不在証明 ②
「そういえばウカさん、あの怪しい男はどうなったんです?」
「ん? ああ、ありゃ大した情報も持ってへんわ。 上から良いように使われとる下っ端も下っ端や」
夕闇に染まりつつある川のほとりを鬼火と懐中電灯の光が照らす。
“かわばた様”の出現地点へ向けて歩く道すがら、緊張感が高まる空気に耐え切れず、おかきたちの間には自然と口数が増えて行った。
「それにしたって質が悪いわね、末端まで統率が取れないなんて組織の程度が知れるわ」
「だが多少は収穫あったんだろ? こんな辺鄙な田舎にチャカまで抱えてくるなんて普通じゃねえだろ」
「せやな、なんでもヤクザの上司はどうしたってこの土地が欲しかったみたいやで。 それこそ暴力で脅してでもな」
「それで建築企業を装って……しかしそこまでして奪う価値がある土地とは思えませんけど」
「そりゃ函船村にも言えることだな、ヤクザとこと構えてまで守る意味があるとは思えねえ」
「ボク天才だから気づいちゃったんだけどさあ……村サイドが守りたいものとヤクザサイドが欲しいものってたぶん一緒だな?」
「全員気づいとるで」
「まあ……事の真相はアレが握ってるでしょうね」
おかきの腕を掴む甘音の手に力がこもる。
彼女の懐中電灯が照らす川を超えた林の中には、ぼんやりと不自然なシルエットが浮かんでいた。
「……山田、カメラ用意せぇ」
「山田言うな、もう用意してるってば」
「甘音さん、怖いなら無理せず私の後ろに下がってください」
「こ、怖くないわよこのくらい……おかきこそ水場なんだから気をつけなさいよね、また溺死するかもしれないわよ」
SICKの事前調査により、“かわばた様”の出現には大きく3つの条件が必要だと考えられている。
①:時刻と場所は18時の函船村付近の川辺
②:その時点で18歳以下である容姿が整った人物が立ち会う
③:カメラなどの機材を通して“かわばた様”の撮影を試みる
この条件をすべて満たした場合、特定のポイントで“かわばた様”が高確率で出現するのだ。
「ふふ、恐れるなどとはもったいない。 神と接触できる貴重な機会ですのに……と、思っていましたけども」
「……たしかにちょっと拍子抜けやな、これは」
「ウカさん、なにかわかったんですか?」
「うふふふ、おかきさん? わたくしには聞いてくださいませんの?」
「ウカさん、なにかわかったんですか?」
「まぁ、徹底的な無視……それもまた良いものですわ」
「無敵かこいつ」
「なんちゅーかな……あの“かわばた様”から神様の気配っちゅうもんを感じんねん」
一人で盛り上がる子子子を放置し、川向の異常存在を観察しながらウカは話を続ける。
闇の中で白く浮かび上がった人影は老婆の姿をしており、寒気がする笑みを浮かべながら壊れたおもちゃのようにこちらへ手招きを繰り返していた。
「“かわばた様”の正体は神の類ではないと?」
「それでも妖や霊の類ならなんらか気配がするもんや、せやけどあれだけハッキリ見える癖にアレから感じる気配は弱すぎるわ」
「ボク賢いからわかったけどじつはロボットってこと?」
忍愛の迷推理に呆れたウカが鬼火を1つ召喚し、ベースボールのように握り締めたそれを“かわばた様”目掛けて投擲する。
燃える魔球と化して鋭い軌跡を描いた鬼火は川を超え、見事“かわばた様”へ命中――――することはなく、胴体をすり抜けて背後の木に衝突して火の粉を散らした。
「……見ての通りや、アレに実体はない。 幻覚や分身……って表現もちとちゃうか?」
「抜け殻やトカゲのしっぽ切りが近いかと、要するにあれは近づくものを騙す目くらましでございます」
「つまりあの老婆の本体は別にあるというわけですか」
「何言ってるのさ新人ちゃん、おばあちゃんどころかかなり若く見えるけど」
「そう? 私はおじいちゃんだと思うけど……」
「俺にはガキに見えるな、雨合羽被ってるクソガキだ」
「んん……? ウカさん」
「うちもご老体に見えるな、女か男かはわからへんけど」
「うふふ、ちなみにわたくしには」
「言わなくて結構です。 どうやら見る人によって姿が変わるようですね」
認識の相違を擦り合わせたおかきは手元のスマホからカメラアプリを開き、“かわばた様”に向けて写真を1枚撮影する。
暗視補正が掛かった画像には、老婆の姿ではなく髭を蓄えたほっそりとした老人が映っていた。
「みなさん、今撮ったものですがこの“かわばた様”はどう見えます?」
「おじいちゃんね、けど私が見た人とは別人よ」
「全然違う! ボク見たのもっと美人のお姉さんだった!!」
「どうやら写真に残すと状態が安定するみたいですね、この老人が元々の姿でしょうか?」
「何のためにンな真似を……いや待て、各々が興味を持ちそうな姿に化けてるのか」
「なるほど、だからわたくしにはあのような破廉恥な姿に」
「少し黙っててください。 悪花さんの予想が当たっているなら……少し危険かもしれないですね」
嫌な予感が走ったおかきは一度写真を保存し、迷わずSICKとの通話画面を開く。
強制力はないとはいえ、相手の興味を引く姿に化けて「こっちにこい」と川越しに手招きをする存在。 おかきには“かわばた様”の目的が牧歌的とは到底思えなかった。
『はいはいこちらSICKでぇーす、藍上さんですかぁ?』
「キューさ……じゃないですね、飯酒盃先生?」
『ごめんなさいね、情報量のラッシュにキューちゃんは胃痛をこじらせてダウン中なの……少し休ませてあげてくださぁい』
「まあ、それは敵ながらご自愛くださいませ。 いったいなぜそのようなことになってしまったのでしょう」
「間違いなくテメェの合流がトドメだろうよ」
「こちら藍上です、現在“かわばた様”と接触中。 少し気になる点があったので指示を仰ぎたいです」
『了解了解、状況はー……うーん、なるほど? 藍上さん、そのまま一度撤退して構わないわ』
「ふえっ? いいんですか?」
あまりにもあっさりとした撤退命令に拍子抜けしたおかきはつい間抜けな返事を漏らしてしまった。
元々の目的は“かわばた様”の調査であるため、むしろここからが本番だと身構えていたのだが……
『現状の確認さえ取れれば問題ないわ、情報規制さえ万全なら近づく人はいないもの。 それにもともと危険性が低いオブジェクトだしぃ』
「いや……まあ、その通りなんですが……」
『近隣の村とダム開発の報告も聞いているので、こちらで対処しておきます。 明日にはエージェントを派遣するのでみんなは待機! お疲れさまー!』
「なんや手ごたえのない終わり方やなぁ」
「おかきも溺死しかけたってのに……」
『あはは……それはそれ、これはこれってものでぇ……にしてもずいぶん豪華な装備を与えられてるのね? 偽装キャンピングカーセットなんて明らかにキャパが過剰な――――』
「――――……そう、ですよね?」
おかきの胸にもやもやとした違和感が渦巻く。
この任務が始まってからずっと抱いていた違和感が、飯酒盃との通話を重ねるごとに明確な形を帯び始めた。
「そうなんですよ、私たちにはあまりに過ぎた装備で……この任務だって……それに、あの使いきりのワープゲートも――――」
「新人ちゃん? どうしたの、さっきからブツブツ……」
「……みなさん、一度あのキャンピングカーまで戻りましょう。 もしかしたらとんでもないことを見落としていたかもしれません」




