それは裏切りの名 ①
「――――さて」
探偵としての決まり文句を口にして、おかきは部屋に転がっていた適当な椅子に腰かける。
身の丈に合っていないながらも深く腰掛け、ギィと軋む音を鳴らす様はさながら安楽椅子だ。
そして薄暗い照明に照らされた瞳はかつての先輩ではなく、このはた迷惑な事件の犯人を静かに見据えていた。
「今回の事件はややこしく糸が絡まっていました、なにせ2人のリンネちゃんが別々の目的で動いていたのですから」
「さ、早乙女ちん? 何言って……」
「はじめに違和感を覚えたのは先輩のその反応です。 やけにあっさりと私=早乙女 雄太という図式を受け入れたように見えたもので」
「いや、それは人それぞれじゃね……? それにあーしもリンネちゃん逃げ出すなんて非常識なこと起きたわけだし、そういうこともあるんだなーって思ったんだけども……」
淀みなく……否、やや困惑した調子を交えて十文字 黒須は弁明を述べる。
それははたから見ればおかきの方が間違った推理を披露しているのでは、と疑ってしまうほど迫真の反応だ。
終始淡々と感情を殺したノイマンとは逆に、人間味に溢れた感情に訴える対応。 これが十文字 黒須の本性を知らぬ人間ならば騙されていたかもしれない。
「自分から言うのもあれですけど、中学時代に失踪した部活の後輩が現れたのにずいぶん反応薄くないですか?」
「………………あーね……」
「最初はまあ昔のことだし印象も薄かったので忘れたかなーって思っていたんですよ。 ですが名前を告げると割とはっきり覚えていたじゃないですか」
「忘れるわけないじゃん、大事な部活の仲間っしょ。 うちらと並んで遊べるやつなんてそうそういないし」
「ムズかゆい誉め言葉どうもです。 ですがそうなると今度は反応が薄くないですかという疑問が出てきます、”今までどこに行っていたんだ”ぐらいは聞かれると思っていたのですが」
「あーそっかそっか。 ごめんちょ、あーしも立て込んでいて余裕がなくってさ」
「なのでこう考えたんですよ、先輩は私たちの訪問を知っていたのではないかと」
「……その根拠は?」
「ノイマンさんの犯行、気づいていましたよね? 私でも察していたことに管理者である先輩が気付かないはずがない」
「それは買いかぶりすぎっしょ、まさかノイマンがシンギュラっちゃうなんてあーしには全然わからなかったわ。 そもそもそんなことしてあーしになんのメリットが?」
「被害者を演じることです。 まさか事件を解決してくれたお礼とばかりに差し出した品物に罠があるとは思いませんから」
椅子に座ったまま、おかきはつま先で床のUSBメモリを指し示す。
プラスチックの外装が砕け、電子部品ごと割れてしまったそれからデータを読み取ることは難しいだろう。
「ライブまでの3日間、キューさんに頼んでこの家のネットワークを調べてもらおうとしました。 しかしずいぶんセキュリティが厳しかったようです、過剰なほどに」
「まあ、ノイマンがいるんだからハッキング対策はパーのペキっしょ?」
「その割にはウイルスの痕跡が発見されましたけどね」
「――――…………いつ?」
「初日です。 アプリのコード解析をキューさんにお願いした際、先輩のスマホから不審な点がないか洗うように頼みました。 SICKも天才と量子AIはいるもので」
「……あーね、もしかしたらあーしがうっかり変なサイト踏んじゃったかも」
「ノイマンさんのセキュリティウォールを掻い潜って感染するようなPCウイルスですか、ずいぶん極悪ですね。 たぶんそこのUSBメモリを修復して調べれば同じものが出てくると思いますよ?」
「えー、そんなん早乙女ちんの憶測ってだけじゃん。 なんであーしが後輩にそんなひどい真似しないといけないんだし、証拠でもある?」
「仕掛けはコンビニの時から始まっていましたよね?」
「………………」
十文字 黒須が見せた二度目の沈黙、おかきはそこから数秒待つが流暢な舌が再び回り出すことはなかった。
探偵にとってその沈黙は千金に値する自白でしかない。 おかきは次にポケットからSICK製のスマホを取り出して見せる。
「先輩が都合よく助けてくれたコンビニ強盗の一件、あなたが通報を頼んだ時にノイマンさんが気になることを言ってました」
「んー、何か言ってたっけ?」
「“すでに同様の通報があった”と。 AIである彼は素直に答えてしまったのでしょう、しかしコンビニ周辺は見晴らしもよく、閑散としていた。 偶然通りかかった人が強盗に気づかれる前にスムーズに通報を済ませ、退避したとは考えにくい」
「でもそうなると誰が通報したんだって話じゃん?」
「なのでSICKに頼み、調べてもらいました。 1件目の通報が誰だったのか」
おかきは十文字へ画面を見せたまま、自らのスマホを操作する。
そのまま慣れた手つきで通話ボタンを押下すると、静まり返った室内に着信音が《《2つ》》鳴り始めた。
「……それでは説明してもらいましょうか、先輩。 なぜここに1件目の通報を行ったスマホが隠されているのかを」
音を頼りにおかきが引っ張り出したのは、部屋に積まれたダンボールの隙間に隠された2台目のスマホ。
保護フィルムが貼り付けられたままである新品の着信画面に表示されているのは、間違いなくおかきの電話番号だった。
「えっとぉ、それはー……」
「あなたの目的はただ一つ、私をおびき出してそのUSBメモリを渡すことだった」
「違くて、えーっとえーっと……」
「推測ですが、ノイマンさんたちが起こした事件はあなたにとって喜ばしい偶然でした。 これ幸いと利用し、違和感なく私……いえ、SICKに罠を仕掛けようとした」
「…………」
「何か弁明や反論があるならどうぞ、ただ――――もう騙されませんよ、十文字先輩」
「いや……本当……マジ、変わったねぇ……早乙女ちん」
苦虫を嚙み潰したような顔で天井を仰ぎ見、十文字は目を瞑る。
口先三寸の言い訳ならいくらでも騙ることはできる、しかしこれは現実でありゲームではない。
GMを言いくるめたところで結果を歪めることはできない、そこにあるのは残酷な真実だけだ。
「――――よく見抜いた、あーしの負けだし! だからちょっとだけ言い訳聞いてくんね!?」
ゆえにこの日、十文字 黒須は初めて後輩に出し抜かれ、自らの敗北を認めるしかなかった。




