ずにのるな ③
「ご主人、これ以上は進まない方がいい。 獣たちの臭いが強い」
「わかりました、ありがとうございますタメィゴゥ」
リュックサックの中から聞こえる声に従い、おかきは森の中ほどで腰を下ろした。
赤室学園を取り囲む森林はどこまで負深い緑が連なり、内外のアクセスを断つ天然の要塞となっている。 奥深くへ立ち入る命知らずは一部の部活動員や職員に限り、許可ない立ち入りはペナルティすら課せられる。
おかきはそのペナルティを受けるか受けないかおおよそグレーのラインを見極め、リュックサックの口を開け、取り出したボトルをおもむろに適当な木の根元へ突き刺した。
「……さて、来てくれますかね」
まるで植物用栄養剤のようにおかきが地面へ突き刺したのは1本ウン十万円の日本酒ボトル、好事家からすれば卒倒しかねない光景だろう。
しかしボトル内の酒は異様な速度で地面に染み込むと、周囲の木々が風もないのにわさわさと蠢いて周囲の空気が変わり、やがて樹上から小枝と青葉で作られた人型がおかきの目の前に降りてきた。
「人の子よ……大儀である……まことに大儀である……だけど足りない」
「ウン十万を秒で飲み干すんじゃねえですよ、飯酒盃先生から譲ってもらうの大変だったんですからね」
おかきの目前に降り立った小枝造りの小人、その正体は赤室学園を取り囲む山に宿る神……の分身だ。
おかきはこの神へ定期的にお神酒を捧げることを条件とし、赤室学園と自分たちの身を護るという契約を結んでいる。
そのため背負っていたリュックサックはタメィゴゥを除けばほとんど酒のボトルしか入っていない。 入手方法は飯酒盃がすべて快く譲ってくれたものだ。
「毎回山に足を運ぶのも手間なんですよね、どこかに神棚を立ててそこに奉納啜るのはダメですか?」
「ダメ、風味が鈍る。 山肌に直刺しが至高」
「急性アル中になっても知りませんからね……それはそれとして、今日はいつもより多めに捧げるので教えてほしいことがあるのですが」
「めんどくさ……」
「タメィゴゥ、残りのお酒は持ち帰って料理酒にでも使いましょうか」
「我は神、何でも聞くが良い人の子よ」
「最初から素直に協力してくださいよまったく……」
呆れたため息を零しながらおかきは次の酒瓶を地面に突き立てる。
依頼を受けた足でわざわざ山に足を運んだのもこのためだ。 探し物の居所は地道に探すより、山の主に聞く方が早い。
「早速ですが万年桜という話は知っていますか?」
「この山々は我が庭も同然、無論知っている。 常に枯れぬ樹、満天の桜、それはたしかにこの山に実在するもの」
「噂は本当でしたか、それで場所は?」
「わかんない」
「はぁ?」
「後生、まずはわけを聞いてほしい。 その大吟醸に罪はない」
「……まあ聞きましょうか」
おかきは天高く振りかぶっていた大吟醸から手を放す。
「あの桜は神出鬼没、現れたり現れなかったりする。 咲く場所も一定ではない」
「桜の樹が移動していると?」
「そこまではわからない、神も万能ではない故。 広大な山に生える木のすべてを把握できない」
「それもそうですか……」
枝毛が1本生えようとすぐに気づく人間はそういない、スケールの大きい話だが神にとって木々一本の変化などその程度に過ぎないということだ。
ただ問題はその枝毛が自分で動き回っていることだが。
「わかりました、ご協力感謝します。 残りのお酒は置いていくのでお好きにどうぞ、空瓶は次回回収するので洗っておいてください」
「人の子……珍しく優しい……明日は槍の雨?」
「人聞きが悪い、神様が協力的なら相応の態度を取ります。 お酒だって次はもっとたくさん持って来るかもしれませんよ」
「何なりと申しつけよ人の子よ」
「はいはい」
軽くなったリュックサックを背負い、神の元を離れるおかき。
やがて小枝の人型が見えなくなるまで歩くと、周囲の空気が変わり、おかきはいつの間にか山の入り口に立っていた。
「……サービスがいいですね、これなら酒量を増やす価値はありそうです」
「またあの教師が泣くことになるぞご主人」
「おっ、いたいた。 おかきー、こんなところで何やってんのよ」
「あれ、甘音さん? そちらこそどうしたんですか」
「どうしたも何もウカを祝賀会に誘ってたところよ、そしたらあんたが山に入っていくところが見えて」
「あーなるほど、そういうことでしたか。 ウカさんたちは一緒ではないんですか?」
山へ入る登山道はいくつか存在するが、その中でおかきが今回選んだルートは農業系の部活などが管理する田園地帯が近い。
ウカを誘いに向かった甘音たちと出くわしても不思議ではないが、そうなると次におかきが気になったのは甘音1人だけで行動していることだ。
「ウカと山田は侵入者に向けて殺意を込めた罠を作成中、危ないから今は畑の方に近づかない方がいいわよ」
「侵入者……まさかまた子子子子子子子のような危険人物が?」
「違う違う、害獣よ害獣。 畑を荒らされたってウカが怒ってるのよ、相当賢い奴で手を焼いてるみたい」
「ウカさんの畑にですか、命知らずですね……」
「それだけ厄介な相手ってことよ。 それでおかき、まさかと思うけど後ろのやつは噂の命知らずじゃないでしょ?」
「へっ?」
「――――ヒヒィン」
甘音に指摘されておかきが山道を振り返ると、その背後には一頭のウマが立っていた。
しっとりと美しい光沢を放つ毛並みはどこまでも白く、引き締まった馬体はおかきの背丈では見上げるほどに雄々しい。
それは、背中に王子を背負うのがふさわしいほどの白馬だった。
「ど、どうも……こんにちは?」
「ブルヒヒィン」
「お、おかき……目をそらさない方がいいわよ、知り合いじゃないならなおさら……」
「ネコ友はいますがウマ友はまだいないですね……」
白馬がその気になれば一蹴される距離、おかきの小さな体など紙のように吹き飛ぶだろう。
なのでおかきはできるだけ白馬を刺激しないようにゆっくりと後ずさろうとするが……それを咎めるように馬はおかきが背負うリュックサックに噛みつく。
「うひっ」
「おかき! 待ってなさい今ウカ呼んで……!」
「ヒヒイイイィイイィン!!」
「わああああぁぁぁぁぁぁぁ……」
「おかきー!?」
そのまま咥えたリュックサックごとおかきを持ち上げると、白馬は何を思ったのかおかきをぶら下げたまま山の奥へと駆け出して行った。




