レッドリスト ①
土の匂い、水の香り、都会よりも数段澄んだ空気。
遠くからはセミの忙しない合唱が聞こえ、水を張った田にはさわさわと青い稲穂が揺れている。
藁ぶき屋根の家や水車、高い建造物もなく開けた風景はいかにも「のどかな夏の田舎」という風景で……
「ダム建設はんたーい!!」
「俺たちの故郷を奪うなー!!」
「帰れー! 帰れー!!」
「……なんですかね、これ?」
その怒号がおかきを目を背けていた現実へと引き戻す。
後ろにあるのは鬱蒼とした雑木林のみで、たった今通り抜けてきたゲートは跡形もなく消えている。
雑木林の茂みが目隠しとなり、おかきたちが転移した瞬間は誰にも見られていない。 そもそも転移した証拠が消滅した以上、SICKの機密が露見する心配はないだろう。
そして機密保持が問題ないことを確認したおかきは眉間の間を揉み……あらためて目の前に広がる光景を受け止めた。
「おうおかき、こっち来ぃ。 なんや皆興奮して危なっかしいわ」
「今のお前が関わると余計な事故が起こりそうだからなァ」
「あっ、皆さん。 何があったんですかあれ?」
「数秒早く到着しただけの俺たちが知るわけねえだろ、真相が知りたきゃあと2日待て」
「相変わらず立ち上がりがおっそい能力よね、けどホント何なのかしらあれ?」
呆然とするおかきの横から現れた面々も合流し、全員が頭上にハテナを浮かべながら首をかしげる。
プラカードやヘルメットで武装し、抗議を叫ぶデモ隊たちの勢いは激しい。
対して工事員やスーツ姿の男たちは老人たちをなだめてはいるが、鬼気迫る迫力に押されてタジタジといった様子だ。
『あーあーテステス、おーいもしもーし? 全員無事かい?』
「はいはいこちら天笠祓よー。 転移装置は無事に起動、全員問題なく現着したわ」
「あれ、そういえば忍愛さんは?」
「先行してあのデモ隊調べさせてる、いちいちケツ蹴り上げねえと動かないのが難点だが斥候としての腕はあるからな」
『んー? 早速トラブルかい、何があった?』
「じつは……」
――――――――…………
――――……
――…
『ダム建設だとぉ……以前はそんな報告なかったはずだぞ』
「ってことは異常現象の一種かァ?」
情報の行き違いに悪花は首をかしげる。
本来ならダム建設に反対する老人たちが住む村は、今回おかきたちが調査する現象とも関わりがある。
監視と報告が密になることはあれ、粗になるとは思えない……というのが悪花の考えだが。
「キューちゃん、その報告ってのはどれぐらい前のことや?」
『うーん、約2年前だね』
「埃被ってんじゃねえか!」
「SICKも人材不足なのね」
「まあ危険度が低いオブジェクトらしいですから仕方ないかもしれませんが……」
『ううんこれについてはこっちの落ち度だな……前回の担当は引き継ぎ業務を怠ったのか?』
それは人が少ない過疎地域でも変化が起きるには十分すぎる時間、ひとまず悪花が自分の取り越し苦労に安堵か疲労かわからないため息を零す。
その間にもどこか呆れた空気を取り直すため、ひとつ咳ばらいを交えた宮古野が通信機にしょぼくれた声を漏らした。
『まあこの問題はあとにしよう、人的ミスを責めるより改善を提案する方が建設的だ。 はいこの話は止め止め!』
「誤魔化しおったな……とりあえずいつまでも林に隠れてないで場所移そか、あのデモ隊はどないする?」
「気にしなくていいだろ、俺たちの仕事とは関係ねえ」
『そうだね、ダム云々は気になるけど調査が先だ。 そこから近い座標に必要な物資とキャンピングカーを用意してある、存分に活用してくれ』
「……?」
「へー、それは楽しみね。 山田がはしゃぎそうな……おかき、どうかした?」
「……いえ、何でもないです。 気にしないでください」
どこか胸に引っかかる違和感を覚えながらも、おかきは物資を目指す友人たちの後を追う。
後ろではまだ老人たちが血気盛んに抗議のデモを続けており、誰一人としておかきたちの存在には気づいていない。
『今回の任務をおさらいしよう、君たちに頼みたいのは“かわばた様”の現状確認だ』
「かわばた様ねぇ……本当なんなのかしらこれ」
「甘音さん、歩きスマホは危ないですよ」
ただでさえ足元が悪い中、甘音が手元のスマホで再生したのはネットに上げられたとある動画。
いまはSICKによってオンライン上から駆逐されたその画面には、川の向こうで手招きする老人の姿が映されていた。
時刻は夕暮れ時、周りはすでに夜の影に飲まれ始めているというのにぼんやりと老人の周りだけ白く浮かび上がって見える。
『これはとあるバックパッカーが自分探しの途中で撮影した映像だ。 当人は撮影後即逃走、さきほどデモ行為を行っていた村民たちに保護されたよ』
「そしてネット上に公開された映像からつけ得られた名前が“川端様”と……」
「それにしたってこんなところ探して見つかるのかしらね、自分」
「地元に落ちてへんもんが知らん土地に落ちとるわけないやろ」
「自分探しはどうでもいいんだよ。 それでその撮影者はどうなった?」
『今日にいたるまで無事そのものだよ、動画がネットに投稿された直度にSICKで確保して記憶処置済みだ』
「逃げた判断が良かったんですかね、見るからに近づいたら危険な雰囲気ですが」
「……なんか思ってたより危険な相手じゃない?」
『なに、近づかなければ問題ないさ。 それに過去12回の調査によって出現条件は判明している、ある程度若い相手じゃないとこの老人は現れない』
「なるほどな、だから俺たちみたいな若い連中が調査に駆り出されたわけか」
「うちはだいぶ年行っとるけどな」
『なぁにウカっちはもしもの時の人材さ。 どうもかわばた様は霊的性質を有している、神様パワー持ちの君は特効だよ』
霊的、という言葉に甘音が小さく悲鳴を漏らす。
この期に及んで覚悟していなかったわけではないが、あらためて苦手分野をつきつけられた彼女は後ろを歩くおかきの袖を握りしめた。
「だ、大丈夫よおかき……たた対処が分かっていれば危険な相手じゃないものね! そうよね!?」
「別に私は平気ですよ甘音さん」
「無駄だおかき、そいつは注射と薬剤が効かねえ相手にゃめっぽう弱ぇからな。 好きにさせとけ」
「おっ、見えた見えた。 キューちゃん、あれか?」
『こちらでも君たちの座標を確認した、間違いなく前方に見える車がSICKの支給車両だ。 好きに使ってくれ』
「おーおー思ったよりデカいじゃ……あぁん? ちょっと待て、なんだあれ?」
茂みを抜けた目と鼻の先、さらさらと流れる川のほとりにポツンと放置されていたのは大型のキャンピングカーだ。
下手なバスを超える車体は圧巻のサイズで、おかきたち全員が乗り込んでもお釣りがくる。
田舎には不釣り合いな存在だが認識阻害の加工が歩施されているのか、迷彩模様の車体は周囲に溶け込んで見える……が、問題はそこではない。
キャンピングカーの鼻先に小さな人影がペタペタとまとわりついている。
遠目から見れば子どもに思える背丈だが、問題はその人物が全身緑色だということ。
腰布のみ帯びた背中はカエルのようなぬらぬらした光沢を放ち、ひときわ目立つ頭部には純白の皿が太陽光を受けて輝いている。 おかきも実物を見たのは初めてだが、その姿はまさしく――――
「…………河童?」
「……カパッ?」
――――日本でも抜群の知名度を誇る妖怪そのものだった。




