【幕裏】 フィン視点 ②
それからセリアさんと昼を、ご一緒させてもらうことになった。
「お仕事は大丈夫ですか?」
セリアさんは僕を気づかってくれたけれど、正直言えば、仕事どころじゃない。
もう少し、彼女のそばに居たい。
「大丈夫です」
「よかったです」
彼女はとろんと蕩けた眼差しになる。その安心しきった顔がまた、特別なものに思えた。
僕の前では、穏やかに笑っていてほしい。
マーサさんとジョージさんは家の仕事を始めてしまって今はふたりだけだ。
陽光が柔らかく降り注ぐ客間で、外の景色を見ながらふたりでまどろむ。
紫色のビオラが雪化粧された庭で咲いていた。
小さくも、鮮やかに咲く花が、セリアさんのイメージとかぶる。
一心に、求めるように眺め、セリアさんに視線を向けると、彼女は目をつぶってソファにもたれかかっていた。
音を立てないように近づくと、規則正しい寝息が聞こえてくる。
無防備な寝顔を見て思わず顔がにやけた。可愛い――。
一緒にいても、こうやって眠ってくれるとは。
僕は彼女の安全地帯になっているのだろうか。
もう少し眺めていたくなるが、このままにしていたら彼女が風邪をひく。
僕はそろりと立ち上がり、キッチンに向かった。
鼻歌を口ずさみながら料理をしているマーサさんに声をかける。
「セリアさん、寝てしまいました」
「ええっ!」
マーサさんは、うさぎが跳ねるように、飛び上がった。
すぐにマーサさんはさっと手を洗い、エプロンで拭くと、僕と一緒にセリアさんの様子を見に来てくれた。
そろりとふたりで息を殺して近づくと、セリアさんはすっかり眠っていた。
マーサさんはすぐに棚の引き出しを開いて、格子柄のブランケットを取り出す。
それをセリアさんの肩にかけた。
セリアさんの前髪を指で優しくはらうと、ふふっと笑う。
「お疲れだったんでしょうね」
「そうですね。ベッドまで運んでもいいですか?」
「あらっ。お願いできますか?」
マーサさんの承諾を得て、僕は起こさないようにそっと後頭部と膝の裏に手を滑り込ませた。
セリアさんを胸に抱くと、控えめな清楚な香りがした。
思わずどきりとする。妙に高まってしまった胸を抑えようと、軽く頭を振る。
彼女をしっかり抱え込んで立ち上がると、マーサさんが手招きをしてくれる。
彼女を横抱きにしたまま、歩き出す。
セリアさん体温が僕にまでしみこんできて、胸の鼓動が落ち着かない。
平静を保てているだろうか。
逡巡しながら、階段を上り、マーサさんが開けてくれたドアを通り過ぎる。
セリアさんの部屋は、セリアさんらしかった。
ベッドは白いレースのカバーがかけられ、猫足の椅子が置いてある。
テーブルにも白いレースのテーブルクロスがかけられ、清らかで女性らしい部屋だ。
天井にはスズランの形をしたランプが、部屋を優しく照らしていた。
それを見てピンときた。
彼女から香るのは、スズランだ。
マーサさんがベッドカバーをとってくれ、僕は彼女をベッドに下ろす。
マーサさんが彼女の靴を脱がせ、彼女にやさしくシーツをかけた。
終わるとふたりで顔を見合わせて、くすりと笑い合う。
そして、音を立てないように部屋を出る。
おやすみなさい。よい夢を。
心の中で呟きながら、マーサさんと一緒に階段を降りていった。
一階に戻ると、マーサさんが「お昼にしませんか?」と声をかけてくれた。
「せっかく用意したので」
僕を気づかって笑う彼女に、僕も遠慮せずに言った。
「お願いします」
マーサさんは嬉しそうに満面の笑みになり、台所へ戻っていく。
それからミントソースのかかったラム肉をごちそうになり、食後のコーヒーを一杯、いただいた。
食事が終わると、ジョージさんが紙の束を持って、神妙な顔で僕にウィリアム氏のことを話した。
「ウィリアム様とクロージット夫人のことを調べていたのですが――」
彼が差し出したのは、私立探偵も顔負けの調査報告書だった。
「よく調べましたね」
ジョージさんに言うと、彼は無言で一礼した。
ヘレンさんが頼りにしているのもよく分かる。
「この調査書、セリアさんにお見せしましたか?」
「まだです」
「賢明な判断です」
とても見せられる内容ではなかった。
ウィリアム氏の堕落は目に余るもので、彼は株で儲けた金を娼館につぎ込み、ヘレンさんが亡くなった日でさえ娼館にいた。
そして株が暴落して、彼の資産はマイナスに転じた。
彼は最初から、不誠実な男だった。
セリアさんがウィリアム氏と別れたのは賢明な判断だった。
彼と結婚していたら、ウィリアム氏の負債をセリアさんが背負うことになる。
それはホテルの評判を落とし、彼女自身の不幸に繋がったことだろう。
水際で防げた。
それに安堵はあるが、どこまでも身勝手なウィリアム氏に憎悪がこみ上げる。
感情をおくびにも出さずに、僕は淡々と紙に目を通し、自分が掴んでいる情報を彼らに共有した。
「ヘレンさんに頼まれて、クロージット夫人のことは知り合いの探偵に調査をしてもらっていました」
ジョージさんとマーサさんが目を見張る。
ヘレンさんは彼らには知らせていなかったようだ。
ヘレンさんはウィリアム氏との付き合いを危惧していた。
私立探偵に素行調査をさせ、ますますその思いが募ったようだ。
結婚させるわけにいかないと息巻いていた。
だけど彼女は、セリアさんが傷つくことも同時に恐れていた。
だからすべてをセリアさんには言わずに進めていた。
あの夏の日、僕に覚悟を突きつけた彼女が脳裏によぎる。
僕はヘレンさんにセリアさんのことを託されていた。
「クロージット夫人は首都にアパルメントを一棟、持っていますが、管理会社からの評判は悪いです。横暴で、修繕費用を踏み倒すとか。オーナーが変わってほしいと思っていたみたいです」
夫人については社交界でも評判が悪い。
自分の話ばかりをするから、誰も邸宅に誘おうとしないみたいだ。
つまり、彼女は頼れる相手はいない。
ウィリアム氏の借金を清算するあてがない。
そういう相手が何をしでかすか。
セリアさんを追い詰める可能性は充分ある。
「セリアさんの説得で折れる人だとは思えません」
彼女の勇気を下に見ているわけではない。
相手の質が悪すぎる。正論は通じない相手だ。
「夫人が訪問されたら、すぐに連絡をください。僕が対処します」
そう言うと、マーサさんが少し不安そうに言う。
「お嬢さまに言わなくてもいいんですか? フィン様ばかりが負担をして」
僕はマーサさんにほほ笑んで言った。
「セリアさんが傷つくところを見たくないんです。この件については内密に。コーヒー、ごちそうさまでした」
僕は中折れ帽子を被って、セリアさんの家を後にした。
二日もしないうちに、クロージット夫人がセリアさん宅に来た。
幸い、セリアさんはホテルに勤務していて不在だった。
僕は再びセリアさんの邸宅に訪れ、目を充血させ、貴婦人とは言えない夫人と対峙した。




