トンチキ海物語 ⑤
「いやあこれは……思った以上に寂れていますね」
「絶対出るわ……間違いなく出るわ……私が幽霊なら飛びつくような好物件だもの……」
荷物を担いでちょうど徒歩5分。 海を一望できる絶景の立地に建つ旅館は、本当に人が住めるのかと訝しむほどに朽ち果てていた。
屋根側は所々が欠け、割れた窓には段ボールが貼られて申し訳程度の補強、薄汚れた外壁には蔦が這ってひび割れている。
幽霊嫌いの甘音が怖がる通り、旅館というよりも幽霊屋敷という雰囲気がふさわしい。
「間違いないとも、ここがわたしたちが宿泊する潮音旅館だ。 ここ数年は青凪ホテルに客を取られて経営が傾きに傾いているけどね」
「やけに詳しいですね、小山内先生」
「水臭いよ藍上くん、オフの場なのだから下の名前で呼んでくれてもかまわないからね!」
「すみません、下の名前をご存じないので」
「小山内 好、この機会に覚えてほしいな! それはそれとして詳しいもなにもこの旅館はわたしの教え子が経営してるからね」
「はい?」
「い、いらっしゃいませぇ~……」
「うひっ!」
建付けの悪い玄関扉がほんの指一本分ほど開かれ、その隙間から小山内たちの様子を伺う小さな瞳が覗き込む。
あまりにもあどけないその声と闇の中で潤むその瞳は、まるで座敷童のようで甘音も思わず短い悲鳴を漏らす。
「やあ潮音くん、約束通り助けに来たよ。 それに頼もしい助っ人も連れてきた、旅館のことはわたしたちに任せてくれ」
「はぁ? ちょ、待てや! いったい何の話……」
「おそらく青凪ホテルから経営妨害を受けている、ということでしょうか?」
要点を説明しない小山内の話に対し、一人先回って結論にたどり着いたおかきは旅館の外壁を指で撫でる。
特に力も入れず、簡単に指先で拭えた汚れは長年の怠慢で堆積したわけではない。 ここ数日の間に新しく付着したものであるこ証拠だ。
「汚れが目立つ割りには玄関先に清掃は行き届いていました、割れた窓に使われている新聞紙の日付やガムテープも新しい。 ここ最近に割られ、急いで補修したように見えます」
「わ……す、すごい……当たってる……!」
「見ての通りだ潮音くん、彼女の力量は分かってもらえたね? 戸を開けてほしい、彼女たちにも詳しい事情を話したい」
「は、はい……」
ほぐされた警戒心を示すように玄関扉が開かれ、奥に隠れていた少女が姿を現す。
幼いながらも色無地の着物を着こなし、背筋をピンと伸ばした佇まいは熟練の風格すら思わせる。
丁寧にセットされたおかっぱ頭を下げて客を歓迎する少女は、見る者にこけしのような古めかしくも愛らしさを与える。
「ようこそお越しくださいました、先輩と先生方。 赤室学園初等部、潮音 水月と申します、どうかお見知りおきを」
「うーん非の打ち所のない挨拶、内申点5000000000点!」
「ひいき目が過ぎるやろ」
「初めまして潮音さん、私は藍上おかきです。 えっと、失礼ですが従業員の方は……?」
「はい、不肖の身ながら私が受付を務めております。 なにぶん人手不足なもので……」
「その件は部屋に荷物を預けてからにしよう。 潮音くん、案内してくれるかい?」
「はい! 皆様お疲れでしょう、荷物をお部屋まで運びます」
「いやいや、後輩に荷物運びなんてさせられないわよ。 それにあなた1人じゃこの量は……」
「バニ山さーん、お客様の荷物をお部屋まで運ぶので手伝ってください」
「――――ほう、バニ山さんの力が必要か? 乙女なので橋より重たいものは持てないが力になろう、ムキムキ」
「「「「ウオアーッ!!?」」」」
「ほう、活きのいい客人だな? 活きの良いマグロを食わせてやるから覚悟しておけ」
水月に呼ばれて、扉の影からひょっこり顔を見せたのは、和風旅館の雰囲気にそぐわないクラシカルメイド姿の金髪碧眼。
すらりと伸びた長身と頭部に装着された特徴的なウサギ耳は、間違いなくおかきたちの任務目標であるバニ山バニ恵だった。
――――――――…………
――――……
――…
「いやあ良い部屋だ、清掃が行き届いている。 ところで布団の配置はわたしの隣に藍上くんを」
「待てや! ツッコミどころ多すぎて何も言えんかったけど……待てや!!」
「居たわね、バニ山バニ恵……」
「バリバリ手伝ってましたね……」
「わあ冷蔵庫大きい~お酒一杯冷やせちゃう」
「飯酒盃先生も現実逃避しないでください」
水月に案内された部屋で荷物をほどいた面々は、椅子や畳に身体を預け、思い思いに疲労を吐き出す。
汚された外観とは一変してよく整えられた和室は、ひと夏の休暇を満喫するには十分すぎるほど広い。
後ろで両手いっぱいの荷物を抱えた問題児さえいなければ、おかきたちも手放しで喜んでいただろう。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……飛ばして九つ、十ぉ。 荷物はこれですべてだな、バニ山さんはバニ山さんゆえ少々オマケしておいた」
「いや多い多い、うちらの荷物キャリーケース5つだけやろ。 どこから10個も持ってきとんねん」
「バニ山さんには朝飯前だったので増やした。 荷物運び用荷物だ、遠慮せず持ち帰っていい」
「いらんわ! ええから返してこんかい!!」
「ウカさん、クーリングオフはちょっと待ってください」
このままでは無限にボケとツッコミを繰り返しそうな2人の間におかきが割って入る。
そしてバニ山の独特なペースに呑まれまいと一呼吸入れ、降ってわいた本題を切り出した。
「バニ山バニ恵さんですね? こちらの用件はすでにお察しかと思いますが」
「わからんが?」
「…………えっと、私たちはあなたを探していまして」
「ほう、バニ山さんの噂は野を超え山を越えあの子のスカートの中まで潜り込んでいたか。 しかし取材はNG、バニ山さんは寡黙で多忙なメイドなのだった」
「おかき、折れたらあかんで。 こいつはこういうやつなんや」
「身に染みて理解しました……そもそもバニ山さんはなぜこの旅館で働いているんですか?」
「ほう、メイドが働く理由を問うか? であればバニ山さんも応えねばならない、あれは20年前――――」
「こいつこの流れで回想に入ろうとしてるわよ」
「自由の権化か?」
「ほわんほわんほわんほわんほわぁーん……」




