風邪っぴきとタマゴ ①
「38.2℃……高熱ね、何か欲しいものはある?」
「無性にスポーツドリンクが飲みたいです……あとゼリー……」
「水分足りてないのねー、それと喉の痛みもありか。 コンビニで買ってくるわ、それと薬置いておくからちゃんと水で飲むように」
「ずみばぜん……」
山の神との交渉により学園を救った翌日、おかきは自室のベッドで寝込んでいた。
額に冷却シートを貼ったおかきの顔は熱で赤く、鼻が詰まった声は濁音交じりで今にも消え入りそうだ。
「別に謝ることじゃないでしょ、人間いつ風邪引くかなんてわからないもの。 タマゴ、頼むわよ」
「うむ、ご主人が安らかに眠れるようにあらゆる困難を取り除こう」
「頼もしいわね、そこまでの志はいらないけど。 それじゃ部室から薬取って来るからお大事に」
「市販薬で……市販薬でお願いします……」
「おほほ、気が向いたらね」
不吉な言葉を残した甘音はそそくさと部屋を後にする。
今日は平日、健康な学生は授業がある。 日中はしばらく熱に微睡みながら横たわっているしかない。
「ご主人、平気か? 熱冷ましがぬるくなったらすぐに替える教えてほしい」
「大丈夫ですよ、むしろこの程度で済むとは拍子抜けなぐらいです……」
初めは神の怒りを買った天罰を疑ったが、ふたを開けてみればただの風邪。
実際は山の神がおかきへ向けた負の感情が微細な呪いと化しているのだが、どのみち学園の危機と引き換えならばお釣りがくるほど安い対価だ。
「タメィゴゥ、テレビを点けてくれませんか?」
「うむ、が〇こちゃんを見るのだな。 休みの特権だ」
「ええ、バ〇ルノ小学校も一緒に観ましょうか……えっ、もうやってない?」
軽いカルチャーショックを受けながらもタメィゴゥが備え付けのテレビを点けると、ちょうど画面の中では恐竜やカタツムリのキャラクターが人形劇を繰り広げていた。
幼児向けの番組はむしろタメィゴゥの方が楽しんでいるが、おかきとしてはこの静かな時間の気晴らしになれば番組自体にこだわりはなかった。
『おいっすっすー。 部長、まだ生きてるっすかー?』
「あ、ユーゴざ……ゲホッ、なんとか生きてます……」
『ありゃりゃ、無理に身体起こさなくていいっすよ。 差し入れ持って来たんでどうぞ』
「これまたご丁寧にどうも……」
壁をすり抜けて現れたユーコは念動力で器用に窓を開けると、外からふわふわと入ってきたのはコンビニのビニール袋だ。
中には経口補水液とゼリー飲料が数点、加えて解熱剤などが同封された処方箋も入っていた。
『ガハラのお嬢にパスされたので運んできたっす、ユーコちゃん郵便っす!』
「甘音さん……ありがとうございます」
幽霊が苦手な甘音にとって、ユーコとの直接会話はとても気力を使うはずだ。
それでもなおここまで手を尽くしてくれたことに、おかきの胸がじんわりと熱くなった。
『薬は食後1錠、1日3回飲むようにとお達しっす。 しばらく旧校舎の部室は休部中の札掛けておくんでお大事にするっすよー』
「すみません、新設してからここまで早く休部になるとは……」
『体調第一、死んだら元も子もないっすよ。 自分みたいに!』
「ご主人、幽霊ジョークだぞ」
「笑っていいんですかねこれ」
『おっと、幽霊が病人の周り飛び回ってるのは縁起よくないすね。 それじゃお大事にっすー』
「あっ、ありがとうございましたユーコさん。 体調がよくなったらまた部室で」
用件を終えると、ユーコはふたたび壁をすり抜けて去っていく。
幽霊が滞在したせいか少しひんやりする空気を感じながら、おかきはビニール袋を漁る。
朝食代わりに取り出したゼリー飲料には、甘音の字で「ちゃんとしたご飯も食べるように」と付箋が貼り付けられていた。
「……見破られてましたか」
「ご主人、出前を取るか? うなぎで体力を付けよう」
「風邪を引いている最中にはちょっと重たいですね……あとで考えましょう」
尻尾で掴んだ出前チラシを器用にめくるタメィゴゥに苦笑しつつ、おかきはゼリー飲料の蓋を捻る。
マスカット味のゼリーは食欲がない身体でも飲みやすく、火照った身体を内側から冷やしてくれた。
そして最低限腹を満たしたおかきは薬を飲もうとするが、手元にあるのはゼリーと経口補水液のみ。 甘音には「水で飲め」と再三言われていたが、今から水道水を持ってくるのは億劫だ。
「はい新人ちゃん、お水」
「ああ、これはどうも…………忍愛さん、なぜここに?」
「えっ、だって窓が開いてたから」
そんなタイミングで横からコップを差し出されれば自然と受け取ってしまうが、おかきはすぐにその違和感に気づいた。
いつの間にか音もなく部屋に侵入していた忍愛は、特に悪びれる様子もなく首をかしげる。
「今日は平日ですよね、授業は?」
「大丈夫大丈夫、教室には分身置いてきたからちょっと抜け出すぐらいバレないって。 新人ちゃんも心配だったしさ」
「それはありがたいですが……」
「ご主人、こやつご主人を出汁にしてサボりたいだけだぞ」
「失敬な、そんな気持ちは4割しかないぞ。 新人ちゃんもパイセンにチクろうとしないで兵糧丸あげるから」
「ちゃんと授業は受けた方がいいですよ、あと兵糧丸はいらないです」
「なんだとぉ、1粒で300里走れる代物なんだぞ」
「とても病人が飲む代物ではない」
おかきが差し出された黒い丸薬を丁重に断っている隙に、タメィゴゥが尻尾を使いスマホにSOSのメッセージを打ち込む。 主従のコンビネーションである。
しかし虫の知らせで察したか、忍愛は短く身震いすると素早く窓辺まで退避する。
「新人ちゃん、どうやらボクらは分かり合えないみたいだね……兵糧丸は置いて行くから気が向いたら飲んで、死ぬほど苦いけど」
「風邪が死ぬほど悪化したら考えます。 忍愛さんも移らないように気をつけてくださいね?」
「あはは、ボクは大丈夫だよ。 心配するならこれからお見舞いに来る人たちに言いな」
「お見舞い?」
「パイセンは来るでしょ? あとクラスのみんなも心配してたし、演劇部の人たちも来るかな? あとは下心マシマシの連中に……まあ色々と頑張って」
「ちょっと待ってください忍愛さん、不穏な情報だけ置いていかないで」
「なに、最悪カギかけて居留守使っちゃえよ。 じゃあボクはこのへんでー」
制止を振り切った忍愛はそのまま窓の外に身を乗り出し、消えていく。
その後姿をベッドの上から茫然と眺めるおかきの顔からさっと血の気が引いていく、 背中に感じる怖気は風邪のせいか、虫の知らせか。 十中八九後者だろう。
なぜならここは赤室学園、たかが風邪一つでもただごとでは終わらない場所なのだから。




