雨音に爆ぜる ①
「すみません、お待たせしました」
「いや、待ってはいないさ。 私も今来たところだからね」
ぱらぱらと雨が降り始めた放課後。 支度を終えたおかきが寮の裏口から出ると、そこにはすでに麻里元が待っていた。
吐いた息が白く染まる秋雨の中だというのに、彼女は寒さなど顔色に出さずにこやかにおかきを迎える。
「局長、足元が濡れてませんよ。 雨が降り出す前から待っていた証拠ですよ」
「好きで待っていたのだから気にするな、しかし観察眼は衰えていないようでなによりだよ」
「まさかその確認のためだけに?」
「どうだろうな? あまり君の時間をとってもお嬢様に悪い、そろそろ行こうか」
「そうですね、後ろからの視線も怖いですし」
振り返った寮の窓には、恨めしそうな視線を麻里元へと送る甘音が張り付いている。
おかきとのショッピングを潰されたのがよほど悔しいのか、その手には化粧品のカタログが握られていた。
「あっはっは! 仲が良くて何よりだ、手を繋いでいるところでも見せつけていこうか?」
「からかわないでください、時間は有限ですよ局長」
「ふふふ、そうだな。 足元が濡れているから気を付けろよ」
「ありがとうございま……あっ」
気遣いの言葉とともに差し出された手を、おかきはつい取ってしまった。
あまりにも華麗なエスコートの所作とは真逆に、麻里元は意地の悪い笑みを浮かべている。
してやられたとおかきが気づいた時にはもう遅く、背後から感じる視線の圧力はより一層強くなった。
「局長ぉ~!」
「君がからかいたくなる顔をしているのが悪いんだ。 時間は有限だからな、急ごうじゃないか」
「この借りは覚えておいてくださいよ……!」
からかいながらもおかきをエスコートする麻里元の足取りは淀みなく、実に手慣れている。
雨の中を二人並んで歩くさまは実に絵になる構図だ。 不本意なエスコートを受けながらも、おかきは悪目立ちしていないか気が気でない。
「こんな目立つマネをして大丈夫なんですか? 仮にも秘密組織の局長でしょうに」
「それなら問題はない、私にはこれがあるからな」
麻里元は、首元に下げたアクセサリーをおかきへ見せる。
それは油膜のようなぬらりとした光沢をもつ不思議な鉱石がはめ込まれたペンダントだ、麻里元の服装に似合っているとはお世辞にも言い難い。
「宮古野の発明でな、小型認識迷彩装置という。 まだ試作品だが効果は見ての通りだよ」
「認識迷彩?」
「簡単に言えば、これを身に着けていると他人の印象に残りにくくなる。 親しい仲でもなければよほど注視しないかぎり誰も私が私だと気が付かないだろう」
「ああ、石〇ろぼうし……」
「宮古野の前でその例えを口にするなよ、へそを曲げるからな」
おかきはあらためて周囲を見渡すが、すれ違う生徒たちは麻里元のことを気にしていない。
傘で視界が遮られているのもあるだろうが、あれほど黄色い声を上げていたというのに気が付かないというのは不自然だ。
「すごいですね、それって私もお借りできますか?」
「残念ながら先ほども言ったとおり試作品でね、予備はない。 それにこれ一つで東京の一等地が買えるぞ」
「…………やっぱりやめておきます」
「ふふ、賢明な判断だ」
喉から手が出るほどに欲しいアイテムだが、純金よりはるかに高価な代物を首にぶら下げる度胸はなかった。
伸ばしかけた手を引っ込めておかきがうなだれ、その頭を麻里元がなでて慰める。
そうこうしている間にも現場は目の前まで迫っていた。 時計塔の周囲には規制線が張られ、レインコートを着た捜査員たちが懸命に動き回っている。
「あれも全員SICKの職員だ、君の同行についても話は通してある。 ところでスプラッタに耐性は?」
「平気です、出来立てほやほやの生現場もこの目で見ていますし」
「そうだったな、頼もしくて何よりだ。 では行こうか」
外で作業する職員に声をかけ、麻里元とおかきは規制線を越えて時計塔の内部へと入る。
中の光景は昨日おかきたちが見たままの状態だ。 死体が回収され、白線が引かれている以外変わりはない。
「ホトケの主だが、身元が分かった。 3か月ほど前に失踪した超能力者の少女だ、テレパシー能力を持っていたことが分かっている」
「それはカフカとは別の“訳あり”ですか?」
「そうだな、超能力者は世の中探せば案外いるものだよ。 人類の半分は無自覚な能力者ともいわれている、その中でも覚醒するのは1割、さらに無事に保護されるものとなると一握りになるがな」
麻里元はその場にしゃがみ、首なしの人型にくりぬかれた白線に手を合わせる。
おかきもそれに習って黙祷を捧げ、現場には数秒の沈黙が流れた。
「……死体の身元が判明した以上、十中八九“名匠”という人物は生きている。 次の犠牲者が出る前に何としてでも取り押さえねばならない、何か気づいたことはないか?」
「すみません、協力したいのは山々なんですが……やはり私ではお力になれないようです」
「過剰な謙遜は美徳ではないぞ、私は君の力を信頼している。 なんでもいいんだ」
「申し訳ないです、なんというかやはり思考にモヤがかかるような……」
「その感覚は“おかき”か? それとも“雄太”のものか?」
「…………“俺”です。 おかきがこの捜査に本調子を出せていない」
今に至るまでずっと感じていた違和感を、“雄太”はようやく言語化することができた。
この身体に相乗りしているもう一人の人格に、一切エンジンがかからないのだ。
「なるほど、やはり君を連れてきて正解だったな」
「局長は何か分かったんですか?」
「おかき、探偵が目の前の謎に対してやる気が出ないのはどんな時だと思う?」
「それは……あまりにくだらないものだった、とか?」
「そうだな、きっと探偵という生き物にとって本能的なものなんだ。 誰が殺ったのか、どう殺ったのか、なせ殺ったのか、この事件にはそういった企みが一切ないんだ」
「企みが……ない……」
「探偵殺しの謎解きだよ、君は無味無臭のガムを嚙ませられていた。 ただただ時間を浪費させるためだけに用意されている、と考えてみたらどうだ?」
その瞬間、おかきの脳裏に電流のようなひらめきが走った。
滞っていた思考はたちまち融解し、色のなかった目の前の謎が急に鮮やかな悪意へと変貌する。
この事件に意味はない、そして意味がないことに意味があったのだ。
「局長……私、寮に戻ります!」
「わかった、そこに敵がいるんだな?」
「おそらくは!!」
おかきは現場を飛び出し、傘もささずに規制線のテープを飛び越えた。
精一杯に走っても一歩一歩が短い体がもどかしい、寮までの距離がひどく遠く見える。
敏捷性が低い体をおかきは恨めしく思いながら、それでも懸命に走り続ける。
「早く……早く……!」
寮にいるはずのウカへ電話を掛けるが、繋がらない。 肌に触れる冷たい雨が鬱陶しい。
時間がない、彼女もまだ気づいていないはずだ。 このあまりにも遠回りな計画を識るには、時間が足りない。
「早く、早くしないと……暁さんが危ない!!」




