オーシャン・ミステリー ⑤
「あばばばばばば……」
「今日は甘音さんのテンションが乱高下しますね」
「無理せん方がええでお嬢、ここ足場悪いし一回宿に帰った方がええんとちゃうか?」
「対幽霊に関してはあんたたちにくっついてるのが一番安全なのよ!!」
「それもそうやったな」
「それで稲倉さん、あなたから見てこの岬はどう思う?」
吹き付ける潮風に流される髪を押さえ、飯酒盃は斜めに傾いた「この先立ち入り禁止」の看板が立つ上り坂を見上げる。
海水浴場から距離もあり、がらんと静まり返った坂の延長線、その先に広がる空と重なるようにして切り立った岩の断崖がそびえている。
申し訳程度に建てられた転落防止の木柵はおかきでも乗り越えられるほどの高さしかなく、体重をかければへし折れてしまいそうなほど脆い。
「んー……なんも感じひんわ、幽霊っちゅうより火サスのクライマックスの方が似合うとこやな」
「で、でででででもあのナンパ男が言ってたギンイロオバケの目撃場所なんでしょ? 何もないってことはないんじゃ……」
「せやな、何人か飛び降りて死んどる。 地縛霊になりかけてたから成仏させといたで」
「そんなスナック感覚で除霊できるのね……」
「いうて悪さできんくらい弱い霊やで? 多少集まっても噂になるほどとは思えんわ」
「でも彼は友達数名とともにここで見たと言っています、ギンイロオバケを」
海の家で酔い潰されていたナンパ男の証言曰く、「この場所で人の形をした全身銀色の何かを見た」と。
輪郭はぼやけ、まるで非常口のピクトグラムのようだった。 ゆえに“ギンイロオバケ”。
彼の他にもポツポツとギンイロオバケの目撃証言もあり、ホラー通の間では最近流行りの心霊スポットとなっているらしい。
「SICKも補足できないほど新しくて小さな噂……だけど火のないところに煙は立たない、原因となったなにかはあるはずですね」
「オバケではないなにか、か。 飯酒盃ちゃん、ちょっと誰も来ぉへんか見張っててや」
「はーい、行ってらっしゃい」
ツーカーで通じ合った2人は互いに背を向けたかと思うと、ウカは柵から身を乗り出して崖を飛び降りた。
人間ならば命が助かる高さではないが、甘音が少し驚いた程度でおかきたちに動揺はない。
その期待に応えるように、数分待てばウカは何事もなかったかのようにがけ下から駆けあがっておかきたちの元へ戻ってきた。
「お疲れ様稲倉さん、収穫はどうだった?」
「ぼちぼちやな、うちじゃよう分からんけどこれって何かわかるか?」
服に身誰もなく、息ひとつ乱していないウカは崖下から見つけてきた収穫物を取り出した。
それは何の変哲もない石ころ……なのだが、その表面には奇妙なものがこびりついていた。
「……なんですか、これ?」
銀。
それは乾いているのにどこか濡れているような質感であり、光の角度を変えるたび、生き物のように揺れる輝きは、あまりにも異質だった。
「銀色の……液体? 金属じゃないの?」
「水銀? にしてもなんでこんなところにあるのかって話ね~、キューちゃんに聞けばなにかわかるかな? 稲倉さん、念のため素手で触らないで」
「わかっとる、それになんや嫌な感じすんねん。 これと同じのが崖下になんぼか垂れとったわ」
「回収……したほうがいいんでしょうか?」
「ウカの直感が正しいならあまり集めるのもよくなさそうじゃない? それにもし水銀なら気化したものを吸うだけで危ないわ」
「私はSICKと連絡取ってキューちゃんにこの液体の分析を頼んでみるわ。 3人は危ないから砂浜に戻ってしばらく自由時間、先生と約束ね~」
「わかりました。 ……ウカさん、あの液体ですけど地面にだけ垂れていたんですか?」
「ん? いや、崖壁にもなんぼかくっついとったな」
「地面から壁に続いて付着した液体、それにギンイロオバケ……ねえおかき、これってもしかして」
「……銀色の“なにか”がこの崖を這いあがってきた……?」
「なあおかき、もしそうやとしたらそのギンイロオバケって――――そのあとどこに消えたんや?」
――――――――…………
――――……
――…
「あ゛ー……なんかいろいろモヤモヤ抱えたままじゃせっかくの海も楽しめないわね」
「あれが水銀なら重金属に汚染されているかもしれない海域ですしね」
「人が泳いでる時に嫌なこと言うなやおかきぃ……」
じりじりと差す日差しに肌を焦がされながら、3人は泳ぐでもなく、浮き輪にはまりながらゆらゆらと海辺を漂う。
海で遊ぼうにも頭の隅には例の液体が過り、楽しむ気にもなれない。
おまけに問題はギンイロオバケだけではなく、旅館の件もなにも進展はないのだ。
「どう思います? ギンイロオバケと旅館の幽霊、偶然と思いますか?」
「私としては幽霊じゃなくて実体のある何かならそれに越したことはないわ」
「うちはもうお嬢の怖がる基準がようわからん……」
「生きているなら問題ないのよ、死んでるのに動いてるのが理解できないの!」
「甘音さん、この仕事続けていると多少の不思議は『そういうものだ』と受け入れられるようになりますよ……」
「まあ良くも悪くも受け入れられるようになっとる……ん?」
バナナボートに掴まっていたウカの髪の毛がピンと跳ねる。
人目もあるため神の力を押さえているが、それでも抑えきれない聴力が何かを察知した。
「ウカ、どうしたの?」
「……浜辺の方でなんや騒いどる、喧嘩か?」
「んー……たしかに人が集まっていますね」
ウカに言われて砂浜の方に目を向けると、遠目だが海の家の近くに人だかりができているのが見えた。
事故かはたまた乱闘か、海の上からでは何が原因か伺えないが、騒ぎの中心にいたのは……
「……バニ山さん?」
問題児と書いてメイドと読む、旅館の経営を手伝っているはずのバニ山だった。




