深淵なる隣人 ④
「菜津おばあちゃん、お友達が遊びに来ましたわ。 ご紹介いたします」
「ふがふが……ヨリちゃんかい? よく来たねぇ」
SICKへの連絡とウカを待つために忍愛を外に残し、菜津邸にお邪魔したおかきたちは居間の戸を開く。
どこか懐かしい匂いがする部屋の中、扇風機の温い風を浴びながら一同を迎え入れたのは、深いしわが刻まれた柔和な老婆だった。
「……なあ、このばあさんボケてんじゃ」
「お話は合わせてくださいな、その方が面倒がありませんわ」
「テケリッ」
「そういうことならおかき、今日だけアンタはヨリちゃんよ」
「こ、こんにちはヨリちゃん?ですぅ……おばあちゃん、少しお話を聞かせてもらってもいいですか?」
「うんうん、いいよぉ。 何を話そうかい、桃太郎さん? 浦島太郎さん?」
「ああいえおとぎ話ではなくてですね、この村について教えてほしいことが……」
「んんん……」
良心の呵責に苛まれながらもヨリちゃんという人物の名を騙るおかき。
だがおそらく仲がいいと思われるヨリちゃんの言葉に対し、老婆は眉をへの字にして口を閉ざしてしまった。
「……菜津さん?」
「あらあら、やっぱりダメですか。 このお方、土地や村の歴史になると途端に口を閉ざすものでわたくしも困っておりました」
「やっぱりってテメェ、わかってて無駄足踏ませやがったのか」
「まさか、おかきさんならばあるいは心を溶かせるかと。 なにせわたくしの話やテケちゃんを見せてもなしの礫なもので」
「一般人になんてもの見せているんですか!?」
「うふふ、SICKでもないのに秘匿主義に付き合う必要が?」
開き直ったわけでもなく、さも当然のように堂々とした態度をとる子子子。
仮初とはいえ協力関係であろうと彼女にとっては自分の都合こそ最優先、必要ならば民間人に異常存在を見せつけて脅す真似すらいとわないのだ。
「やっぱこいつここで沈めた方がいいんじゃねえか?」
「やめなさい、あとでSICKが何とかしてくれるはずよ。 今は同盟があるんだし耐えましょう」
「その通りですとも、今肝心なのは“かわばた様”でありわたくしではありません。 さ、調査を続けましょうか」
「いけしゃあしゃあと……チッ、おいバアさん。 “かわばた様”って知ってるか?」
「ふがふが……」
「…………やっぱり山か?」
「ふが……」
それは確証はないただのカマかけ。
だが百戦錬磨の魔女集会総長である暁 悪花は、老婆の一瞬の動揺を見逃さなかった。
「おかき、ガハラ。 お前たちはあの山について何か調べたか?」
「……お社を1つ見つけました、すでに打ち捨てられて長い時間が過ぎていたようですが」
「へぇ」
できるだけ情報を出し渋るおかきの話に、ここまで無関心な態度を見せていた子子子が心底楽しそうな声を漏らす。
「つまり山岳信仰、あの山は神奈備でしたか……しかしこの村に修験道の名残は見られない、口を閉ざすのは山上他界の恐れからではなく……」
「急に一人でブツブツ言い始めたわ」
「叩けば直るか? いや壊れてるのは元からか」
「うふふ、失礼。 興味深い話ですわ、わたくしも山には立ち入ったものの社など見つけられず……いったいどこで見つけたのでしょうか?」
「黙秘権を行使します。 まずはそちらから情報を開示するべきかと、今の独り言から何も気づきませんでしたは通りませんよ」
「まあいけず、ですが一理ありますわ。 おばあちゃん、少し場所をお借りいたします」
「ふが……」
少し居心地の悪そうな老婆から了承を得て、子子子はシスター服の下から取り出した電子タブレットをちゃぶ台の上に置く。
少し画面を操作して開いたのはこの地域周辺を映した衛星地図だ。
「シスターが現代機械弄ってるのなんだかシュールね」
「神職であろうともネットの波から逃れられるものではありません。 それはそれとしてこちらをご覧ください、見ての通りこの村は左右から山々に挟まれている形となっております」
「改めてみてもひでえ立地だな……どこ見ても山と川しかねえ」
「だからこそでしょう、雄大で厳しい自然に圧倒された感情を祷りとして昇華したものが山岳信仰でございます」
「へー、だからあんなところに社があったわけね」
「気になるのはその社を忌避するように避けている点、信仰している対象ならばむしろ好ましい反応を見せてもよいでしょうに……後ろめたいことがあると自白しているようなものですよ?」
子子子の山羊のように細い瞳が老婆を見下ろす。
静かながらも圧があるその視線を前に、老婆はただ目を瞑って口を閉ざした。
「……あくまで語る気はないようで、自白剤などご用意できません?」
「はっ倒すわよ」
「落ち着け、こいつのペースに付き合うだけ損だ」
「――――おぉーいみんなぁー! パイセン戻って来たよー!」
「おや、どうやらウカ様が降臨なされたようです。 お出迎えしなければ」
「あっ、おい待てテメェ! お前1人で顔出すと説明が面倒くせえだろうがよ!!」
「まずいわね、下手すりゃ家の前でドンパチ始まっちゃうわ」
神の帰還に嬉々として飛び出した子子子の後を追い、悪花と甘音も部屋を出る。
おかきもその後ろに続こうと立ち上がるが、その袖を老婆が引っ張って引き留めた。
「っと、おばあさん……?」
「ふが……ヨリちゃん、私ねぇ……喉が渇いちゃったの」
「えっ? ああ、わかりました……?」
突然のことに困惑しながらも、差し出された湯飲みを受け取ってしまったおかきは飲み物を探して隣室の台所に足を運ぶ。
予想通り、台所のシンクには古びた蛇口が備え付けられており、ハンドルを捻れば新鮮な水が湯飲みへと注がれる。
「…………っ!? ガボ――――ッ!!?」
そしてふと水が溜められた洗い桶に視線を落とした瞬間――――後ろから強い力で抑え込まれたおかきの頭は水の中へ沈められた。




