トラウマ ③
『事情が変わった、悪いけど君のお姉さんの仕事手伝ってほしい!』
「え、えー……」
十分な睡眠を摂取した翌朝、おかきを起こしたのは宮古野から掛かってきた一本の電話だった。
昨夜とは異なりどうもただならぬ空気、しかし彼女の声色には焦りや過度の疲労は感じ取れない。
つまり「緊急」ではなくあくまで「容疑」の段階、ここまでを1秒にも満たない間に考えまとめたおかきは深く吸った空気を吐き出す。
「……わかりました、まずは詳しい話を聞かせてください。 昨日の今日で何があったんですか?」
『そうだね、1つずつ整理しよう。 すでにウカっちたちにも連絡してある、まずはいつもの秘密基地に集合だ』
「了解しまし……っと」
おかきがベッドから体を起こすと、その後ろ髪が物理的に引かれる。
振り返ってみれば、隣のベッドから伸びた甘音の手がおかきの髪をこっそりとつまんでいるではないか。
「ん……おかきぃ……また仕事ぉ……?」
「そのようです、詳しい話は今からキューさんから聞いてきます。 甘音さんは悪花さんの看病をお願いしますね」
「そぉ……気を付けなさいよぉ、もし親と会う時はグーよグー……」
「うーん、前向きに検討いたします」
髪が痛まないように気を使った甘音の拘束は緩く、軽く力をこめるだけでするりと振りほどける。
そのまま多少の身なりを整えて着替えたおかきは、エレベーターを呼ぶ前に悪花の部屋を小さくノックし、中で看病中のタメィゴゥを呼び出す。
その音に気付いたのか、部屋の中からゴロンゴロンと重たいものが転がる音が聞こえ、ロックが解除された隙間からひょっこりとタメィゴゥが顔を覗かせた。
「ご主人、困りごとか?」
「いえ、少し様子を見に。 悪花さんの容体はどうですか?」
「うむ、熱は下がっているぞ。 この調子なら明日には回復しそうだ」
「そうですか、ではもうすぐ甘音さんがしゃっきりすると思うのであと少しだけお願いします」
「任せよ。 ご主人は今から用事か?」
「ええ、ちょっとした野暮用です。 頼みますよタメィゴゥ、悪花さんの看病も大事な仕事ですので」
「うむうむ、大船に乗ったつもりで構えよご主人」
ずるい言い方だと思いながらも、予想通りの回答におかきはほんの少し困ったような顔でほほ笑む。
タメィゴゥならご主人から重要な使命だと託されたタスクを無下にできない、ゆえについてこないように足枷を掛けたのだ。
しかし悪花の容体を任せる人材が欲しいのも事実、タメィゴゥに看病と護衛を任せたい気持ちに嘘があるわけではない。
ただそれ以上に、“雄太”は自分の母親が関わるかもしれない事件をタメィゴゥには見せたくなかったのだ。
「……では任せますよ、タメィゴゥ」
「うむ、ご主人も気を付けてな」
逃げるように防寒コートを羽織り、やってきたエレベーターの中に乗り込むおかき。
こちらに向けて尻尾を振るタメィゴゥの顔は、最後まで見ることができなかった。
「……そういえばどうやってドア開けたんでしょうか、タメィゴゥ」
――――――――…………
――――……
――…
「うーん、尻尾で……? いや、そもそも背丈的にドアノブまで届かないんじゃ……」
『おーいおかきちゃん? 上の空だけど大丈夫かい?』
「あっ、すみません今朝の難事件が頭から離れず……始めちゃってください」
「おかきを悩ますって何があったん?」
「ボクむしろそっちの方が気になっちゃうんだけど」
旧校舎に隠されたSICK秘密教室にて、ウカたちに顔を覗き込まれたおかきは自らの頬をぺしぺし叩き、脳裏にこびりつく雑念を振り切る。
タメィゴゥの謎は今に始まったことではない、気にするだけ体に毒……とわかっていながらやはり気になってしまうのは何かの特異性なのだろうか。
「ゴホンッ。 私のことはいいんですよ、それよりキューさん」
『OKOK、仕事の話だね。 早速だが本題に入ろうか』
「えー、昨日の今日でまた任務? 仕事納めようよぉボクもう今年はコタツでお餅とミカンとお年玉をしゃぶりながら余生過ごしたいよぉ」
「カスみたいな人生やな」
『まあまあ、さすがにおいらたちもブラック待遇を押し付けたりしないさ。 まずはこれを見てくれよ』
黒板型モニターに表示される宮古野は、画面の外から引っ張り出した資料をおかきたちに見えるように掲示する。
それはなにかのパンフレットだろうか、表紙には煌びやかで前衛的な服……らしき何かを纏った女性がカメラに向けてポージングをとっている姿が映されていた。
「それが姉貴が参加するファッションショーですか?」
『そうだね、今年の夏に向けて新商品を宣伝するためのショープランだ。 大小さまざまなブランドがこぞって参加している』
「夏に向けてって、まだまだ冬真っ盛りやで?」
「なに言ってるのさパイセン、流行の最先端を狙うならむしろ遅すぎるぐらいだよ! 今ごろの時期なら来年用に冬向けの商品を考えていてもおかしくはないよ!」
『一周回っちゃったねえ』
「開催日時は来年……たしかに時間的に猶予はありますね、それでSICKが目を付けた理由は何ですか?」
『うん、それじゃこっちが裏面の特別ゲスト一覧だ。 なにか気づくことはないかな?』
「「「うーん……?」」」
おかきたち3人は仲良く黒板モニターに顔を近づけ、ずらりと並んだ細かい名前のリストを裏から嘗めるように確認する。
一度やテレビや新聞で見たことのある名前もたびたび見受けられるが、特にこれと言って引っかかる名前はない。 この中で一番ファッションに詳しいであろう忍愛がたまに反応を見せるぐらいだ。
しかし最後の列まで進んだおかきは、その中に含まれるあるアルファベットの羅列が目に留まった。
「……ちょっと待ってくださいキューさん、この“Mace”って名前」
『そういうことだおかきちゃん。 Mace氏、もとい中世古 剣太郎――――君の先輩がこのファッションショーのゲストとして参加している』




