おばけレストラン ④
「……なるほど、こう来ましたか」
突然の孤独に対しおかきは冷静だった、この程度の異常事態ではもはや動じない。
周囲はいつの間にか卜垣が話していたように、十字路がいくつも重なったような裏道へと変化している。
そしていくら耳を澄ませても人の気配もなく、ただ静寂だけがこの空間を支配していた。
「携帯は……当たり前のように圏外ですか」
以前砂漠のど真ん中でもつながると宮古野が謳っていたスマホの画面には、アンテナは1本も立っていない。
救援はほぼ望めない、そして前方にあるのは無数に連なった鳥居。
明かりもないのにうっすら明るい鳥居の先には、店の扉と思わしきものがぼんやりと浮かび上がっているのが見える。
「ふむ、たしかにウカさんと相性が良さそうな雰囲気を感じますね」
一人で納得してから、おかきは扉に向かって歩を進めた。
いつの間にか迷い込んだ空間で後ろに逃げてもそれが退路とは限らない、ならば前に進んだ方がまだ進展がある。
何より生還の前例がある以上、命に関わる危険は少ないというのがおかきの判断だった。
鳥居をくぐると、おかきは心なしかほんのりと周りの気温が上がったような気がした。
まるで春の陽気のように心地いいぬくもりに、胸に抱いた警戒心は無意識に緩んでしまう。
鼻をくすぐるどこか懐かしくてかぐわしい匂いは食欲を刺激し、扉の前にたどり着いたころにはお腹がキュルルと音を立てた。
「…………そもそも営業中なんですかね?」
「大丈夫だぞご主人、鍵は開いている」
「おおう、タメィゴゥ。 いつのまに」
「今戻ってきたぞ、急にご主人が消えたから頑張って匂いを追ってきた」
おかきの背後からゴロゴロ転がりながら現れたタメィゴゥの顔には、豚のような鼻がくっついていた。
ダチョウの卵になぜ豚の鼻が生えているのか、おかきは喉からこみ上げる疑問をぐっと飲みこんでタメィゴゥを抱きかかえる。
「ふむ、この可変式の重量感といつの間にか消えてる豚の鼻……この不思議生物感は本物ですね」
「うむ、そういうご主人こそ冷静な判断力だ。 間違いなく本物である」
「どうもです。 ところでタメィゴゥ、他に人は見かけましたか?」
「見かけていないな、おそらくこの空間に我々以外の人間はいないぞ」
「そうですか、貴重な情報ありがとうございます」
離れ離れになった状態で、おかきの居所を探り当てたタメィゴゥの鼻はかなり優秀だ。
この十字路空間にほかの人間がいれば、おかき同様嗅ぎ当てていてもおかしくはない。
だからこそタメィゴゥが「いない」と断言するなら、その確度は高い。
「……ここでまごまごしてても始まりませんね、とりあず店に入りますか」
「うむ、待つより動けというものだな」
意を決しておかきがノブに手をかけると、予想よりも軽い力で扉は開く。
カランカランとドアベルが鳴らされると、ふわりと暖房の利いた部屋の空気が肌を撫でた。
間接照明に照らされた店内にはぽつぽつと客の姿があり、みな厳かにテーブル上の料理を食している。 ただ問題なのが彼らの外見だ。
頭部がもやもやとした黒い煙に覆われている客、目だけが宙に浮かんで口(?)に運ぶ料理がすべて消失して行く客、そもそも人の形を成していないスライムの塊みたいな客。
前衛的なお化け屋敷のような客層に、おかきの正気も思わず削れるところだった。
「えさみあyっさり」
「えっ? あ、こ、こんにちは?」
「“いらっしゃいませ”と言っているぞ、店員のようだな」
「わかるんですかタメィゴゥ」
「うむ、ここは任せよ」
店内の客層に困惑しているおかきに話しかけていたのは、頭の代わりに巨大な電球が生えたウェイターだった。
ウェイターの不思議な発音はおかきには聞き取れなかったが、代わりにタメィゴゥが彼との会話を代行してくれる。
そのまま一言二言とやりとりを交わすと、ウェイターはおかきへ向き直り、恭しく頭を下げる。
「席へ案内してくれるようだ、行こうご主人」
「良いんですかね? 髙そうなお店ですけど……」
いかにも格式高い内装に、テーブルクロスが敷かれた卓上に並べられた食器はすべて銀製だ。
どうみてもドリンクバーが設置されたファミリーレストランという雰囲気ではない、高級フレンチという言葉がぴったりとあてはまる。
「あれくさぢむずかよよg、うせづおっけかひあど」
「ご主人は予約済みだ、お代はいらないと言っている」
「予約……?」
――――――――…………
――――……
――…
「……結局案内されるがまま席についてしまいましたけど、本当に大丈夫ですかね」
おかきの心中にはいまさらになってわずかな不安がこみあげてきた。
卓上には汚れ一つないナイフやフォークが並べられ、おかきでも読める文字で「予約済み」のタグが立てられている。
人違いという可能性は考えなくていいだろう、この席はおかきのために用意されたものだ。
「ご主人が予約したのではないのか?」
「いえ、まったく心当たりがありません。 そもそもこのお店自体が卜垣さんに聞くまで知りませんでしたから」
「それもそうか、不思議だな」
「ええ、不思議ですから悩んでいるんですよね」
この席は入り口から遠く、死角になる位置だ。 万が一の事態が起きれば逃走は難しい。
宮古野の忠告を思い出すなら今が撤退を決める最後のチャンスかもしれない、この機会を逃せば食卓に上がるのはおかき本人かもしれぬのだ。
「…………さて、調査報告はどう書けばいいんでしょうかね」
しかしおかきは席を立たず、ただ運ばれてくる料理を待つことにした。
危険がないという先に推理を根拠として、危機感より勝ったのは依頼人への懸念。
卜垣のケガを治した要因がこの店にあるのなら、はたしてそこになんらかの“代償”があるのか……見定める責任がおかきにはある。




