顔を背ける。
その直後、下の部屋で「ばしゃっ」と大量の水が弾けた音が響いた。
音の発生源はもちろんあの液体生物たち。 隙間さえあればどこからでも入り込んでくるあの銀色の魔物たちが、天井板のすぐ下を這い回っている。
「おっと、少し悠長に話し過ぎたか。 やつらもしびれを切らしたようだ、ここを離れよう」
「ですがバニ山さんが……」
「スライムたちの攻撃じゃ彼女に傷もつけられない、むしろ無理に回収するより我々がやつらを連れてここを離れた方がいい」
眼下ではでは室内を銀色の水たまりが侵蝕し、設置していた罠を飲み込んでいくさまがはっきりと見える。
いくつか攻撃的な罠も残していたが、電気を伴わないものはやはりそこ案で効果はないようだ。
なお露骨にコンセントと接続されているバニ山は特に警戒されているのか、彼女を隠しているシーツには液体の飛沫すら触れようとしていない。
「行こう。あれだけの数だ、バニ山の起動を待っていたら共倒れになる」
「……はい。絶対、戻ってきますから」
小山内の冷静な判断に、おかきも唇を噛み締めて頷いた。
二人は天井裏の狭いダクトを這い、身を縮めながら匍匐で進む。 かすかに水音のようなものが背後から響いてくるが、追ってきているのか単なる錯覚かの判断はつかない。
永久にも思えるわずか数分の行軍。 ようやくダクトの出口である通風孔のパネルが外れ、そこから雪崩れるように2人は細い廊下に出た。
「こっちだ、非常口なら奴らの手は回っていない。 宿泊客たちは地下に集められている」
「わかりました、急ぎましょう」
後方の通路を警戒する小山内に急かされ、おかきは誘導灯が照らす道に従い、その先に立つ防火扉でふさがれた非常口のドアノブに手を掛ける。
施錠はされていない、ノブを回せばホテルの外に設置された非常階段は目前だ。
「けど小山内先生、本当に無事で何よりでした。 さすが現役公安というべきでしょうか」
「ふふ、君にそう言われると照れるなあ」
小山内は笑いながら、そっとおかきの肩に手を掛ける。
――――ぬるり、とおかきの背中に水を這わせたような感触が伝う。
「っ――――!?」
背筋を走る悪寒。 おかきが本能的に振り返ろうとした、その瞬間――――
「ごめんね、そしてありがとう」
耳元に囁かれたのは、たしかに小山内の声ではあった。
だがどこか機械的で抑揚のないそれは、おかきの知る“小山内先生”ではない。
肩に置かれた手が溶ける。
熱を失い、粘度をもった銀色の何かにぬるりと包まれていく感触。
おかきの肩口から首筋へと、液体が這い上がる。
「なっ……!?」
振り返った先にいたのは、小山内の顔を模した“仮面”だった。
その下から滴る銀色の触手、表情の崩れた偽物の“笑顔”。
「本当に人間は、バカ正直に騙されてくれる」
小山内 好の声で、小山内 好の顔で、その銀色の怪物は無力なおかきをあざ笑うのだった。




