蛇に睨まれた蛙 ①
一挙手一投足、話題の選定、声の抑揚・緩急、視線や吐息の間隔。
ありとあらゆる手段で五感に訴え、プレイヤーを引きつけろ。 それは早乙女 雄太がボドゲ部で教わったスキルの1つ。
部長たちに比べれば特技とも呼べない拙い技術。 それでも、仲間が駆け付けるまでの1分1秒を稼ぐ大役は皮一枚で成し遂げた。
「あんなタイミングで通信途絶って絶対何かあると思うじゃんね! で、来てみたらこれだけどどういう状況!?」
「気をつけてください! その老人は大神 虎次郎、今回の事件を企てた真犯人です!」
「オッケーよくわかんないけどなんとなくわかった!!」
鍔迫り合いの恰好から相手の腹を蹴りつけ、忍愛は無理やり虎次郎の身体を弾き飛ばす。
本人はわかったといいながらも思考を放棄しただけだが、この切り替えの早さが今はいい方向に働いていた。
「チッ……ガキが、バカには過ぎた力じゃねえか」
対する虎次郎はぬかるんだ泥の上を二度三度と転がり、ほぼ池と化した田んぼの中に着地。
うまく後ろに跳んだのか忍愛の蹴りを受けて大したダメージもなく、まとわりつく水気を振り払い、緩い佇まいで再び彼は刀を構える。
「バカって言ったな! 新人ちゃんのことを!!」
『テメェのことだろバカ!! いいからとっととおかきに通話代われ!』
「悪花さん! こちら状況が込み入ってるのでもう少しゆっくり来れますか!?」
『勝手言ってくれるな馬鹿野郎! ウカと変態でヘビ神を押さえるのも限界だ、状況は今ので大体わかったがあんま期待すんなよ!!』
「ありがとうございます、こちらも全力でどうにかします!」
「まっかせてよ悪花様、あんなヨボヨボの爺ちゃんぐらい楽勝……」
「――――嘗めんなよ餓鬼ども」
メキリ、と何かが軋むと音が鳴る。
真っ先に異変に気付いたコマキチが全身の毛を逆立てて低く唸る視線の先、雨の中に立つ老人のシルエットが大きく歪んだ。
背を丸めて縮こまった身長は倍以上に伸び、全身が毛で覆われて筋肉が膨張。
大きく避けた口から鋭い牙を覗かせ、肉食動物の眼光を宿したその姿は、まさしく「人狼」という言葉がふさわしい異形だった。
「……新人ちゃん、もしかしてボクってばアレを相手しなきゃダメっぽい?」
「お願いします、私は“かわばた様”の対処をするのでそれまでどうにか時間を稼いでください」
「あいにくだがよぉ、その必要はねえなぁ」
人狼と化した虎次郎が抜き身の大太刀を振るう。
おかきがその軌道を目で追うと、体躯が膨れたことで身の丈通りに合う長さとなった刀の切っ先には、いつの間にか幅の広いヒモのようなものが刺さっていた。
流血を拭って目を凝らしてみれば、それは透明なケースに収まった白蛇のミイラ。 状況からして連想されるのは、おかきが探し求めていた“かわばた様”の本体だ。
「カパー! ニンゲン、あれだ! 村長の家にあったやつ!!」
「忍愛さん、あの蛇のミイラを破壊してください、“かわばた様”の本体です!!」
「させると思ってんのか? なぁオイ」
河童による同定から忍愛へ状況を伝えるわずかなラグは、虎次郎に蛇のミイラを飲み込ませるには十分な隙だった。
人狼の体躯からすれば一口サイズのケースはあっという間に丸呑みにされ、彼の胃の腑に収容される。
ケースの耐久性は知る由もないが、胃液によるミイラの損壊を今すぐ期待することは難しいだろう。 こうしておかきが求めた“かわばた様”の心臓は、最悪な金庫の中に隠されてしまった。
「や、やだなぁ……そんなの食べたらお腹壊しちゃうよ? ぺっしなさいぺっ!」
「これでテメェらは俺を無視できなくなった、殺して俺の腹ぁ掻っ捌いて取り出してみろよ」
「なにが……あなたをそこまでさせるんですか! 魔化狼組はもう存在しない、多くの人を巻き込んでこんな……!」
「やられたらやり返すんだよ、ヤクザがアヤつけられて芋引いちゃぁおしめぇよ。 俺らに関わったこと、必ずテメェらに骨の髄まで後悔させてやんのよ」
「うわぁ……みみっちいなぁ、性根が悪くてヤクザっていうか三下根性――――」
息を吐く間もなく肉薄した虎次郎が忍愛と衝突し、激しい金属音が波紋となって足元の水たまりを震わせる。
おかきの目では追うこともできない速度の戦闘。 辛うじて反応した忍愛でさえも、歯を食いしばって拮抗するだけで精いっぱいだ
「こっわいなぁ! 図星突かれたからって怒るなよ、パイセンだってもっと沸点高いぞ!?」
「忍愛さん!」
「新人ちゃんたちは下がって! ポチ助、2人のこと頼んだぞ!」
「あうん!? わ、わおん!」
「よーしいい返事だ、じゃあケンカしよっかぁ!」
河童を咥えておかきを乗せたコマキチが離れたことを確認した忍愛は、忍者刀を構えたまま指で印を結ぶ。
すると火種もない雨の中、突如虎次郎と忍愛の間に閃光と爆発が吹き上がり、2人の身体を無理やり引きはがした。
「チィッ……!」
「忍法爆破ぁ! 飲み込んだならってんなら無理やり吐き出させてやるよ!!」
突然の爆破にたじろいだ虎次郎に対し、自ら仕掛けた忍愛は再び自分の足元に小さな爆破を起こすと、爆風の勢いを乗せた蹴りを鳩尾へ打ち込む。
まともな人間なら悶絶間違いなしの痛撃だが、分厚い毛皮と筋肉に守られた人狼の身体は、その程度ではびくともしなかった。
「……軽ぃなぁ、ガキ」
「わぁお、ガキ相手に本気出すって大人げなくない?」
力任せに振り下ろされた大太刀が三度忍愛の忍者刀と衝突する。
しかし今度は鍔迫り合いにすらならず、虎次郎の斬撃は刀身ごと忍愛の胴体を袈裟に斬りつけた。
「い……っだぁ!? 嘘だろ特別誂えの仕込み刀だぞ!?」
「ああクソ、浅ぇか。 まだ口が回りやがる」
「に、にににニンゲン! なんか不利みたいだぞ、加勢したほうがいいんじゃないか!?」
「…………無理です、私にあの中に割り込む力はない」
戦う2人の残像すらまともに捉えられないおかきが間に入ったところで、次の瞬間肉片になるのが関の山だ。
だが状況は忍愛が徐々に不利へと追い込まれているのは間違いなく、このまま指を咥えて見ていれば最悪の事態は免れない。
『おいおかき、状況はどうなってる!? 雨の音がうるさくて何もわからねえんだ!』
「悪花さ……」
忍愛から投げ渡されたスマホから悪花の声が飛ぶ。
“かわばた様”を連れたキャンピングカーが到着すれば今度こそ終わり――――だが、おかきにはその中にわずかな光明が煌めいた。
「…………悪花さん、まだ“かわばた様”は追随していますか?」
『あぁ!? 残念ながら一向に引き離せてねえよ、それがどうした!?』
「状況を説明します、危険ですが協力してください。 ……賭けになりますが、打開策を見つけました」




