死人に口あり ②
「クソッ! クソクソクソクソクソッ!! どういうことよクソ!! なんで今になってあいつが出てくるの!!?」
おかきが宣戦布告を告げたあとの控室は、凄惨な有様だった。
怒り狂う四葩は化粧台の鏡をすべて叩き割り、テーブル上の小物や椅子をことごとく破壊しつくしてもまだ足りぬ激情を、飾られていたドレスを引き裂くことで晴らす。
今回のイベントに使う服とは関係のない万が一のスペアとはいえ、決して二束三文の品ではない。 そんな妻の暴走を、壁際に避難した夫はアリスを抱きかけながら苦笑いで見守っていた。
「おいおい勘弁してくれよ、君が破壊したものを弁償するのは誰だと思っているんだ?」
「うるっさい役立たず!! なんで黙って逃がした!? さっさと拉致ってどこかの山にでも埋めてくればよかったじゃない!!」
「無理を言わないでくれハニー、私だってなんでももみ消せるわけじゃないんだ。 それに“アレ”はダメだよ、手を出せば火傷じゃすまないと私の勘が言っているんだ」
「だから何!? あいつはもう全部わかってんのよ、逃がしたところで見逃してもらえるの!? そんなわけないだろクソッ!!」
怒りに任せて四葩が蹴り飛ばした椅子は化粧台に直撃し、ただでさえ砕けたガラスが四方へ飛び散る。
藍上おかきは四葩たちがひた隠しにしたい真相に気づいている――――ことを四葩たちもまた気づいている。
いや、おかきはあえて気づくようにわざとらしい宣戦布告を残した。 親をおちょくるようなその態度が四葩にとっては何より気に食わない。
「…………殺してやる」
肩で息をする四葩は腹の底からこみ上げてきた殺意を口にする。
怒り任せの破壊行動から一転、酷く冷たい目をした彼女はそのまま、自分のブランドバッグから鋭く研ぎ澄まされた円錐状の黒い凶器を取り出した。
自分の大切な道具を醜く肥え太らせた害虫へ、取り返しのつかない疵を与えるために。
「お、おいハニー? さすがにこんな人目のある場所で“それ”は……」
「待っててね~アリスちゃん、あなたにひどいことしたクソ女を台無しにしてくるから」
「…………」
怒りを通り越して狂気としか呼べない猫なで声を奏でる母親を、アリスはいつもと変わらない無表情で見つめ返す。
何も思わないわけじゃない、藍上 おかきを傷つけられたくない気持ちはある。 それでもアリスはただ自らの無力を嘆きつつも、事の成り行きを静観する。
なにせここまですべて、あの小さなお友達が予想した通りの流れなのだから。
――――――――…………
――――……
――…
「へくちっ、ひくちっ、ぴっくちっ!」
「雄太……じゃなかった、おかき風邪でも引いたん? 空調上げよっか?」
悪寒に身震いするおかきに対し、フォーマルドレスを着こなした陽菜々がカーディガンを脱いでその肩へかける。
ランウェイへとつながる薄暗い舞台袖では、今か今かと煌びやかなモデルたちが自分の出番を待っていた。
「いや、多分どこかで誰かが噂しまくってるだけだと思う……母さんにもめっちゃくちゃ睨まれたからなぁ」
「無茶しないでよ……つっても聞かないよねあんたは」
「ごめん、姉貴。 これは俺の仕事だから」
おかきがこれから実行しようとしている作戦の概要は陽菜々も聞いているが、その内容は姉として難色を示すものだ。
もちろん姉として反対こそしたが、おかきはこの作戦を決して譲らなかった。 これが最良の方法だと。
「この好機を逃せば同じチャンスは二度とこないかもしれない。 ”藍上 おかき”を釣り餌にして、この事件を取り巻く謎をすべて繋ぐ確実な証拠を引きずり出します」
「……わかった。 だけど絶対怪我しないで帰ってきて、でないと許さないから」
「大丈夫だよ。みんなを信じてるから」
「ならよし、それじゃ行ってらっしゃい!」
「うわったった!」
背中に姉の張り手を受けたおかきはたたらを踏み、その勢いでランウェイへと踊り出す。
間一髪でスポットライトが当てられる寸前に体勢は立て直したが、なかなかに危ういスタートになってしまった。
衣装に動きを作るため四方から当てられる寒々しい空調の風、目も眩むほど眩しいライトの光。 そしてランウェイの左右から見上げる観客たちの熱視線がおかきへと集まる。
「ううぅ……覚悟していたけどもさすがにこれは……ちょっと恥ずかしいですね」
忘れてはならないが、カフカの見た目と中身は全くの別物である。
普段着程度は慣れてきたおかきだが、さすがに女性ものの服を纏った自分に対し、これほどの視線が集まれば話は別だ。
久方ぶりの恥じらいを覚えつつも背中を丸めず、無い胸を張りながらおかきはやけくそ気味に一人ぼっちの花道を歩き出した。
――――――――…………
――――……
――…
「しかしこんなところで油売ってていいのかしらね私たち……あっ、そろそろおかきの出番じゃない?」
「客席の警備も大事な仕事やでお嬢。 ってか危ないから来ない方がええって言うたやろ……」
「友達の晴れ舞台よ、しかとこの目で見ないと損じゃない。 今日のために50万の一眼レフも買ってきたわ」
「ええいこんなところで高そうなもん振り回すな、SICKじゃ弁償できへんからな?」
おかきがランウェイを歩き出そうとするそのころ、壇上に近い位置に立つウカは甘音を警護しながら自分の出番に備えていた。
周囲を警戒する一方で耳の無線機からも意識を外さず、宮古野たちからの連絡を待つ。
しかし時間からしてすでに爆弾犯の制圧は終わっているはずだが、一向に通信が入らない。 なんらかのトラブルが起きたか、あるいは……
「あっ、来たわおかきよおかき! うーわすっごい綺麗……ってか夏服に黒ってかなり攻めてるわよね?」
「お嬢、ちょっと声のトーン落としといてや。 ただでさえ周りもガンガンうるさくて……ってうおぉなんやあれずいぶんヒラヒラしとるな」
「演出で風吹かせてるのね、映えるっちゃ映えるけど服としてはモデルが良すぎて……」
『ウカっち! 聞こえるか、聞こえたら返事をくれ、オーバー!』
「おわっとぉ! キューちゃん、聞こえとるけどえらい遅かったな? トラブルか?」
『ああもう特大のトラブルだよ! 犯人確保は失敗した、プランBに移行してくれ!』
「わかった。 お嬢、聞いての通りや! はよ避難――――」
宮古野の対応は間違っていない。 万一の失敗に備え、次善の策は備えてきた。
だが、一手遅くなった。 モリアーティを名乗る男の介入と通信へのジャミングによって。
盛り上がりがピークに達した会場の歓声をかき消すように、けたたましい非常ベルの音がホールに響き渡った。




