不在証明 ⑤
「チッ、クッソ視界が悪ィ! おかき、こっちで合ってるな?」
「問題ないです、そのまままっすぐで……まもなく大きな岩があります、車体が揺れますから注意を」
「わかってる、その次は獣道だな。 多少の障害物は馬力で乗り越えられるけど舌噛むなよ」
ワイパーも意味をなさない土砂降りの中を一台のキャンピングカーが突き進む。
視界は最悪、滝のような雨に阻まれてライトも意味をなさないが、悪花がハンドルを握る車体はスルスルと見えない道を進んでいた。
「ガハラ様、なんであの人たち1~2回行き来しただけの道暗記してるの?」
「お互いそれが自分の仕事と理解してるからよ、最初からもしもを想定してたんでしょうね」
「うちらもうちらの仕事せんとな。 山田、屋根開けるで」
「ウワーッ雨が!? なにすんのさパイセン!」
「来とる」
「へっ?」
ハッチ型のルーフを押し開け、雨にも怯まずウカが車上に身を乗り出す。
豪雨の弾幕に紛れた闇の中、走り続ける車の背後にギラリと光る双眸がウカを睨みつけた。
木々を薙ぎ倒し、身をうねらせながらウカたちが乗る車を追いかけるのは、水でできた巨大な蛇だった。
「邪視……いや蛇視ってところか? 悪いけどうちには効かへんよ」
「ウカー! 大丈夫なのー!?」
「大丈夫やでお嬢、けど顔出したらあかん。 常人が睨まれたら心臓止まって死ぬで」
「AEDならあるわよ!」
「あってもあかんて! お嬢は悪花にこのこと伝えたってや、こいつはうち……」
「……と、わたくしで何とかいたしますわ」
「テケリッ」
屋根の上に立つウカの隣に、いつのまにか変わらぬ笑みを浮かべた子子子が並び立っていた。
強風と暴風に晒される中、泥田坊が変形した傘を緩く担いだ姿には緊張感も何もない。
車両を追う蛇に呪詛の視線をぶつけられようとも、恋する乙女のように熱いまなざしを返すだけだ。
「うふふふふふふ、なんと熱烈な視線でしょうか。 わたくしヘソ下あたりが熱くなってまいりました」
「……一応睨まれたら即死する類の呪詛向けられとるんやけども」
「ご心配なく、私の身も神の加護を幾重にたまわっておりますので。 この車を落とされればわたくしも困るのは同じ、手を貸しますわ」
「ほーん、その神も人見る目ないな。 ってか戦えるんかお前」
「残念ながらわたくしは見ての通りか弱きシスターなもので……しかしこんなわたくしでも手を貸してくれる伝手は多いのです」
おもむろに子子子は袖をまくり、貞淑に隠された白肌をあらわにする。
陶器じみて細く白いその腕には赤さびた鎖が巻き付いており、揺れる先端には苔生した石片がぶら下がっている。
一見すればただの石ころだが、それはウカが一瞥しただけで顔を顰めるほどの呪物だった。
「掛介麻久母畏伎皆々様、どうかこのか弱く敬虔なわたくしのため――――存分に力をお貸しくださいませ」
――――――――…………
――――……
――…
「悪花、今ウカが車の屋根に上って戦ってる! でっかい蛇が追いかけてきてるみたい! 私たちじゃ見るだけで死ぬらしいわ!」
「出やがったか、そいつが“かわばた様”だ! 山田、屋根閉じてガハラのこと守っとけ!」
「あいあいさー! けど山田言うな!!」
「カ、カパパァー!? ほほほ本当に神様なのか!?」
「そのようです、ウカさんが素早く対応していなければ危なかったかもしれないですね」
激しい雨音に混ざって聞こえてくる戦闘音を聞きながら、おかきは祈りそうになる掌を強く握りこむ。 相手が神ならばウカの無事を神に祈ったところで意味はない。
「……おかき、気づいてるか? さっきから微妙に雨の勢いが変動している」
「ええ、おそらくこの豪雨は“かわばた様”が中心に発生しているようです。 ウカさんが相手を退けて距離が開くたび、少しだけ雨が弱まっている」
「つまりどこかでぐっと引き離すチャンスがあればこのスコールから抜けられるってわけだ、そのまま下山して逃げちまうか?」
「ご冗談を、その場合は村が襲われてあの神がさらに力をつけますよ」
「そ、そんなことはない……はずだぞ! カッパは知ってる、あの社だって村人たちが立てたんだぞ!」
「しかし菜津さんの住居は広過ぎました」
「カパ?」
キャッチボールが繋がらない会話に河童が首をかしげる。
おかきも彼の知らない情報を前提としていることに申し訳なく思いながらも、あくまで悪花に向けて話を続けた。
「違和感があったんです、あの家は一人で住むには広すぎる。 菜津さんも高齢で補助もなく生活するには難しいと思えました」
「……そうか、“かわばた様”に食われて周りの人間が消えてたのか」
「詳しく調べる時間はないですけどね、他にも消えている村人は多いはずですよ。 でなければここまで力をつけていると思えません」
「たしかSICKの前回調査が2年前だったか? もしその時期から動いていたとなると……はっ、ずいぶん用意周到な神様だ」
一瞬、車体が大きく揺れる。
危うく横転しかけるほど車体が傾くが、悪花のハンドル捌きによってなんとか復帰した車体は激しく蛇行しながらもなんとか体勢を立て直す。
「あっ……ぶねえ! おいウカ、もっと丁寧に戦え!」
「無茶言うなやー!! うちかていっぱいいっぱいや!!」
「よく屋根越しで会話できますね……」
「慣れだ慣れ。 それよりおかき、お前の推理通りとしたらなんで神様はそこまで執拗に準備を進めてきたんだ?」
「河童さん、あなたは村人たちに迫害されていたのではないですか?」
「カパ……」
気まずそうにうつむいた河童はおかきから視線を逸らす。
おかきが初めに河童と会った際、彼が抱いていた人間への敵愾心になんとなく察しがついていた。
「河童さんたちの迫害理由と菜津さんが私を殺そうとした理由、そして“かわばた様”が抱いた殺意の原因もすべてあの村にあるんです。 だから悪花さん、村へ急いでください」
「つってもこのままじゃ後ろの蛇までご丁寧に連れていくことになる、どこかで振り切らなきゃ村に寄るヒマもねえぞ!」
「わかってます、なので作戦を考えました」
「お前の作戦ってだけで嫌な予感がするんだけどよォ……」
「大丈夫です、聞くだけならタダですよ。 河童さんも耳を貸してください、あなたたちの協力も必要なんです」
「か、カパ? カッパの……協力?」




