古典的 ⑤
「…………新人ちゃん、ボクら生きてる?」
「生きてますよ、なんとかね……」
永久とも思えるような静寂の中、心臓の鼓動だけがおかきたちに生の実感を与えてくれる。
震える指先で降れたデジタル時計の表示は「0:00」。 ほんのコンマ数秒でも判断が遅れていたなら、会場ごとみな木っ端みじんに吹き飛んでいたはずだ。
緊張の糸が途切れたおかきの手からクナイが滑り落ちる。
最後の瞬間、その刃先が切断したのは赤でも青でもなく――――タイマーの裏に隠れていた「茶色」のコードだった。
アクタの直感は何も間違っていない、目に見えていた選択肢はすべて外れだったのだから。
「最後の最後……先輩たちに、助けられましたね……」
スマホの画面に表示されていたのは、現在の状況を心配する十文字からのメッセージ。
”あからさまな2択はどちらも不正解である”、それはあのボドゲ部において嫌というほど教え込まれた鉄則。
タイムリミットを迎える寸前にこのメッセージが届かなければ、おかきも第三の選択肢に気づけなかった。
「自分の道を切り拓いてこそTRPG……でしたよね、先輩。 これも仕込みですか?」
「……まったくの偶然、おかげで助かった」
おかきが頭上を見上げると、天井に張り巡らされた配線に絡まった中世古がぶら下がっていた。
最初の爆発で一番派手に吹っ飛ばされ、そのまま一人で降りることもできずに爆弾が解除されるまで放置されていたのだ。
衝撃で足が折れたのか嫌な方向にねじ曲がっているが、彼らの特性を考えればほぼ無傷と考えていい。
「もう少しそのままで待っててください、医者……は必要ですか?」
「自然治癒はしない、頼めるなら折れた部分の固定と矯正を頼みたい」
「あとで確認してみます、先輩にはまだまだ聞きたいことがあるので逃げないでくださいよ」
「逃げられない……それより“そちら”を気にするべきでは?」
「…………そうですね」
中世古のケガはこの中で2番目にひどい、では一番被害を被ったのは誰か。
それは当然おかきをかばい、爆風を直で浴びた早乙女 四葩だ。
――――――――…………
――――……
――…
「ふぅー……ふぅー……」
四葩はただ、焼けるような背中に痛みにたどたどしい呼吸を繰り返すことしかできない。
否、そういう“振り”をしているだけだ。 今ここに在るのはただの死体であり、痛みも苦しみも感じることはない。
早乙女 四葩がとるような行動を正確にシミュレートしているだけの遺体にすぎない。
「……痛みますか、母さん」
そんなことなど百も承知のうえで、おかきは彼女に声をかけた。
「うるっさいわね……さっさとなんとかしなさいよ……」
炭化を免れた首を動かし、四葩はかつて息子だった少女を見上げる。
今回のショーのために用意した衣装は爆発の余波で煤けてしまい、見るも無残な有様だ。
それでも、まるで初めからそれが正しい状態だったかのように――――藍上 おかきの姿は綺麗だった。
綺麗だったから、壊したくなくて、早乙女 四葩は守るだろうから、彼女だったゾンビはそのように行動した。
「それだけ話せるなら問題はなさそうですね、救援が駆け付けるまでもう少しお待ちください」
「あんたが……連れていきなさいよ……」
「爆弾とラマン氏を置いて離れるわけにはいかないので。 それに外の状況もなんだか不穏です」
「クソ、クソ、クソ……ねえ、私は今からどうなるの……?」
「そうですね、まず先輩と同様にその損傷を直すまでしばらくSICKの管理下に置かれるでしょう。 ……無事に直ったとしても、二度と日の下は歩けないでしょうけど」
グラーキによって変質した動く遺体は、常識では存在していけない存在だ。
これまでは幸運にも社会に溶け込んでいたが、これからも永劫続くとは限らない。 一般社会の平穏を守るSICKとしては看過できない存在だろう。
ゆえに四葩や中世古をはじめ、すべての個体は回収され収容される。 死体に慮る人権などは存在しない。
「はっ、最悪……ねえ、逃がしてくんない?」
「ダメですよ、私にそこまでの力はありません。 それにあなたへ恩を売る義理もありませんから」
「私はあんたを産んだのよ?」
「育ててはくれませんでしたよ」
「……クソガキ」
実の親を見下ろすおかきの視線に迷いはなく、ただ冷たい光だけが宿っていた。
産みの情などとっくの昔に擦り切れて、そこに親への愛などはない。
言葉通りにおかきはSICKへ四葩を引き渡すつもりだ。 だがそんなことは彼女にとってどうでもいい。
「ねえ。 そんなことよりあんた、“それ”はどうやったの?」
「……それ、とは?」
「とぼけんじゃないわよその姿! 綺麗な黒髪で背も顔も小さくて、愛らしくて素敵な姿! どうやったのよ、教えなさいよ! ねえ、それぐらいいでしょう!?」
「…………」
「なりたかったの、私だってずっと憧れてた! だけどなれなかった、私は私のままじゃ可愛くなれないし誰からの愛されない、いつか醜く老いて薄汚く死んでいく!」
「……だから命すら捨てて、永遠に老いない身体を手に入れたと」
「そうよ、何が悪いの? アンタだってそんなに綺麗な顔をしているくせに」
何度も言うが、すでに早乙女 四葩は死んでいる。 今おかきの目の前にいる存在に自我や意識などはない。
ただ生きているように振舞って動く、ただの死体なのだ。
「羨ましい、妬ましい、私だってほしいのに。 不本意みたいな顔しちゃって、本当は嬉しいんでしょう? 可愛かったら誰からだって愛されるもの、私だってあんたがその顔で生まれていたらうんと愛してあげたのに」
「……ええ、あなたならそうしたでしょうね。 アリスさんを愛したように」
おかきはそれ以上何も言わず、踵を返して忍愛たちの元へ戻る。
「クソ、クソ、クソ……本当にムカつく、ムカつくのに……」
動きに合わせてたなびく漆黒のワンピースはまるで喪服のようで、揺れる黒髪に合わせておかきの所作を引き立たせる。
愛無き母子の間に、それ以上交わす言葉はなかった。




