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藍上 おかきの受難 ~それではSANチェックです~  作者: 赤しゃり


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仏さま ⑤

『……はい、もしもーし……って、雄太?』


「うん、そうだけど。 姉貴、なんか元気ないけど大丈夫?」


『…………うん、雄太だ……よかった、雄太だぁ……』


「本当に大丈夫?」


『うん、大丈夫大丈夫こっちの話だからアハハ……それで何かあったの?』


「実は――――」


――――――――…………

――――……

――…


「場所は!? すぐ行く、なんか手掛かり残ってるでしょたぶん!!」


『うん、俺も姉貴もそうなるだろうからって詳細は教えてもらえなかった』


「くっそーやるじゃんキューちゃん! さすが秘密組織のNo2!」


『姉貴、声抑えて。 一応これ秘密なんだからさ……』


「大丈夫、あたしも今自宅だし。 そっちこそ大丈夫なん?」


 早乙女 陽菜々はアパートの自室で一人、レモンサワーのグラスを傾ける。

 職場から歩いて10分圏内のこのアパートは防音もしっかりしているため、多少騒いだ程度では隣室に音が漏れることはない。


『こっちも今は一人だから問題ないよ、それにSICK製の盗聴防止装置もあるし』


「うへー、こっちもそれほしいわ。 5万までなら出すけど?」


『売らないからな? それで父さんの話だけど……』


「うん、わかってる。 “そっち側”の仕事と関係があるんでしょ」


 アルコールの助けもあるが、陽菜々は自分でも驚くほど冷静だった。

 父親が生きていたと聞いて驚きがなかったわけではない、今にも飛び上がってしまいそうなほど喜びがこみあげてくる。

 だがそれ以上に“そんなわけがない”と囁く理性もあった。 今までなんの音沙汰もなかった人間が、ただで見つかるはずがないと。


『……うん、簡単に言うと父さんはクスリのバイヤーをやってるかもしれないって』


「それ父さんの面被った別人とかじゃない?」


『うん、姉貴もそういうと思った』


 陽菜々は一切の動揺を見せず即答する陽菜々に、おかきが電話口で笑い声を漏らす。

 2人の信頼は固い。 そんな非道な真似をするはずがないと、自分たちの父親を心から信じていた。


「あの元母親ならともかくさ、父さんはずっとあたしら守ってくれてたじゃん。 あの元母親ならともかくさ」


『2回言ったな。 だけど俺も同じ意見だよ、絶対に何かおかしいし裏がある』


「ってことは雄太はこれからその裏について調べるのが仕事ってわけ?」


『かもしれないし、そうならないかもしれない。 もし黒となってもSICKの方針じゃ身内の俺は外されるかも』


「その時はどうする? 裏切っちゃってあたしらで父さん先に見つける?」


『姉貴』


「冗談冗談、半分ぐらい。 ……けどさ、そっちで捕まっちゃったらあたしら父さんと話もできないわけじゃん?」


『その時は俺が何とかするよ、だから姉貴はおちついて待ってて』


「…………あたしずっとなんも出来てないじゃん」


『えっ?』


「や、なんでもない。 明日も授業あるんでしょ、あたしも仕事あるしこのへんでバイバーイ」


 可愛くなった代わりに勘が鋭くなった弟に悟られる前に陽菜々は通話を切る。

 しんと静まり返った部屋の中、スマホをベッドへ投げ込むと、こみ上げてくる感情を冷ますようにレモンサワーのグラスを呷る。

 長年失踪していた父親の情報は間違いなく吉報だった。 だがそれよりも陽菜々が安堵したのは、通話の相手が「おかき」ではなく「雄太」であったことだ。


「……よかった、まだ“雄太”だった」


 グラスを握る手は知らずに震えていた。

 陽菜々の頭には、こびりついて離れないあの日の記憶がフラッシュバックする。

 母親と決別し、自分の弟だった存在が何かに浸食されていく様を見せつけられたあの日の記憶――――


「ねえ、雄太……あたし何もできない……! みんな頑張ってるのに、あたしだけなにも……!」


 嗚咽が零れそうになる喉を酒と酔いで誤魔化し、陽菜々は懸命に口を閉ざす。

 答えを知りながら沈黙を守ること、それが“藍上 おかき”と交わした約束なのだから。

 

 その時が来るまで、早乙女 陽菜々は何もできない傍観者でなければならない。


――――――――…………

――――……

――…


「……どうしたんだろ、姉貴」


 おかきは通話を終えても心に引っかかる違和感を零すが、その疑問を追求することはできない。

 姉を心配する雄太の気持ちに同居するもう一人の存在が、「気にするな」と彼の親切心を押しとどめていた。

 大丈夫、気のせいだ、何の心配もない。 そんなことより自分にはやるべきことがあるだろう、と。


「おーいおかきー、なんやそないなとこでボーとしてたら風邪引くで」


「新人ちゃーん、パイセンがひどいんだよー! 全然AP貸してくれないの、いつか返すという気持ちだけはあるのに!」


「山田、血液2500ml支払ってくれるなら私のAP貸すけど」


「ガハラ様って致死量とか興味ないタイプ?」


 いつまでも寮の出入り口で長電話するおかきを心配してか、SICKの仲間たちが白い息を吐きながら集まって来る。

 いつの間にか街灯に照らされた地表にはちらちらと雪が降り始め、肌を刺す空気がより一層冷え込む。


「……くしゅんっ!」


「ほーら言わんこっちゃない、温かいもん食べて風呂入って今日はもう寝とき」


 制服に軽く上着を羽織っただけではこらえきれない寒さにこらえきれず、くしゃみを零すおかき。 暦はもうじき春、この雪も今冬最後のものになるだろう。

 季節も変わって新たなカフカも迎え、新学期を迎えることになる。

 SICKに所属している今、明日また今日と同じ平穏が訪れるとは限らない……が 


「ええ、明日もまた何か起きるでしょうからね。 みんな揃って超えられるように備えましょう」


 それでも死んだように昨日と変わらぬ今日を生きていた今までよりはずっとマシだと笑いながら、おかきは賑やかな異常の輪(日常)へ戻っていった。


 季節が変わる、暦が変わる、赤室にまた新しい風が吹く。

 そしてまた世界を揺るがす、新しい”なにか”が始まっていくのだ。

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