ギンイロオバケの怪 ⑤
「あばばばばば揺れる揺れる風がダイレクトに直撃する!! バニ山さん、これ本当に安全性とか大丈夫ですか!?」
おかきは悲鳴混じりに叫びながら、バニー耳メイドの腕の中でもがいていた。
空には雲ひとつなく、満天に輝く星空が海に反射し幻想的な景色を作り出している。 だが、それらの美しい情景を楽しむ余裕など、おかきにはまるでなかった。
バニ山さんに抱きかかえられて飛行している今の状況、おかきの体と空の間に存在するのはメイドの両腕だけ。 それも安全バーやベルトなど存在せず、手が滑ればスカイダイビングも顔負けの地上直行コースだ。
「安心するがいい、最大5tまで積載可能なこのバニ山アームはお客人を掴んで離さない」
「それはそれで死因が変わるだけでは!?」
「細かいことは気にしない、それすなわちメイドの嗜み」
ツッコミも虚しく、風圧で髪がグシャグシャに乱れ、おかきの目には涙が滲む。
ロマンとスリルが混在した空の旅と言えば聞こえはいいが、バニ山に命を預けるこのシチュエーションはスリルが圧倒的に勝りすぎている。
「で、ででででですがありがとうございます、バニ山さん……!」
「どうしたお客人、快適すぎる空の旅にチップが必要か?」
「いえ、むしろクレームを入れたいところですが……お礼というのは、あの場から私を連れだしてくれた件でして」
恐怖を誤魔化すために会話を交わそうと、おかきの口から自然とこぼれたのは感謝の言葉だった。
小山内を助けに行くことが許されない、そんな状況をバニ山の破天荒な行動が打破したのだから。
「気にすることはない、バニ山さんがロリコンのお客を助けに行くだけだ。 お客人こそなぜついてきた?」
「“また明日”と別れた相手と二度と会えなくなることがトラウマなもので」
「なるほど理解、メイドは聡明なので深くは聞かない。 だがお客人は荒事ファイトが得意な方か?」
「大の苦手です、ですが役に立てるとは思います。 ちなみにバニ山さん、ホテルは目前ですが侵入経路は?」
「壁をドーンしてバーンしてドゴーン」
「速やかに高度を上げて屋上に着陸してください! 隠密行動を心がけましょう!」
「なるほど理解パート2、ではそのプランBで行こう」
隠密の「お」の字もない潜入作戦を即時軌道修正し、バニ山はウイングの出力を調整して高度を上げる。
潮音旅館と顧客が競合していただけあり、互いの距離はそこまで離れていない。 すでにホテルは目と鼻の先だ。
そして言動こそ破天荒だがバニ山の飛行技術はそつがなく、おかきが目的地さえ設定してしまえば、屋上への着陸もスムーズなものだった。
「ヘリポート付きで助かった、このマークがなければバニ山さんは航空法に違反する」
「航空機扱いなんですね……っと、しっかり鍵も掛かっていますか」
スリル満点浪漫飛行から解放されたおかきは、乱れた髪を手櫛で正し、この屋上唯一のに取り掛かる。
ドアノブは当然のように回らないが、そんなことは想定の内。 おかきは髪の中に隠した針金を取り出すと、カギ穴に差し込んで内部のシリンダーを弄り始めた。
「ほう、巧いものだ。 ハワイで親父に習ったか?」
「探偵の必須技能ですよ、これぐらいは役に立ちませんとね……っと、開きました」
屋上を封鎖する錠は古いもので、突破までの時間は30秒と掛かっていない。
それでも焦ることはなく、慎重にドアを開けたおかきの視線は、真っ暗な内部を素早くなぞった。
屋上への立ち入りが少ないからか、照明はすでに落とされているらしく、階段へと続く踊り場は不気味な闇と静寂に沈んでいる。
「まあ屋上から侵入してくるとは思わないですよね……」
「油断するなお客人、油断一秒冥土一生だ」
低く囁くバニ山の手には、いつの間にか非常用の小型LEDライトが握られていた。
ぱっと灯った光が、おかきの顔と誰も居ない階段を照らし出す。
「なんというかそこは……目が光ったりしないんですね」
「ご要望とあらば頭部をシックな空間を演出する間接照明に換装できるがお望みか?」
「いえ、失言でした。 目立ちすぎるのでやめましょう」
おかきはライトで階下に誰も居ないことを確認し、一段ずつ足を運び始める。
足音を極力抑え、手すりにも触れずに下るその動きは、長年訓練を積んだ諜報員の風格だ。
「バニ山さん、階段の踊り場から監視カメラの類は確認できますか?」
「任された、バニ山さんパルスはドッキリ番組の隠しカメラさえ空気を読まず看破する……しかし成果は0件、チップは9枚でいい」
「お財布忘れたので後払いでお願いします、しかしこんなあっさりと侵入できるものですかね……」
即座に戻ってきた分析結果に、おかきは小さく息を吐いた。
本来なら宿泊客やスタッフが出入りすることのないこの屋上扉からの侵入は、目撃されるリスクが低い。
しかし、このホテルには“何か”がある。 少なくともおかきは小山内との通話から確信を持って踏み込んだ。
だというのに、このホテルはあまりも静かすぎる。
「妙ですね、不自然なくらい無防備。 罠じゃないことを祈りますけど」
「祈るより備えるべきだと具申しよう、お客人はバニ山さんの大きな背中に隠れているといい」
「ちょっと待ってください、今もしかして相対的に私のこと小さいって言いましたか? 応えてくださいバニ山さん、これは今後の信頼関係に関わる重要な問題ですよバニ山さん」
早口でまくし立てるおかきを無視し、バニ山はおかきの前に身体を出す。
そのままメイド服にくっついた金属パーツをもぎ取り、伸縮式の盾を展開。 ボディと同じ特殊超合金製のその盾は、普通の銃弾程度ならいとも簡単に弾く。
クラシカルなメイドが盾役として堂々と先行する姿はどこか滑稽でもあったが、頼もしさは本物だった。
「無視しないでくださいバニ山さん、私こう見えて四捨五入すれば140㎝あるんですよ! 実質2mと言っても過言ではないかもしれませんよ、ねえ!」
「……待てお客人、バニ山イヤーに反応あり。 1人分の足音だ」
「むぐっ……」
盾を構えるバニ山の足が止まり、おかきも咄嗟に自分の口をふさぐ。
雑音が消えたことで静まり返った踊り場には、バニ山の言う通り何者かの足音がだんだんと近づいてくるのが分かる。
「一階段下……歩幅1メートル強、成人男性の体格を想定……しかし――――」
バニ山の瞳が、青く淡く光を放ちながら見えない何かを計測する。
その唇から続いた言葉は、まるで寒気を誘うような冷ややかさだった。
「生体反応、なし」
「……なんと」
バニ山の言葉におかきが眉をひそめる。 生体反応がない、つまりそれは“人間ではない”ということだ。
足音はまちがいなく“それらしく”聞こえているのに。
「――――いらっしゃいませ、お客様。 何か御用でしょうか?」
その瞬間、LEDライトが照らす階下から姿を現したのはホテルの制服に身を包んだベルマンだった。
第一印象は人当たりの良い好青年、万客を歓迎する笑顔は見る者の緊張を解きほぐしてくれる。
こんな夜更けのシチュエーションでもなければ、誰もその違和感に気づくことはないだろう。
「いらっしゃいませ、お客様。 何か御用でしょうか?」
「ええと。 すみません、私たち実は迷子になっちゃって」
「いらっしゃいませ、お客様。 何か御用でしょうか?」
「…………ええと」
「いらっしゃいませ、お客様。 何か御用でしょうか?」
壊れた機械のように、青年は同じ言葉を同じ抑揚で同じように繰り返す。
そして次の瞬間、その笑顔の皮はズルリと剥げ落ち、中から鈍く輝く銀色の液体があふれ出した。
「お客人、下がれ!」
「いらっしゃいませ、お客様――――何か、御用でしょうか?」




