第七章 破局 ①
ウィリアムから連絡が取れず、アパルメントに行ってみたけれど留守だった。
もやもやしながら家に戻ってくると神妙な顔をしたジョージに話しかけられた。
「お嬢さま、ウィリアム様のことですが、身辺調査をなさってはいかがですか?」
「私立探偵を雇うの?」
「私が調べただけでも、ウィリアム様のよくない噂を聞きました。株に失敗しているとか」
その言葉に、ピンとくる。
ウィリアムは株で資産を増やすことを趣味にしていた。
今日は儲けたとかで、友人を大勢呼んでパーティーを開いていた。
失敗したという話は聞いたことがないけれど、彼がしていてもおかしくはない。
「だから……結婚したがったの……?」
不審な行動のすべてが、それで辻褄が合う。
私は脱力して、ソファに深く腰を押した。
「……私、愛されていなかったのね」
彼が好きなのは、私の遺産だった。
「馬鹿みたい……」
思わずつぶやいて、手の甲にひたいをつけた。
涙が目元までこみ上げてきて、それを無理やり飲み干した。
泣きたくない。彼のことで傷つきたくなかった。
「お嬢様……」
マーサの声が聞こえ、震えていた背中に手が添えられた。
頑張れ、頑張れと言っているように撫でられる。
私はぐっと腹に力を入れて顔を上げた。
「私立探偵を雇うわ。彼の身辺調査をして、別れの証拠にする」
目を据わらせて言うと、ジョージが大きくうなずいた。
「お手伝いします」
「ありがとう」
この結果で、彼と決別できたらいい。
そうしたら、私も前よりは強くなれる気がする。
決意を固めて立ち上がったとき、家のチャイムが鳴った。
「あら、どなたでしょう。見てまいりますね」
マーサがぱたぱたと駆けだす。唐突な訪問だろうか。
私がソファに座り直すとマーサの焦った声が聞こえた。
「奥様! お待ちください!」
「メイド如きがだまらっしゃい。セリアさんはどこにいらっしゃるの!」
足音と共にやってきたのは、派手な巻き毛の女性だった。
つばの長い花のついた帽子を被り、ウエストラインがはっきり出る白いデイドレスを着ている。
顔はおしろいを塗りすぎたのか真っ白なのに、唇が異様に紅い。
その女性は私を見て、ぱっと目を輝かせた。
「まあ、セリアさん。お久しぶりね」
私は呆然とその人の名をつぶやいた。
「クロージット夫人……」
「おほほっ。そんな他人行儀で呼ばないで頂戴。もうすぐ、あなたはわたくしの娘になるんだから」
夫人の視線が、私に絡みつく。──訪問者は、ウィリアムの母親だった。
どうして……?
そう思う暇もなく、夫人はソファに腰をかけ、手持ちバックを開いて、中から扇子を取り出す。
扇子を片手で広げると、ツンと顎を上げて扇ぎだした。
私は動揺しながらも、立ったまま手を前にそろえて夫人に尋ねる。
「今日はどういったご用件でしょうか?」
夫人は扇子を片手で閉じた。
「それはもちろん。式のお日取りを決めようと思ったのよ」
誰と、誰が、結婚するの?
「ウィリアムがごめんなさいね。あの子ったら、あなたとの結婚を楽しみにしていたのにそれを言えずに悶々としているの。だから、わたくしが話をつけにきましたわ」
夫人は自信満々の笑みを口元に浮かべていた。
「あなたには後ろ盾がないでしょう? でも、安心して頂戴。わたくしが全部、良き用に整えますんで。まず――」
「待ってください」
私は夫人の言葉を遮り、彼女と対峙するように座った。
厄介なことになったと思ったけれど、ちょうどいい。
夫人に私の気持ちを言って、結婚の話を白紙にしよう。
「ウィリアム様からどうお聞きになったか存じ上げませんが、私はウィリアム様と結婚するつもりはありません」
きっぱり言った。
だけど、夫人は扇子を広げて、仰ぎながら「ほほほっ」と高笑いをする。
「何をおっしゃっていますの。家族を亡くしたあなたが、たったひとりでこれからどうするのです?」
その軽薄な言葉に、イラっとした。
以前、ウィリアムに言われたのと、同じものだ。
あの時はショックを受けるだけだったけど、今は違う。
私はもう、両目を開いて世界が見えている。
「家族はここに。ジョージとマーサがおります」
私は穏やかな笑みを口元に浮かべながら、立ったまま控えているジョージとマーサを見やった。
ふたりは目を見張っている。私は流れるように夫人に視線を戻し、祖母を艶やかな口元を思い出しながら笑う。
「夫人の心配には及びませんわ」
夫人がパンと音を立てて扇子を閉じた。
「その元たちは血縁者ではないでしょう」
「私にとっては家族ですわ。ご理解いただけなくて結構です」
強めに言うと、夫人は両手で扇子を持つ。
折りそうなぐらい扇子を曲げて、かっと目を見開いた。
「息子のどこが気に入りませんのっ。あの子は、あの子なりにあなたを思ってましてよ」
そう言われ、以前なら心の奥にしまいこんでいた言葉が、口から出てこれた。
「すべてで、ございます」
「――は?」
「彼とは歩む道が違うと、分かったのです」
淡々と言うと、夫人が立ち上がり、扇子の先を私に向けた。
「そんな身勝手が許されると思って! あの子の本心も気にかけずに!」
「本心を聞きたくても、ご連絡いただけません」
「――は?」
夫人はポカンと間抜けな顔をして、扇子を下ろした。
「ですから、私から何度も電報を送っておりますが、一向にお返事をいただけないのです」
私はジョージに目を向けた。
「ジョージ、送った日付が分かるものを持ってきてくれる?」
彼は一礼すると素早く歩き出す。夫人は糸が切れた人形のように椅子に座り、啞然としていた。
やがてジョージが電報の控えを持ってきてくれる。私は夫人の前にそれらを広げた。
「五回、送っておりますが、無視されています」
夫人は食い入るように控えを見て、両肩を震わせた。
信じられないのか、白い顔に目が血走っている。
「わたくしが行けば、息子に会えますわ。今から参りましょう!」
立ち上がった夫人を見て、私も立ち上がる。
「では行きましょう。彼とちょうど話したかったので」
売り言葉に買い言葉だ。でも、それでもいい。
この分からず屋の親子をまとめて話を付けたい。
「お嬢様、では私もご一緒いたします」
ジョージが腰を曲げて、私にささやくように言う。ジョージは心配していた。
それが分かったけれど、私はひとりで行きたかった。
「歩いていくわ」
「ですがっ」
ジョージが食い下がる。マーサはジョージに同調しているのか、こくこくうなずいている。
そんなふたりが、私は大好きだ。
でも、いつまでもジョージに甘えていたら、以前の私に戻ってしまう。
それは嫌。
「お願い。ひとりで行かせて」
自分で決着を付けたい。これは私が巻いた種だから。
そう思いを乗せてジョージを見つめると、彼は眉間にしわを刻みながら、一歩、後ろに下がった。
「……仰せのままに」
「許してくれて、ありがとう。マーサ、出かけてくるわ」
軽やかに立ち上がった。
マーサは不安そうに眉を下げながらも、黒いコートを着せてくれる。
こんなときだからこそ、笑おう。
「いってまいります」
マーサに小声で言い、私は夫人に向き直った。
「お待たせいたしました。行きましょう」
外に出ると凍てつくような寒さを感じた。
曇天に覆われ、今にも雪が降りだしそう。
私は白い息を口から吐き出しながら足を動かす。
ひとりで行って帰ってくる。
そのための第一歩を踏み出した。




