作戦会議 ①
「う……っ……」
窓を叩く雨音に起こされ、甘音はゆっくりと目を覚ます。
暗い部屋の中、背中に感じるのは硬い椅子の感覚。
それに両手は後ろ手で縛られており、身動きは取れない。
「あら、起きた。 おはよう灰色ちゃん、元気?」
「……ずいぶん安い椅子ね、人を攫うならVIP待遇で迎えなさいよ」
暗い部屋の中、背後から聞こえる犯人と思しき女の声。
頭に鈍い痛みが響く中、甘音は自分が誘拐されたのだと理解した。
「元気で何よりね、なかなか起きないからちょっと加減間違えたのかと思っちゃった」
「なんか後頭部痛いと思ったらそういう事、丁寧に扱いなさいよ丁寧に!」
「うふふ、ごめんなさぁい。 怒る元気があるなら大丈夫大丈夫」
押し殺した笑い声を漏らしながら、声の主が部屋の明かりを灯す。
そこで初めて、甘音は誘拐犯の顔を見ることができた。
「はじめまして、灰色ちゃん。 私のことはアクタって呼んでね」
「はじめまして、アクタ。 私は天笠祓 甘音よ、灰色ちゃんじゃなく名前で呼んでちょうだい」
赤に近い明るい色合いの茶髪、対照的に暗く淀んだ瞳。
何より甘音の目を引いたのは、首から右頬に掛けて広がる痛々しい火傷の跡だった。
「……ああ、これ? 昔ちょっと自爆しちゃって、普段はお化粧で隠しているけど」
「何それ、もしかしてあんたおかきが話してた爆弾魔? ずいぶん間抜けな失敗談ね」
「おかき? ふーん、それって探偵さんの名前? ふふ、可愛い……」
おかき、おかきと口の中で反芻しては小さく笑うアクタの姿は、焦点の合っていない目と合わせてひどく不気味な光景だった。
甘音も思わず後ずさろうとするが、椅子に縛られたままでは思うように体も動かせない。
「ちょっと、これ外してよ。 ずっと座ったままで腰と背中が痛いんだけど!」
「えー、でも逃げちゃわない?」
「どうせ逃げられないようになってんでしょ、私だって命は惜しいから大人しくしてるわよ」
「うーん、ならいいけど……」
少し悩んだ末、アクタは甘音の手足を縛っていた縄を解く。
自由になった手足を使って大きく伸びをすると、長時間縛られていた甘音の体がパキパキと音を立ててほぐれていく。
「ん~~~……! ふぅ、三徹明けぐらいの開放感だわ」
「よかったね、じゃあこれ」
「ん? 何よこれ」
椅子から解放されるや否や、アクタが甘音の首に鉄製のチョーカーを嵌め込む。
甘音の視界からはよく見えないが、冷たい鉄の肌触りの中に微かに震えるモーター音を感じる。
「爆破装置、逃げたら首ごと吹き飛ぶから気をつけてね」
「なんて物騒なものつけてくれてんのよ!?」
「だってせっかく作ったなら試してみたくて」
「嘘でしょ、そんなDIY感覚で命握られてるの私!?」
甘音はあわててチョーカーを外そうとする。
しかし凹凸のない首輪には、継ぎ目や鍵穴らしき箇所もなく、指は滑るばかりだ。
「あまり乱暴に扱うと起爆しちゃうんじゃない?」
「くっ……! ねえこれ耐水性とか大丈夫なの!? 私お風呂入りたいんだけど!」
「お風呂とトイレは部屋に備え付けのものを自己責任でどうぞ。 それと、その爆弾は私にしか外せないからね」
「人質の扱いが無責任すぎるでしょ! もー……!」
甘音はあらためて、自分が監禁されている部屋を見渡す。
ベッド脇の本棚には雑多な雑誌が詰め込まれ、他にもテレビが置いてあるのは暇な人質生活の中ではありがたい。
出入口手前にはトイレと一体型になった風呂場と洗面台。 室内には窓が見当たらないので、おそらく地下なのだろう。
「……あんた、アクタだっけ? 私をさらった目的は何なのよ、身代金ならお爺ちゃんに繋ぐけど?」
「それもいいけどね、私の目的は探偵さんなんだぁ。 うふふ、あなたをさらえば彼女と遊べるでしょう?」
「残念ね、私とおかきはそこまで深い間柄じゃないわよ。 1日2日一緒に過ごしたぐらいで命かけるほどじゃないでしょ」
「でも探偵さんはあなたのために頑張るって言ってくれたよ?」
「あのバカ……」
甘音は小さく舌打ちを鳴らす。
たかが同室の友人が人質になったくらいで、おかきに危険な真似をしてほしくはない。
なにより甘音にとって、自分のせいで目の前にいる女の思い通りに事が運んでいるのが気に食わなかった。
「まあゆっくりしていって、私のホームズが乗り込んでくるまでもう少し掛かると思うから」
「SICKなめんじゃないわよ、アクタ。 おかきはあんたなんかに負けないから」
「……うふふ、あはは! そうね、楽しみだわ。 今からまた探偵さんと遊べるのが楽しみで仕方ない!」
『――――おい、アクタ! SICKの関係者攫ってきたってどういうことだ、勝手な真似しやがって!!』
狂ったように笑うアクタの声を遮り、部屋の扉を叩く音と、男の怒声が響く。
1人だけではない、騒がしい男のほかにも何人か別の足音や話し声も聞こえてくる。
「あら、邪魔者。 それじゃあとでご飯持ってくるから、なにがいい?」
「まずくなければなんでもいいけど、納豆だけはやめて。 私あれ苦手なのよね」
「あらもったいない、美味しいのに」
「そう、反りが合わないわね私たち」
アクタが退室し、扉が閉められる。
同時に部屋の外からは、何人もの男女が言い争う声が聞こえてきた。
「……1人2人じゃないわね、何人いるってのよ全く」
甘音も外の様子が気になるが、今首を突っ込むと火に油を注ぐ恐れがあるので、TVをつけて気を紛らわせる。
特に電波が届かないということもなく、点灯したテレビ画面には夕方のニュース画面が映し出された。
『それでは次のニュースです。 野良猫が赤ちゃんの命を救う漫画のような出来事が……』
「……やってないわね、私が攫われたこと」
チャンネルを適当に回して確認するが、やはりどこのニュースもありふれた内容ばかりだった。
パラソル製薬のご令嬢が誘拐されたなんてマスコミが飛びつくビッグニュースだ、報道0件というのは考えにくい。
これはすでにSICKが動き出している証拠だ。 ことが大きくならないように、裏でひそかに情報流出を防いでいる。
「………………なるほど」
学園寮より硬いベッドに身体を投げ出し、甘音は思案する。
アクタの出自からして、利害が一致する魔女集会と協力関係は組めるだろう。
悪花の能力があればいつか必ずこの隠れ家にたどり着くが、いくらSICKでも人ひとりの存在を隠蔽し続けるのは難しい。
パラソル製薬にもいずれ甘音の不在は露見する。 風邪や怪我など簡単な理由で誤魔化すとして、大まかに見積もって違和感の出ないラインは数日が限界だ。
「……目論見は短期決戦、成功か失敗か関わらず結果はすぐに出る」
外から聞こえるやり取りからして、今回の事件はアクタの独断専行に違いない。
おそらく、すでにこの隠れ家につながるヒントをおかきへ送っているはずだ。
そして情報が集まるほど、悪花の能力は精度が増す。 SICKのサポートもあれば、救助作戦の決行まで時間はかからない。
「よし、そうと決まったら私の出来ることは一つね!」
テレビは点くが、インターネットの類は接続されておらず、当然ながら外と連絡を取る手段はない。
首には爆弾、外にはアクタを含める不特定多数の敵、か弱い少女一人で突破するのは至難の業だ。
「アクター! 夕飯まで寝るわ、ご飯持ってきたら起こして!」
『わあ、ずぶとい。 けどわかったわー』
『おいアクタ、今のが例のご令嬢か? おい、無視すんな! おいコラ!!』
外から聞こえる声を無視し、甘音はテレビを消してベッドにもぐりこむ。
今は余計なストレスで体力を消耗してはいけない、助けは必ずすぐに来る。
いざという時、すぐに動けるだけの余力を残すため、甘音は久方ぶりに惰眠をむさぼることにした。




