静かなる船出 ④
「うーん、こっちも怪しいところはなーし。 しいて言えばこのフルーツジュースが異常なほど美味しいってことぐらい」
「産地から直で船に積み込んだ果実の一番搾りだ、そりゃ美味しいだろうね。 けどそろそろまじめにやってくれなきゃおいらも局長にありのまま報告するしかなくなっちゃうぜ」
「うっす! まじめにやります!!」
おかきたちがロスコと邂逅している一方、忍愛と宮古野の2人はおかきたちとは違う階層で調査を進めていた。
彼女たちがジュース片手に散策しているのは第9デッキ、いくつものテナントが並ぶ商業区域だ。
商売のために簡素な倉庫スペースを抱えている店は多い。 忍愛の潜入能力で一点ずつブラックボックスの可能性を潰していた2人だが、成果といえば隠れた名店をいくつか見つけた程度だ。
「さて……あのケバブ屋はリピート確定として、おかきちゃんたちは大丈夫かな」
「パイセンいるなら大丈夫だよ、あの人強いし。 それより今度はあっちのトルコアイス屋が怪しいと思うなボクは」
「わー、懐かしいなトルコアイス。 ……ってまーた脱線してるじゃないか、まじめにやってほしいぜ山田っちー!」
「山田言うな、そりゃ半分の動機は不純だけどもう半分は誠実だよ。 あっちの方だけあからさまに人の声が大きい」
忍愛は真面目に不真面目な仕事をしながらも、この区域に広がる人の声を常に聴き分けていた。
常人なら耐え難い音の洪水を選り分け一つ一つ吟味する、そんな苦行を涼しい顔で行えるのも彼女が忍者たる所以だ。
「ケンカって雰囲気でもない、どよめきや不安の音が結構濃いな。 何かあったのは間違いなさそうだよ、どうする?」
「うーん、基本スペックは本当頼りになるから叱るに叱れないな……よし、ちょっと調べてみようぜぃ。 あっちの方だね?」
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――――……
――…
「久しぶりだね2人とも! ちょっと見ない間に背が伸びたかい?」
「えっ、本当ですか? 何cm伸びましたかね、5cm? 10cm?」
「おかき、世辞や世辞。 それに昨日まで学園で会ってたやろ」
「女子一日会わざれば刮目してみよというだろう? 日々邁進し続ける私たちの輝きからは誰も目が離せないものなのさ!」
「よくわからないですが眩しいほどの自信ですね」
「実際眩しいんやけどな、もうマツ〇ンがサンバ踊るときの服やん」
話すたびに身振り手振りが激しいルスコの衣装は、シャンデリアの灯りを受けてきらきらと輝いている。
その姿はさながら歩くミラーボールだ、ロビーでくつろぐ人々の視線を集め、間近にいるおかきたちの目を眩ませる。
「しかし奇遇だね、私は父の仕事の都合で乗り合わせたんだ。 君たちは……もしや事件かな?」
「まさか、甘音さんに紹介されたので冬休みはこの船で満喫しようかと。 残念ながら本人は部活動が忙しいようで同行できませんでしたけどね」
「ほう、そうだったか。 探偵が豪華客船に乗れば大きな事件が起きたのかと思ったが、現実はそこまで甘くないようだね」
「あはは、あくまで一介の学生ですよ私たちは」
見当違いなようで惜しいところを突いているロスコの推理に、おかきの背中に嫌な汗が流れる。
後ろに控えるウカも気が気ではない、舞台の上ですらよく通るロスコの話し声は人の目を引きつけてしまう。
互いの姿は薄く幻術でカモフラージュしていたがそれが今回は災いした、顔見知りにはこうして見破られるうえ、もしも近くにブラックボックスを狙う敵が潜んでいたら……
「おお愛しい我が娘よ、そのパガニーニよりも麗しい声色で誰と話しているのかね? 彼氏か? 彼氏なら父さん社会的地位を振り回すぞ」
「おお、愛しきわが父よ! 紹介するよ、こちらが学園祭の時に私を助けてくれた藍上おかき君さ!」
「初めまして、その幼き佇まいからすでに秘めたる叡智が窺える麗しき探偵よ。 私は宝華 螺盤、その節は娘がとても世話になったと……」
「一瞬で殺気引っ込めて一瞬でおかきに傅いたでこのおっさん」
「一応先に言っておきますけど高等部です、あと顔を上げてください」
ロスコの背後からぬるりと現れ、流れるような所作で自らの前に土下座する男におかきは焦りを見せる。
身長は2m近く、無精ひげを生やし髪の毛は手入れされていない生垣のような有様の男が外見幼女に対し土下座をする姿は非常に目立つ。
「無礼を……娘の友人に対する無礼を詫びねば……また1ヶ月は口を聞いてもらえなくなる……」
「別に私は気にしてませんしお父さんがその有様ではロスコさんも困りますよ、頭を上げてください」
「おお、優しき君……良ければ私の映画に主演しないかな? 構想は3つほどあるんだが」
「なんかこの親にしてこの子ありって感じの神経してるな」
「ハッハッハ! 褒めてくれるな稲倉君、次回の公演チケットぐらいしか出せないぞ! しかしそれはそれとして……」
「な、なんでしょうかロスコさん……?」
今の今まで快活に笑っていたロスコの顔からふっと笑みが消え、細めた視線をおかきへ向ける。
そして下から上まで余すことなく精査するロスコの目は、ひとしきり何かの確信を得ると強く頷き、高らかなフィンガースナップを鳴らした。
「……もったいない、服に着られている! 君の魅力はそんなものではないはずだ藍上君、父よ!!」
「任せ給え愛しき娘よ、ファッション店は第9デッキにある。 額は気にするな、うちのスタッフからも選りすぐりの美容師を呼ぼう」
ロスコが呼び、それに応えた父が何やら黒いカードを受け渡す。
この時点ですべてを察したおかきは踵を返して逃げ去ろうとするが、時すでに遅し。
ガッチリと掴まれた肩は一指たりとも振りほどけず、おかきの撤退を引き留める。
「値段ばかりが服の価値ではないとも、宝華の名に懸けて君に似合う服を仕立てよう!!」
「ウカさん、ヘルプ」
「堪忍なおかき、うちにはどうにもできん」
「いやああぁぁぁぁぁ……」
神の肩書もカフカの異能もなんと無力なことか、ウカはただ宝華親子に拉致られるおかきを合掌したまま見送ることしかできなかった。
とはいえ現在は大事な任務中、一人行動は危険が伴うためゆっくりその背中を追うが……その瞬間、ウカの懐で携帯が震える。
「ん……ほいほい、こちらウカ。 なんかあったか?」
『何言ってんのさ、世間話のために電話かけたと思う? まったくパイセンったら気が利かないなーそんなんだからあっちょっとやめてゴメンて、ボクが悪かったから電話越しに呪詛掛けるの辞めてゴフゥ』
「うちは現在進行形で機嫌悪くなっとるところや、用件は手短にな」
『うごごご……そ、そっちに新人ちゃんはいるよね……?』
「いるけどちょっと今手が離せん状況や、おかきが必要な状況か?」
『必要必要、めっちゃ必要だよ。 ボクらも聞きたてホヤホヤの情報だけどね、殺人事件が起きたんだよ』




