リンネちゃんの本音 ②
「ま、まさか頼んだとはいえおよそ100時間のまとめ動画を用意してくるとは……」
「キュー相手に隙を見せたおかきが悪いわ」
「オタク君はさぁ、常に人を沼にブチ落としたいって考えてんだよね」
《倍速再生でも50時間、食事や睡眠時間を差し引くと3日後のタイムリミットまでにすべてに目を通すのは難しいかと》
推しの宣伝を頼んでしまったおかきの手元に届けられたのは、宮古野が自主制作したリンネちゃん布教動画Ver.1.08だった。
膨大なアーカイブから選りすぐってなお再生時間3桁という圧倒的な物量、それでもファンなら「よくここまで圧縮した」と称賛されるほどの逸品だ。
「ですがせっかく送ってくれた動画です、できるだけ目を通してみますよ」
「早乙女ちんって布教したがりオタクホイホイだよね、そういうところ」
「断るときは断っていいのよ、あんたこの前も保険の勧誘にしつこくまとわりつかれてたじゃない」
「そのせいでボドゲ部にも引きずり込まれたわけですからね……って、今はそんな話は関係ないんですよ」
『そうだそうだ、今はおかきちゃんを沼へ沈められるかどうかの瀬戸際なんだぞ!』
「あんたはあんたで仕事しなさいよ」
「先輩、空き部屋があれば借りてもいいですか?」
「ん、このコンテナハウスやけに広いから好きに使っていいよ。 ノイ、案内して」
《かしこまりました。 藍上様、こちらへどうぞ》
「おおう、私のスマホに羊の執事が」
おかきのスマホにノイマンが現れると、画面に矢印を表示して行くべき先を示してくれる。
その案内に従って歩いた先の扉を開くと、大量の段ボールが積まれた殺風景な部屋へと辿りついた。
《ユーザーが物置として使っている部屋ですが、掃除は欠かしておりません。 快適性はほかの部屋と遜色ないかと》
「そのようですね、ありがたく使わせていただきます」
《デスクとゲーミングチェアはいくらでもあるのでご自由にどうぞ、ご用件がある場合はスマホでお呼びください。 それでは》
足元には円盤状の自動掃除機が動き回っており、湿っぽい空気や埃っぽさはまるで感じない。
ホテルマンのような仕事ぶりで画面から立ち去るノイマンを見送ったおかきは、そのまま段ボールから開封されたまま放置されていた椅子を一脚引っ張り、腰かけながら動画の視聴を開始した。
『いやー、しっかしすごいねノイマン。 会話も反応も違和感がまるでない、量子型AIの中でも抜群の出来栄えだ』
「キューさん、聞いていたんですか。 というかやっぱりすごいんですねノイマンさん」
『すごいよ、SICKにも量子AIはあるけどあそこまで有機的な反応が返すのは難しい。 だけど量子コンピュータの研究が進めばあれがスタンダードになる時代がいつか来るさ』
「しかし今では未来の技術と……あれ、もしやSICK案件では?」
『いつだって科学の先端を切り拓くのは個人の頭脳だよ、知恵まではおいらたちも縛れない……おっとそこから先は見逃し注意だぞ、再現率0.3%の珍プレーが飛び出した奇跡の配信回だ』
「さいですか……ところでキューさん、仕事は?」
『これも仕事の一環さ。 例の偽リンネちゃんについてSICKの簡易分析結果が出た、いったん動画止めるかい?』
「いえ、このままでいいので聞かせてください」
おかきは動画に目を向けながらも、スマホから聞こえてくる宮古野の声に耳を傾ける。
画面ではちょうどホラゲーの演出にリンネちゃんが泣き叫びながら操作キャラを壁にこすりつけると、まるでピンボールみたいな挙動でガクガク揺れながらなぜか屋敷を脱出するところだった。
『まず映像からサンプリングした音声、これは98%以上の精度でリンネちゃん本人のものと判定された。 残る2%は誤差だね、どうしてもデータに混ざった細かなノイズもあるし』
「つまりほぼ本人の声で間違いないと。 加工の痕跡は?」
『それもほぼありえない、音声はどこを切り抜いても滑らかな発音だった。 あのゲリラ告知は間違いなく本人の声だよ』
「……では、まさか私たちが今一緒にいる先輩の方が偽物の可能性が?」
『うーん……念のためあとでPSY計測器を送るよ、計測結果をあとで教えてくれ』
「えーっと、たしか超能力者から発生する超能力の痕跡を測定する機械でしたっけ?」
おかきは動画に目を通しながら、記憶の中のSICKマニュアルをめくる。
テレキネシス、テレポート、パイロキネシスなど、超能力者がこの世ならざる能力を使えば、その現場には本来あるべき現実を歪めた痕跡が必ず残る。
それをSICKが最先端の科学技術を用いて計測できるようにしたものがPSY計測器、異常現象か否かを判定する1つの基準となる重要な機械だ。
「正しくは物理法則を無視してゆがめられた現実の亀裂や希釈を感知して……というのは話が長くなるか。 ともかく十文字 黒須氏本人が何らかの能力者ならこれで感知できるはずだよ」
「わかりました、しかしキューさんの言い方だとほかの可能性を考えていませんか?」
『うん、そうだね。 おかきちゃんは画霊って知ってるかい?』
「……たしか、女性が描かれた絵の幽霊でしたか?」
早乙女 雄太に思い当たる節はないが、藍上 おかきのオカルト知識にはヒットする知識があった。
画霊とは随筆「落栗物語」に登場する怪異であり、ボロボロの屏風から抜け出す女の幽霊として描写された付喪神の一種だ。
その屏風の絵は名のある画家が描いたものであり、絵を修復することで女の霊が抜け出すこともなくなったと言われている。
『怪異や妖怪ってのは昔はもっと身近なものだったのさ、ただ神秘と恐怖が科学の光で駆逐されて空想の存在となってしまった』
「昔はゴリラもUMA扱いだったらしいですからね、正体が分かってしまえばUMAもただの動物でしかない」
『そうだ、しかし逆を言えば正体がわからない存在は怪異となる。 例えば中の人が分からないバーチャルライバーとか』
「……リンネちゃんは現代に現れた妖怪ということですか?」
『かもしれない。 そもそも人間は誰でも現実を歪める力があるんだ、アクタたちのような超能力者でもなければほぼ0に近い力だが……塵も積もれば山となる』
昔は誰も彼もが闇の中に妖怪や幽霊という存在を空想したがゆえに、歪んだ現実の中からありえざる怪異が現れた。
つまり多くの人間が「在る」と信じれば、そこに存在しないはずの怪物さえも生まれてしまうのだ。
――――もしそれが何万何億ものファンで、人間離れした技能と実績を持つバーチャルモデルを偶像崇拝していたら?
「……あり得るんですか、そんなことが?」
『以前にある小学校で局地的な都市伝説が流行し、生徒1人が怪異と化した事件があった。 あれは様々な不幸が重なった事件だが、人数が多ければより大規模な現実干渉が起きても不思議じゃない』
「つまりリンネちゃんはファンたちの思いが形となった現代の画霊というところですか……対策はあるんですか?」
『方法は簡単さ、だが実行は難解だぞ。 なんせおいらたちは今から実在する彼女を――――ありもしない偽物だと徹底的に証明しなければならないんだ』




