山の怪 ④
「……あっ、お疲れー。 話し合いは終わった?」
「はい、特に問題もなく」
ずっと扉の前で待っていたのか、理事長との密談を終えたおかきを忍愛が出迎える。
頑丈な扉1枚隔てているとはいえ、忍愛ならば室内の会話を盗聴していてもおかしくはないが、その真相は定かではない。 おかきも無理に暴く気はなかった。
「で、何話してたの新人ちゃん?」
「まあ、色々と。 ついでに今回は危険な目に合わせられたのでちょっと怒りました」
「それはちょっと見たかったな、幼女に詰められる理事長」
「高等部です」
そして根掘り葉掘り暴く気は忍愛にもなく、2人は人気のない廊下を並んで歩き出す。
眠たげな照明が照らす道はどことなく薄暗く、何かが出そうな雰囲気だが今さらそんなもので驚くような2人でもない。
『……おっ、いたいた。 お疲れ様っす部長、無事で何よりっすー』
「ああ、ユーコさん。 ご心配おかけしましたかね」
現に壁からすり抜けて現れた幽霊に対し、おかきも忍愛もまるで動じず対応している。
それでも薄暗いところから飛び出す半透明のユーコはなかなか迫力あるものだ、この場に甘音がいたら卒倒していたかもしれない。
『なかなか帰ってこないもんで部員一同心配してたっすよー、自分たちもあの山にはちょっと近寄りがたい雰囲気あったっすから』
「愛されてるねえ新人ちゃん」
「……そうですかね」
『ところで部長、なんか顔色悪いっすけど大丈夫っすか?』
「えっ、そうですか?」
浮遊するユーコに顔を覗き込まれ、おかきは窓ガラスに自分の身体を映しこむ。
特にこれと言っておかしな点は見受けられないが、山の神との舌戦で蓄積された疲労はたしかに残っている。 今のおかきがベッドに突っ伏したらそのまま泥のように眠ることだろう。
「新人ちゃん、ちょっと顔こっちに向けて。 ……あー、ユーちゃんちょっとガハラ様に伝言お願い」
『ういっすっすー、内容はなんて?』
「“新人ちゃん風邪引いたっぽいからあとは専門家よろしくー”って、OK?」
「へっ?」
……そもそもの話、窓に映したところで自分の顔色まではわからない。
そんなことにも気づけないほどに、今のおかきは高熱に浮かされていたのだ。
――――――――…………
――――……
――…
「終わりました、私の見立てによると彼女は真っ白ですよンフフフ」
『そうか、ご苦労。 殺す』
「Why?」
一方そのころ、一人部屋に残った理事長は電話越しの死刑宣告を受けていた。
アンティークな黒電話に電源コードは繋がっていない、それでも受話器の先から聞こえてくる声は、不機嫌を隠そうともしない麻里元の声で間違いなかった。
『すでに報告は上がっているぞ、私の部下をずいぶん危険な目に合わせたそうじゃないか』
「おやおや、すべてわかった上で私に頼んだのでは?」
『…………』
「“藍上おかきの魅了は異能の域なのか?” その調査のためには多少無茶が必要でした、ご機嫌が最悪な神の元へ送り込むとか」
『だが、おかきは傷一つなく無事に帰還したわけだ』
「ンフフ、無事にですか。 まあほぼ無事といってもいいでしょうね、あれは」
『おい、まだ何か隠しているのか貴様は?』
「いえ、こちらの話ですのでお気になさらず」
理事長は手元の契約書に目を通しながら、殺しきれない笑みをこぼす。
だが名もなき土地神とはいえ、神的存在の怒りを買い、体調を崩す程度の霊障で済んでいるならそれはほぼ無事と同義。
酒質を取られて書かせられた契約文には一部の隙も無く、せめてもの嫌がらせが限界だったことが手に取ってわかるようだ。
「ンフフ、逸材ですね彼女は……これほど優位に契約を結べるなら私利私欲の一つ仕込みたくなるのが人というものでしょうに」
『何をボソボソ話している、独り言ならあとにしてくれ』
「おっとこれは失礼。 それで、彼女の処遇はどうなりますか?」
『……藍上 おかきは敵対者すべてを魅了するほどの異常性はないと判断する。 カフカとしての警戒度は以前と変わらないが、彼女個人への特別待遇はキャンセルだ』
「そうですかそうですか、それは良かった。 我が学園の生徒がいなくなるのは寂しいですからね」
『心にもないことを言うなよ、そのシルクハットへし折るぞ』
「ンフフ、本心なんですがねぇ……」
理事長は自慢のシルクハットを撫でながら悲しげに笑う。
これは彼が所持する108あるコレクションの中でも上位に位置するほどのお気に入りなのだが、その違いに気づけるものは学園の中でも片手で数えるほどしか存在しない。
「仲良く生きましょう、SICKとしても赤室学園が無くなるのは困るでしょう? 我々の関係はWin-Winのはずです」
『我々はお前という存在を』
「ご安心ください、私は面白いものの味方です。 あなた方がこの楽しい星を存続させる限り、善き隣人であることを約束しましょう」
『…………』
「ンン、通話越しでもわかるドン引き具合。 実のところ言うとあなたには本能的に逆らえないのですよ、燃えるカミの人」
『私の赤髪は地毛なんだが……まあいい、お互い忙しい身だ。 釘は刺したから何か妙な気を起こせばグーで殴りに行く』
「それは怖い、部屋の隅でガタガタ震えて大人しくしましょう。 それでは」
通話を終えた理事長は受話器を下ろし、人をダメにする座り心地のソファに背中を預けた。
窓の外には三日月がのぼり、電灯をつけていない部屋の中を明かりを差し入れている。
「……本当に、彼女が来てから退屈しませんね」
理事長は独り呟く。 その顔は月明かりに照らされているというのに深い影が差し、まるで貌が無いかのようだ。
だが彼は観測者であり、ただの傍観者に過ぎない。 決しておかきたちのドラマへ深くかかわることはないのだ。
たとえ正体が何者だろうと、カフカの真相について何を知っていようと、それはほんの些細な問題だろう。




