蛇に睨まれた蛙 ③
鳩尾は人体にとって鍛えることができないとされる急所の1つ。
多数の神経と横隔膜が集まるため、この部位は強い衝撃を受ければ呼吸困難にも繋がる。
格闘技でも積極的に狙うべきとされており、ルール無用の殺し合いなら遠慮する理由もなにもない。
だがそれ以上に忍愛がこの部位を狙い続けたのは、“かわばた様”の存在もあったからだ。
「ごあ……ッ!」
大神 虎次郎の口から悶絶の声が漏れる。
飛び出さんばかりに目を見開き、口からは唾液を垂らしながら安らぎを求めて浅い呼吸が繰り返される。
だが嗚咽よりも先に喉からこみ上げてきたのは、粘性の胃液にまみれた半透明のケースだった。
「忍愛さん、それです!!」
「オッケー!! ボクは今日から神殺しだー!!」
吐き出されたケースをかかと落としで撃墜する忍愛。
地面と忍愛に挟み込まれたケースは簡単に圧壊し、中に収めていたヘビのミイラも外気に晒された途端、踏み砕くより先に風化していく。
――――ギャアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!
皮一枚の攻防は永劫、そして決着は一瞬。
核の破壊を証明するかのようにどこか遠いところで悍ましい悲鳴が上がり、呼応して空を覆う厚い雲も霧散していった。
「ふぅー……し、しんどかった……で、まだやるかい?」
「ぐ、ギ……! ガキ、がぁ……よくも……」
「オラァ!! 免停アタック!!」
「ゴオオオアアアアアア!!!?」
息も絶え絶えでありながら呪詛の籠った目で2人と1匹を睨む虎次郎。
しかし、その背後から突っ込んできたキャンピングカーは容赦なく片膝をつく人狼を轢き倒した。
「ハッハァー!! イキり散らかした老害を蹴散らすのは最高だぜ!」
「ウワーッ! なんか悪花様のテンションがおかしなことになってる!」
「放っとき、長時間緊張しっぱなしの運転が続いてハイになっとるだけや」
「久々に不良みたいな真似できてうれしいのね、おかき大丈……大丈夫じゃないわね!!」
「いえ、これでも忍愛さんのおかげで結構無事です」
半壊した車両から救急箱を抱えて降りた甘音が初めに見たのは、顔を鮮血で染めたおかきだった。
虎次郎の初撃で額を切ったせいで出血こそ一見派手だが、傷自体はそこまで深くない。
それでも雨で引き延ばされた真っ赤な血化粧は、見る者の顔を青くさせた。
「ガーゼか包帯あります? たぶん止血すればすぐ収まると思うんですけど……」
「傷になったらどうするのよ乙女の顔に! ウカ、麻酔と針用意して!」
「そない大げさなことせんでも赤チン塗っときゃ治るやろ、災難やったなおかき」
「あれ? みんな急に眼が悪くなった? 可愛い可愛いMVPのボクが見えてない……?」
「赤チンいるか?」
「愛が欲しいよぉ!」
文句を言いながらも本日のMVPは手製の兵糧丸を噛み砕き、渡された救急箱を使って黙々と自身の手当てを始める。
あばらと左腕部の骨折および肩から胸を走る裂傷、その他大小合わせて全治数か月レベルの負傷だが、この程度でくたばるほど忍愛は貧弱ではないことをこの場の全員が知っている。
それどころか下手に心配すると無限につけあがるカスの性分も知っているため、本気で不貞腐れる手前のラインを見極め、雑に扱っているのだ。
「……ところで、“かわばた様”はどうなりましたか?」
「おかきが核となる依り代を破壊したんやろ? うちらも水蛇が崩れる様見届けたし、さすがに消滅したと思うで」
「それなら通信も回復してんだろ、さっさとSICKに連絡して応援呼んで来い」
「そうですね……っと、噂をすれば」
『もしもし、もしもーし!? 急に通信途切れたけど全員無事!? とくにおかきちゃん!!』
「キューさん、こちらは全員無事です。 状況を説明させてください、実は……」
――――――――…………
――――……
――…
「……うん、たしかに大神 虎次郎で間違いなさそうね。 先生びっくりして浦霞開けちゃった」
「仕事の片手間に呑むんじゃねえよ大吟醸をよ」
通信が回復したことでSICKと連絡を取ってからおよそ5分。
すでに緊急事態と判断して救援部隊が編成されていたため、飯酒盃を含むエージェントが到着するまでそこまで時間はかからなかった。
人手と機材が揃ってしまえばあとは手際も早いもので、各々がテキパキと動き、車の下敷きになったまま気絶している人狼の確保作業を進めている。
満身創痍のおかきたちはそんな優秀な職員たちの動きをただただぼうっと眺めていた。
「飯酒盃ちゃぁーん、救急車呼んでぇ……あばらも腕も心も折れたよぉ……」
「はいはい、大神の収容が終わったらね。 おかきさんも大丈夫?」
「はい、出血も止まったのであとは絆創膏でも貼れば治りますよ」
「ちょっとおでこ見せてね……うん、これなら縫う必要もないかな、SICKに戻れば傷跡も残らないから大丈夫そうねぇ」
「良かったわ、万が一顔に傷でも残ってたらあのイヌ去勢してたところだったもの」
「やめてくださいね甘音さん……」
冗談ではない圧を感じさせる甘音の独り言にその場にいた(カフカ含む)男性職員は皆股間を押さえて震えあがる。
そうこうしている間にも着々と収容作業は進み、ゴムチューブのような拘束具でグルグル巻きにされた虎次郎は強固な装甲車に運び込まれ、無事にSICKへ向けてドナドナされていった。
「ふぅ、仕事終わりの一杯は美味い!」
「ことあるごとに呑むんじゃねえよ酔っ払い、まだ仕事終わってねえだろ」
「うーんそれもそっか、目下最大の脅威対象は確保したからこれで終わり……とはならないのよね、おかきさん?」
手持ちの大吟醸を飲み干した飯酒盃は意識を仕事モードに切り替え、おかきへ視線を向ける。
彼女が何を言いたいのかはおかきもわかっていたが、気まずそうに眼を逸らすことしかできなかった。
「おかきさん、単刀直入に聞くのだけれど……子子子子子子子はどこ?」
「えーっとそれがですね……少し話は遡るのですが――――……」




