オーシャン・ミステリー ①
「……と、いうわけでバニ山さんは恩を返すべくこの旅館で働いている。 ここまでがワンセンテンスだがよろしいか?」
「こいつ本当に回想するだけで終わりよった!!」
「本人に聞いてる限り埒が明かないわね……」
「申し訳ありませんお客様、ではその先は私から説明させていただきます」
「あっ、若女将」
甘音が自由奔放なバニ山の振る舞いに辟易していると、タイミングを見計らっていたかのように、人数分の湯飲みを用意した水月が部屋の襖を開く。
入室前の一礼から急須から茶を注ぎ皆に配るまで、流れるようなその所作にはもはや美しさすら覚えてしまう。
「この度は当旅館にお越しいただき誠にありがとうございます……バニ山さん、今日は他にご宿泊のお客様もいないので厨房のお手伝いをお願いします」
「うむ、任された」
「……さて、初めにお話ししなければならないのはこの潮音旅館の現状ですね」
バニ山が部屋を去ったことで、水月はあらためて真面目な話を切り出す。
合わせて彼女が着物の帯に挟んでいたものを広げると、それは潮音旅館に対する誹謗中傷を綴ったチラシだった。
「食事は傷んだ魚、温泉は温く、従業員の接客は最低……ずいぶんひどいこと書いてあるわね、念のために聞くけどこの内容は本当?」
「いいえ! 当旅館はお客様が快適に過ごせる旅館を目指し、日々励んでおります……このチラシに指摘されていた事柄は私も確認しましたが、事実無根でございます」
「でしょうね、おかみの接客だけで質の良さは分かるわ。 あのうさ耳メイドはともかくとして……」
「なあお嬢、そもそもの話なんやけど小学生が経営してる旅館ってとこにツッコミは無いんか?」
「それを言うならまず私にツッコミなさいよ」
「せやったな……」
初等部生徒が経営している旅館というところが気にかかっていたウカだったが、そもそも甘音は数十の薬品特許をもつ天才児。
そんなリアリティの欠片もない存在が隣にいることを思い出し、振り上げたツッコミの手を下ろすしかなかった。
「便宜上は両親が経営しているが、実際に旅館の舵を握っているのは潮音くんで間違いないとも。 彼女が赤室学園に呼ばれたのも類いまれなる旅館経営の才があってのものだ」
「その才をもってしても危機的な経営状況ということですね、バニ山さんと水月さんはどういう関係で?」
「バニ山さんとは夏休みに入ってすぐ、浜辺でカモメの群れに襲われているところを私が見つけました。 下半身をサメに飲み込まれ、額にダツが刺さり、両手にワカメとマグロを抱えた危険な状態で……」
「何の何の何や!?」
「その後この旅館で介抱しまして、宿代の代わりということで業務のお手伝いを頼んでいます。 ああ見えて力持ちでとても頼りになる方ですよ?」
水月の言葉には含みも嫌味もなく、バニ山に対する純粋な感謝の気持ちがこもっていた。
和風旅館にそぐわない変人だが、それ以上のことは特に気にしていない。 バニ山やおかきたちが抱える秘密にも気づいていない様子だ。
「ウカさん、たしかバニ山さんは……」
「関節部以外はほぼ人間と見分けつかん、防水も完璧やさかい……たぶん倒れてたのは電力切れやな」
「充電式なんですね」
「ともかくバニ山がいる理由は分かった、ほんで次に気になるのがこの旅館についてなんやけど」
「はい、始まりは夏季休暇が始まる少し前のことです。 目に見えて旅館の売り上げが低下し、同時に従業員が離れていきました」
「そこで私が水月くんから相談を受けてね、教え子を見捨てる事なんてできないからこうして足を運んだ次第さ」
「つまり我々はまんまと小山内先生に騙されて連行されたわけですね……」
「待ってくれ藍上くん、私もバニ山バニ恵が働いているのは寝耳に水だよ! だからそんな目で見ないでくれ、いやでもそんな目で見つめられるの悪くはない!!」
「つける薬がないわね」
「お嬢に言われたらおしまいやな」
「ともかく私の私用については聖にも情報を共有していて了承を貰っている! そんなことより目の前に困っている幼子がいる、我々がすべきことは1つではないだろうか?」
「そうですね……」
担がれているようで癪だが目の前に困っている生徒がいるこの状況、人並の良心を持つおかきは見捨てることもできず、口を真一文字に結んで腕を組む。
SICKとしての最優先はバニ山バニ恵だ。 しかしそのバニ山もこの旅館に恩義を感じているため、無理に引きはがすことはできない。
逆に言えば旅館の問題さえ解決してしまえ、バニ山もSICKに対して友好的に対応してくれる可能性があるということだ。
「……探偵部として、依頼するという形式ならば対応も可能です」
「おかき、あんた将来連帯保証人になったりしちゃダメよ……」
「なりませんよ! それに見てみぬ振りしたままこの旅館に泊まるのも居心地が悪いです、経営難というなら問題を解決して憂いなく夏休みを楽しみましょう」
「せやな、同業者から妨害されてるって話が本当ならけったくそ悪いわ。 他人蹴落としてのし上がろうなんて根性が気に食わん」
「ま、部長のおかきが決めたなら私から言うことはないわ。 ところでその青凪ホテルからの妨害って誹謗中傷だけ?」
「一番ひどいのはレビューサイトへのサクラ投稿だね、私もここに来るまで確認したがあることないこと流布されているよ。 経営者が不倫しているだとか、夜は裏カジノを経営しているだとか、過去に殺人事件が起きた幽霊屋敷だとか」
「えっ」
――――ガシャンッ!!
『幽霊』という言葉に甘音が表情をこわばらせたその時、乾いた音とともに部屋の窓が粉々に砕け散った。
一瞬の静寂と部屋に走る緊張。 一泊遅れて畳の上にゴトンと落ちてきたのは、おかきの拳より大きい石礫だった。
「お、お客様! お怪我はありませんか!? ああもう、また……!」
「水月くん、私たちは無事だから安心してくれ。 全員下がって、危ないからガラスに触らないように!」
「誰やゴラァ!! 姿見せんかい!!」
「稲倉さん、落ち着いて。 んー……人影なし、もう逃げたあとね」
狐耳を生やして火花を散らしそうなウカをなだめた飯酒盃が割れた窓から外を覗き込むが時すでに遅く、犯人の姿はどこにもない。
その後ろで小山内が投げ込まれた石をハンカチで包み、ポケットから取り出した金属粉を振りかけて指紋の採取を試みるが、こちらもこれといった痕跡は何も残されていなかった。
「周到な犯人だね、まあこの程度で捕まるなら私たちが出る幕もないか」
「水月さん、この旅館に監視カメラはありますか? この部屋の外を撮影したものがあれば確認したいのですが」
「は、はわわ……さすが小山内先生と探偵部の方々……なんというか、こなれておりますね!」
「あはは……嬉しくないことに事件に慣れてしまったもので……」
「ともかくや、これでハッキリしたなおかき。 この旅館は攻撃されとるで」
「ええ、どうやら宿泊する私たちも容赦なく巻き込むつもりです。 となれば――――こちらも容赦する必要はない、ですね」




