青凪ホテル電撃戦 ③
「……とりあえずここまではどうにかなりましたね。 バニ山さん、充電はいかほどで終わります?」
「zzz……」
「寝てるぅー……本当に私一人でどうにかするしかなさそうですね」
ソファに半身を預けるバニ山は、壁のコンセントから延びたコードを背中に接続し、文字通り“休眠”している。 額で点灯するゲージがこの部屋唯一の光源だ。
カーテンを閉じたホテルの一室は、棺桶の中のような静寂と暗闇に包まれている。 部屋の灯りは点けられない、本来ならこの部屋に客はいないのだから。
この部屋に泊まっているはずの客は、すでにその姿をくらましている。
「……小山内先生」
暗闇に目が慣れてきたおかきが見たものは、凄惨な部屋の有様だった。
壁紙はズタズタに引き裂かれ、羽毛が散ったベッドはスプリングが飛び出している。 備え付けのテレビは液晶が砕かれ、まるで嵐が過ぎ去ったかのようだ。
だが犯人は嵐でも夕立でもない。 その証拠に切り裂かれたベッドシーツの裾には、まだ新しい鮮血が染みついていた。
「落ち着け……この部屋に遺体も肉片もない、出血量もまだ少ない……大丈夫、大丈夫」
吐き気がこみ上げる視界の裏でフラッシュバックするのは、父がいなくなったあの日の記憶。
口の中が渇き、鼓動がうるさいほど大きく感じられる。 また明日会えると思っていた人が突然いなくなるトラウマが、おかきの身体をこわばらせる。 絶望に膝を折ってしまいたくなる。
「……まだ、私は諦めていない」
それでも、探偵は顔を上げた。
ここで小山内 好の生存を諦めたら、父親の失踪を追いかける資格がない。
胸の奥を掻きむしりたくなるような情動を正気と理性で押さえつけ、おかきは部屋の強化を始める。
理屈は分からないが液体生物たちは情報を共有し、侵入者の存在を即座に察知する。
この部屋で息をひそめていても見つかるのは時間の問題だ、バニ山の充電が完了するまで持ちこたなければならない。
おかきの手元にあるのは非常用の備品やアニメティ、割りばし、瞬間接着剤、あとはバニ山の予備パーツと思われる謎の金属やベッドのスプリングなど。 これらを組み合わせて即席のトラップを作る。
「弱点は電気、ウカさんがいればイージーゲームでしたが……ないならそれなりに打てる手はあります」
――――――――…………
――――……
――…
……ずるり。 床から銀色の水たまりがゆっくりと絨毯の上に広がっていく。
なにも律儀に扉から尋ねる必要はない、なぜなら“それ”は人の形をしていないのだから。
やがて十分な体積を得て下手くそな人型を形成した生き物は、片手を刃物状に鋭利化させ、獲物を探し始めた。
「お客様、大丈夫です、お客様、安心です」
口ですらない空気穴からこぼれるのは、男か女かもわからぬ声で紡がれる適当な言葉の羅列。
当然ながら安心安全などは程遠く、あるのはただ殺意のみ。 声に釣られて顔を出せば串刺しになるだけだ。
「ひっ……」
「お客様?」
しんと静まり返った部屋の中で上がった悲鳴は、シーツで盛り上がったベッドの中から。
そして躊躇なく伸びた液体生物の腕は、ベッドごとシーツを串刺しにした。
柔らかく重い物を貫いた手ごたえに、液体生物の身体が愉悦するかのように一瞬震える。 だが――――
「……やっぱり初見は愚直に来てくれますよね」
「お客様……お客様?」
ベッドの後ろに隠れていたおかきがひょっこり顔を出す。
シーツに包まれていたのはおかきの身体ではない、あるものをくるんで縛った毛布の塊だ。
中身は備え付けの冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターのボトル、それも豪勢に5本分。 そんなものを刃物で突けば当然水があふれ出す。
そして包んでいたのはペットボトルだけではない。
「さすがいいホテルなだけありますね、アメニティも充実しています」
おかきが握っているのは限界まで引き延ばされた電源コード、その行先は串刺しにされたシーツの中に続いている。
それは事前にスイッチを入れたまま水没させておいたドライヤーだ。 ずぶ濡れの上からミネラルウォーターまで被ったところで、電源を入れたらどうなるか?
「お客――――」
「次の方はもっと学習してくださいね、まだ罠はいくらでも用意してあります」
プラグをコンセントに差し込んだ瞬間、激しい火花が瞬いた。
液体生物の体表が激しく震え、燻り、色あせた末にドロリと輪郭が崩れていく。
これまでの経験から二度と動くことはないだろう。 感電作戦の結末を確認したおかきはすぐにプラグを引き抜き、結んだシーツをほどいてドライヤーを引っ張り出す。
「ふー、引火しなくてよかった……ブレーカーも落ちない、このくらいの電力でも威力としては十分か」
湿った布団とミネラルウォーターのおかげで火災の心配はないが、ドライヤーは完全に沈黙してしまった。 もう一度同じ罠を張るのは不可能だ。
だが、1度成功すればそれでいい。 なぜなら液体生物たちは学習するのだから。
「お客様」 「お客様?」 「お客様……」 「客、お客、お客様」 「お客客客客」
「……まさかこれほどうまくいくとは」
扉の向こうからは群がりつつある液体生物の泣き声が聞こえるが、誰も先陣を切って踏み込んではこない。
1体が罠を踏み抜いたことで液体生物たちは学習した、「この部屋には自分たちを殺す罠が張られている」と。 だから正体が分からないまま同じ轍を踏む真似はしない
あまりも愚直で素直な思考ルーチンだが、現に液体たちはおかきが張った“至高の罠”にまんまと嵌っていた。
「だけどこれも時間の問題、バニ山の充電が完了するまで持つかどうか……」
「やあ藍上くん、ずいぶん悍ましい状況だね。 こんな幼子を寄ってたかって虐めるとは許しがたい連中だ」
「はぁーん? 誰が豆粒トヂビで……って、は?」
「こっちこっち、上を見てくれ。 その小っちゃくてプリティなお顔を真上に向けてくれ」
聞き覚えのある、そしてむかっ腹が立つその言葉に従いおかきは顔を上げる。
天井の点検口を開き、真下に向けて手を振っているのは、まさにおかきたちが捜索しているはずのロリコンだった。
「お……小山内先生……?」
「話は後だ、手を貸すからまずは登ってきてくれ。 やつらが踏み込んでくるまで五時間はないぞ?」




