不穏 ⑤
「ま、マーキスさん……?」
「ふむ、子子と受けとネコ。 奇しくも同じ構えだニャ皆の衆」
「マーキスさん!?」
「如何にも、吾輩はマーキスである。 名前はまだニャい」
「しっかりありますわね、名前」
「失敬、ねこの側面が出てしまった」
高級絨毯のような毛艶を自慢するように、しゃなりしゃなりとした歩みで子子子とおかきの間に黒猫が割り込む。
名をマーキス、カフカ症例第5号。 以前ネコカフェでおかきが遭遇したSICKの先達である。
「それで、なぜこの場に猫が? わたくしは犬派なのですが」
「はて、かぐわしき鰹節の匂いに釣られたかな? それともか弱きレディの悲鳴を聞いて馳せ参じたか? ネコとは雲、自由であらねばニャらぬ」
「……苦手ですねえ、あなたのような目論見もわからぬ人外は」
「ゆえにずっと貴女を追っていたのだよ、レディ」
「ああ、おかげで我々も間に合ったよ」
「おかきちゃーん、ちょっと扉から退いてくれるかい?」
「そ、その声はキューさ……うわったった!?」
慌てておかきがその場から転がり離れると、さっきまで扉だったものが木っ端みじんとなってはじけ飛ぶ。
爆発と呼んでも過言ではない衝撃、しかしその一撃をもたらしたのは麻里元が繰り出した立った一発の蹴りだった。
「……まあ、神よ。 今日もまた剛毅であられる」
「子子子。 お前はいつもそう呼ぶが、私はただの人間だといつも言っているだろう」
「おかき、無事やな!? すまん遅れた!!」
パラパラと降り注ぐ木片を払いながら、麻里元たちがおかきをかばうように前へ立つ。
ウカにいたっては狐耳と尻尾を生やして臨戦態勢だ、尻尾に至っては毛という毛が逆立って怒りを表している。
「局長、ウカさん! どうしてここに……」
「吾輩が呼んだのだ、ここに着くまでにニャ。 しかし苦労の道のりだったと見える」
「偶然スマホが故障したり、偶然別の案件が発生したり、偶然おにぎりブレーダーたちの抗争に巻き込まれたりね、いやあ苦労したぜぃ」
「おにぎりブレーダー……?」
「しかしマーキスが暗躍していたのはお前のせいか、子子子子 子子子」
「ああ、フルネームで呼んでいただけるなんて恐悦ですわ!」
「相変わらずのド変態やな。 おかき、うちの後ろから出たらあかんで」
「は、はい……それでウカさん、子子子さんって何者なんですか?」
カフカ罹患者でありながら、SICKと子子子の関係は見るからに良好なものではない。
魔女集会のような停戦協定とも違う、敵対的な雰囲気だ。 だがウカの態度は敵意というよりもドン引きと呼ぶ方が正しい。
「子子子子 子子子、危険団体”名もなき神の教団”のリーダーであり重度の狂信者……いや、神様愛好家と呼べばいいかな? おいらも原作なら知っているよ」
「神様愛好家……?」
「愛好家、とは生ぬるい表現ですわ。 とはいえ弁明の時間は与えてもらえませんか」
「当たり前や! ここであったが100年目、簀巻きにして道頓堀に沈めたるわ!!」
「まあ、それはとても興味深いプレイ……ですがやめておいたほうがよろしいかと、ここは人が多すぎます」
「……たしかにな。 ウカ、交戦は控えろ」
「せやけど局長!」
「学園内での交戦は互いのためにならない、そうだろう子子子?」
「ええ、ですので今日のところは去ろうかと。 藍上様とお近づきに慣れただけで満足でございます」
SICKの面々に囲まれている中、子子子は軽く会釈をしてからゆっくりと歩を進める。
散歩をするかのように気楽な足取りを止めるものは誰もいない、麻里元や宮古野たちは黙って見送るだけだ。
「……局長、良いんですか?」
「ああ、やつの特性は厄介でな。 おかき、あとで君にも説明しよう」
「では、わたくしはこれにて。 皆さまごきげんよう」
そのまま子子子は開放感あふれる出入り口から悠々と去っていく。
おかきたちは手を振る彼女の後ろ姿を、ただただ見送ることしかできなかった。
「…………ップハー!! いやーさすがのおいらも緊張した、お手柄だぜマーキス!」
「ふむ、ねこは褒められた時とコタツの中で良く伸びる。 礼はちゅ~る一袋で受け取ろう」
「ダースで奢ったるわ、マキさんのおかげでおかきの貞操も無事やからな!」
「おかき、怪我はないか? すまないな、私も油断していた」
「大丈夫です……けど、そろそろ説明していただいても?」
「ああ、だがその前に店の片づけだな。 派手に蹴り飛ばしてしまった」
――――――――…………
――――……
――…
「子子子子 子子子、モチーフは“東京ディストピア”というライトノベルのラスボスさ。 王道ジャンルから外れた作風だったけどアニメ化も決まっていた」
人払いを済ませた店内で、ウカ、おかき、麻里元、宮古野4人が丸テーブルを囲む。
風通しが良くなった玄関は段ボールの板で封鎖され、その上からウカが用意した人払いの呪符も張り付けられていた。
「決まって……いた?」
「原作者が殺されたんだよ、他でもない子子子によってね」
「去年ぐらいにちょっとしたニュースになったで、知らん?」
「そういえば聞いたことがあるような……」
「真相は我々《SICK》が揉み消したので不審死という扱いにはなっている、だが十中八九子子子の犯行とみて間違いないだろうな」
「ですが何のために? カフカにとって原作とは命綱のようなものでは」
「だからだよ、原作者が死んだことで東ディスは未完のままエターを迎えた。 ゆえにラスボスである子子子は倒されていない」
「…………なるほど」
ここまでのヒントがあれば、サブカルに疎いおかきでもわかる。
ラスボスとは物語の最終盤に倒される存在だ、しかしその物語がクライマックスへ向かう前に……
「アキレス腱、弁慶の泣き所。 子子子子 子子子はそういった弱点が描写されていない――――あれは無敵の怪物だよ、それをおいらたちは打ち倒さなくちゃいけないんだ」




