神のみぞ知る舞台裏 ①
舞台が進む中、天井から役者を見下ろす影が1つ。
“それ”はヒロイン役として壇上に出ずっぱりのおかきを睨みつけていた。
「…………なんでお前が」
舞台の音響にかき消されるほど小さい声には、聞く者の耳にへばりつくほどの憎悪が滲んでいた。
“それ”は奥歯が砕けそうなほどに食いしばりながら、握るナイフに力を籠める。
ナイフの刃が食い込んでいるのは照明を吊るすワイヤー、ギリギリまで刃が食い込んだ金属繊維は今にも音を立てて千切れそうだ。
「木偶、大根、棒、下手くそ、素人、ブス……クソッ、顔は良い……! けど、部長の隣に立つなんて……」
彼女は宝華ロスコが率いる演劇部の部員……ではなく、ただのファンである。
ただし頭に「厄介な」がつく類の人間だ。 常日頃から自分のことを演劇部に突如現れた新進気鋭のエースとしてロスコとの絡みを妄想するほどには拗らせていた。
そしていつしか妄想と現実の区別がつかなくなるほど拗らせ、今回の凶行に走ったのだ。
「許せない、私から役を奪ってぽっと出が……! これは天誅だ、正当な報復だ!」
1人目は上手くいった。 あらかじめ舞台に細工を施し、ヒロイン役の部員を退場させた手口は誰にも気づかれていない。
これで自分がロスコの目に留まり、華々しき役者デビュー……というのが彼女の(無謀な)計画であった。
しかしそこに現れた誤算がおかきだ、理不尽な言いがかりだが彼女からすればおかきは泥棒猫でしかない。
ゆえに彼女はその瞬間を待つ。限界まで張り詰めた照明のワイヤーを切断する瞬間を。
この演劇は何度も(盗み)観てきた、台詞の一片からBGMの変化、各シーンの立ち位置まで事細かに暗記している。
だから知っているのだ、もうすぐこの照明の真下にヒロインが立つことを。
「もうすぐ……もうすぐ……あと3歩……2歩……1――――」
「ほいそこまで、物騒なもん手放してうちとお話しよか?」
「…………へ、ぁ?」
――――――――…………
――――……
――…
『はいこちらみんな大好き忍愛ちゃんの電話番号でーす、御用の方はピーという音の後に忍愛ちゃん可愛いヤッターと50回復唱して』
「殺すぞ」
『はいこちら山田忍愛の端末です、緊急のご入用ですかセンパイ様』
「おう山田、時間がないから手短に聞くわ。 お前が第三体育館の壇上に立つ理事長を暗殺するとしたらどこから狙う?」
『窓の外から狙撃、生徒たちが集まってるならそこに紛れて毒針でも狙ってみるかな。 なんか殺せる気はしないけど』
「もうちょい人間らしい方法取るなら?」
『んー、天井裏一択』
「よっしゃ分かった、ありがとさん。 ほなまたな」
『えっ、ちょっ、結局何……』
「よし、犯人は天井裏にいるっぽいわ。 ちょっとシバいてくる」
「そんなちょっとお茶してくるような気軽さなん?」
山田から必要な情報を聞き出したウカは、すぐに通話を切って席を立つ。
SICK仕込みの即断即決っぷりに、一般人の陽菜々は戸惑うばかりだ。
「ど、どういうこと? おかきが役者交代したのって事故じゃなかったの?」
「私たちもそうかなって思ったんですけど、どうもそうみたいじゃないんですよ」
「その黒猫が鳴いたってことはそう言うことなんよ。 ほな行ってくるでー」
「にょおん」
「あっ、ネコちゃんだ。 可愛い」
――――――――…………
――――……
――…
「……ってなわけで、怪しい奴を捕まえてワイヤーはうちが補強しといたで」
「ああ、やっぱり人為的な事故だったんですね。 ありがとうございますウカさん」
「落ち着いているねおかき君! その強心臓、やはり君は素晴らしい逸材だ!」
「いや仕事終わりに見ると絵面が倍うるっさいなぁ」
大団円で舞台の幕が引かれたのち、ウカは捕らえた犯人をおかきたちへ引き渡した。
簀巻きにされた犯人の少女は床に転がされたまま無言で臍を嚙んでいる。 この期に及んでまだおかきを恨めしい目で睨んでいる当たり、全く反省している様子はない。
「で、どないする? 普通に考えれば殺人未遂やでこんなん」
「私としては照明の揺らぎ方が怪しかったので回避の準備はできていましたけど」
「おかきはおかきで肝座りすぎや、あとわかってたならちゃんとうちに言い!」
「申し訳ない、芝居の方にリソースを割いてました」
「うぐぐぐぐぅ、こんな女に芝居の片手間で顔色一つ崩さず処理された……!!」
「罪深いね彼女は、それはそれとして今回の件は陳謝する」
ロスコは神妙な面持ちでおかきとウカへ向き直ると、役者らしいキレのある動きで深々と頭を下げる。
それはお辞儀の角度ひとつとっても非の打ち所がない、完璧な謝罪であった。
「ろ、ろろろロスコ様!? どどどどうしてその者共に麗しき頭を下げる必要が!?」
「おどれは黙っとき、尊敬する相手が自分のために頭下げてるんやで」
「えっ? それはもう両想いじゃん……」
「無敵かこいつ、一発シバいていいか?」
「本当に申し訳ない、善意で協力を申し出た君の命を危険に晒すなど末代までの恥だ。 舞台への細工を見抜けなかったことといい、全責任はこの宝華 ロスコにある」
「宝華さん、頭を上げてください。 私はあなたの謝罪を求めていません、悪いのはそこで簀巻きにされた彼女です」
「な、なによ! 私はただ愛のままに生きて……」
「他人にこれほどまで迷惑をかけ、あまつさえ尊敬する者にすら頭を下げさせてその言い分は通りませんよ」
「うぐ……」
おかきは氷よりも冷たい視線で少女を見下ろす。
あまりにも横暴な態度にさすがのおかきも我慢の限界が近かった。
自分の命が危険にさらされたことではなく、理不尽な悪意でロスコの演劇が台無しにされかけたことが。
「幸いにも大怪我にはなりませんでしたが、取り返しのつかない事態には十分なりえた事件です。 あなた自身その手を汚さずに済んだこと、まずは感謝と謝罪を述べるのが先では?」
「…………」
「全部あなたのエゴです、それをまずは自覚してください。 ウカさん、警察への連絡は?」
「この学園なら先に風紀委員への連絡が先やな、そこから警察組織へ引き渡すか隔離学棟への転入か判断されるで」
「待ってくれ、それならばボクも彼女と同罪さ!」
「ロスコ様!?」
「ファンの悩み一つ見抜けず何が演劇部長だ、凶行の原因はボクにもある! おかき君、風紀委員に引き渡すならボクもだ!」
「え、えぇ……」
「おかき、どないする? これ言い聞かせるにはちょっと骨折れるで」
「部長ー! ヤバいです、観客席の興奮が収まりません! ちょっと顔出して収めてもらえませんかー!」
楽屋の外からはヘルプを叫ぶ部員の悲鳴が聞こえ、前方のロスコもまた自分の主張を崩す気がない。
つくづく妙なことに首を突っ込んでしまったものだと、頭を抱えたおかきとウカが解放されたのはそれから5時間後のことだった。




