藍上おかきの進退 ④
「当時のボクは健全な男子高校生でねー、いじめられて誰も助けてくれなくて何年も引きこもってたんだ」
「登山中に聞くにはあまりにも重い話題ですね……」
休憩を終えて再び山道を進む中、忍愛はいつもと変わらぬ口調で身の上話を語る。
冬の冷気が訪れる森林を汗ばみながら歩くおかきと違い、忍愛はまるで鼻歌交じりの散歩気分だ。
話題の重さと反比例し、片手のクナイで歩きやすい道を切り開きながら進む足取りは実に軽い。
「なんていうかさー、前のボクってちょっと体が太ましかったんだよねー。 それでちょっとマスコット的可愛さがあったって言うか? キュートアグレシッブっていうか? 性格悪い奴らのヘイト買っちゃってさー」
「とても引きこもっていたとは思えないメンタリティ」
「たぶんカフカとして混ざった“山田 忍愛”の精神性がポジティブ思考に引っ張っててるのかなぁ、私もあまり自信はないけど……」
「ほらほらー、何してるのさ2人とも。 急がないと日が暮れちゃうよー?」
「「元気だなぁ……」」
アルコールが無ければ燃費の悪い飯酒盃と、体力は一般人の延長でしかないおかき。 忍愛に比べれば身体能力の差は歴然だ。
何も考えず歩けばどんどんその差は広がっていく、忍愛からすれば亀の歩みに歩幅を合わせているような感覚だろう。
「あーもう、わかったこうしよう。 新人ちゃん、乗って」
「へっ? 乗ってと言われても……」
「いいからはい! 飯酒盃ちゃんもほら!」
「うわっきゃぁ!? そんな、お姫様抱っこは初めて好きになった人にって決めてたのに……!」
「いやー最初からこうすればよかったじゃん。 ボクって天才ー!」
おかきを布で固定しながら背負い、飯酒盃を抱きかかえた忍愛は、足に力をためて大きく跳ぶ。
2人分の重しを背負ったとは思えない跳躍は、鬱蒼とした森の頭まで飛び出し、木々の頂点を足場にしながら見事な八艘飛びで先を進み始めた。
「わー! きゃー!? 怖い……けど局長の運転ほどじゃないなぁ」
「ああ、飯酒盃先生も犠牲者だったんですね……忍愛さん、これも忍法ですか?」
「いいや、ただの馬鹿力と体重移動の技術! 道はこっちで合ってるよねー?」
「だ、大丈夫! 場所は先生がナビゲートするからそのまままっすぐで! あっ、ちょっと右に逸れてるかも!」
「オッケーオッケー、ちゃちゃっと済ませてちゃちゃっと帰ろっかー!」
飯酒盃のナビゲートを受けつつ、あらゆる障害物を避けて進む忍愛の歩みはさきほどまでの行軍とは比べ物にならないほどに速い。
おかきは下山するころには日が暮れることも覚悟していたが、この速さなら杞憂で終わるだろう。
「……それでさっきの話の続きだけどね、昔のボクってば相当いじけてたからさー。 家族にも見捨てられちゃって、閉じ切った子供部屋の中が世界のすべてだったよ」
「それは、なんというか……よくそこまで明るく話せるようになりましたね」
「そりゃまあ今のボクにとっては過去の話だからね! おかげで今はこうして可愛いボクになったわけだし?」
「カフカになったことが転機だったと」
「うん、文字通り生まれ変わった気分だったよ。 詰んでた人生を1からやり直せる権利を貰ったんだから」
背負われたおかきからでは忍愛の表情はうかがえない、それでも十分わかるほどに忍愛が語る言葉の端々からは過去に対するトラウマが滲みだしていた。
同級生から排斥され、家族からも見捨てられ、人と接することもなく何年も孤独な世界で過ごす少年。 もしカフカとならなければ、その先の人生が明るいものだったとはおかきには思えない。
引きこもりの少年にとって「山田 忍愛」という存在は残酷なほどに“救い”だったのだ。
「しかもこんな可愛いボクなのにハイパーすごすごニンジャパワーも宿ってるし! まあ部屋出てすぐ家族に通報されてSICKに捕まったわけだけど」
「優秀ですね、SICK」
「うん、すごいね人類。 だから今はこうしてSICKに協力してるけどボクとしてはカフカは治したくないんだよ、もし治療法が見つかったら死ぬ気で逃げる」
「……それは私に話してもいいんですか? 飯酒盃先生もいるのに」
「えへへ、忍法 符帳。 ボクらの会話は飯酒盃ちゃんに聞こえてないよ、それに新人ちゃんはチクったりしないでしょ?」
飯酒盃を抱いたまま指先で器用に印を結ぶ忍愛は、おかきの方へ振り返り舌を出していたずらっぽく笑って見せた。
飯酒盃はおかきたちの会話に口を挟むこともなく、ハイパーすごすごニンジャパワーによってもたらされる絶叫アトラクションを楽しんでいる。
「……たしかに聞こえていないみたいですね、でもなぜ私にだけそんなリスキーな話を?」
「んー、前に新人ちゃんの身の上話聞いちゃったでしょ? だからボクも腹の内明かさなきゃフェアじゃないかなって」
「別に気にしなくてもよかったのに……」
「ボクが勝手にやったことだからいいんだよ。 まあいじめられて引きこもってましたなんてよくある話だけどねー」
「いいえ、“よくある話”だからって本人が傷つかないわけじゃないんですよ」
「あはは、嬉しいこと言ってくれるね」
「ありふれているなんて傷ついた本人にとってはなんの慰めにもなりません、だから無理して笑わなくていいんですよ」
「……うーん、参ったな。 可愛い部門じゃ負けないけどかっこいい部門じゃ新人ちゃんの方が上かもしれない」
「それはどうも、ところで気づいてますか忍愛さん?」
「うん、大丈夫。 警戒はばっちりしてるから」
忍愛は速度を落とし、適当の木の上に着地する。
周囲の景色は先ほどまでと変わらない森ばかりが広がり、風はぴたりと凪いでいる。
そう、何も変化がない。 なさすぎるのだ。
「うーん……これはあれかな。 神様流の歓迎ってやつ?」
「どちらかというと歓迎されていないですね、どうやら私たち閉じ込められたみたいです」




