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「よくある話」と言われたけれど <連載版>  作者: りすこ


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第六章 クレーマー

 ウィリアムのことで頭がいっぱいになりながらも、私はホテルの控室に立っていた。

 こんな時ほど冷静にならなくては。

 ロッカーを開いて、鏡を取り出し、にこっと笑ってみる。

 持ち上がった口角に暗示をかける。


 お客様が、気持ちよく過ごせますように――。

 そう思って、ロッカーを閉めて私はロビーへと向かう。

 すれ違うお客様がいたら、廊下の端に寄り笑顔を見せて、深々と礼をする。

 そうしてロビーに立つ。誰に対してもできたと思う。

 今日のフロントは私とエレナさんだ。


 流れるように仕事をしていると、チェックアウトされるお客様が受付まで来られた。

 その方は金髪に碧眼。体が大きな方で、少しウィリアムに雰囲気が似ていた。

 お名前はテリー様だ。

 白い歯を見せながら、テリー様は私に話しかけてくる。


「すばらしい一夜だったよ。このホテルをまた利用したいね」


 声の調子まで、ウィリアムに似ているように感じて、私は自分の未熟さを恥じた。

 割り切れない感情が出てきてしまい、笑顔が崩れそう。

 私は唇だけは持ち上げて、涼やかにほほ笑みながら、チェックアウトを済ませる。


「お客様にそう言っていただけて光栄でございます」


 深々と礼をすると、テリー様は笑って入り口の方に向かっていった。


 うまく対処できた。

 ほっとして胸をなでおろして、次のお客様の予定を確認する。

 リストを見ていると、ふいにエレナさんが受付カウンターから出ていった。

 回転扉を潜り抜けていらっしゃったお客様に声をかけている。


「サマンサ様、お久しぶりでございます」

「まあ、エレナさん。こんにちは。また、宜しくお願いします」

「すばらしい一夜になるよう努めます。お荷物、お持ちします」


 エレナさんが常連客のお荷物を持って、受付に戻ってきた。

 お客様は白髪を上品にまとめて、おっとりとした顔のご婦人だった。


 エレナさん自らお客様の荷物を持ち、お部屋に案内していった。

 受付にひとりでいると、回転扉が乱暴に開かれる。

 驚いて入り口を見ると、テリー様が顔を真っ赤にして、近くにいたドアマンに怒鳴った。


「頼んでおいた馬車がいつまで経ってもこないぞ! どうなっているんだ!」


 まくし立てるテリー様の元に、私は素早く駆けつける。


「お客様、大変申し訳ありません」

「謝ればいいってもんじゃないだろう! こっちは急いでいるんだぞ!」


 頭を下げるドアマンの横に立ち、私も頭を下げる。


「御不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありません」


 お客様は私を睨みつけた。


「せっかくの気持ちが台無しだ。最後の最後でこんな思いをするなんてな!」


 怒鳴られて、びくりと震える。

 血走った眼差し、心のない言葉がウィリアムと重なる。彼ではないのに。

 心臓がどくどくと高鳴りだして、喉で言葉が止まってしまった。

 薄く口を開いてしまい、私の顔から笑顔が消える。

 どうしよう……。馬車の手配を――。


 そう思ったとき、颯爽とエレナさんが私の横に立って、お客様に謝罪をした。


「不手際をしてしまい、まことに申し訳ありません。どうか、おゆるしください。すぐに馬車の手配をさせていただきます」


 エレナさんは丁寧に頭を下げ、てきぱきと指示を出していた。

 どうやら馭者が順番を見落としてしまったらしい。

 エレナさんは彼を責めず、お客様の対応を優先していた。

 馬車が用意できると、エレナさんはお客様に優雅にほほ笑んだ。


「こちらの馬車をお客様の足としてお使いください。お越しいただきまして、誠にありがとうございました」


 滑らかに言うと、お客様はもう何もおっしゃらなかった。

 むしろバツが悪そうな顔をされている。


「カッとなってしまった……。また、来る……」


 ぼそぼそとした声で言われて、エレナさんはふわりと笑った。

 お客様が馬車が乗り、見えなくなるまで私はエレナさんと一緒に、頭を下げていた。見えなくなると、緊張が一気にとかれた。私はエレナさんに頭を下げた。


「助けてくださってありがとうございます」

「いいのよ。わたしたちは、みんな、ホテリエなんだから」


 その笑顔がまた頼もしくて、憧れる。

 私も、こうなりたい。



 休憩時間になった。

 私はエレナさんと控室に行き、ショートブレッドを摘まみながら、休憩をしていた。

 さきほどの憧れを、現実にするために、私はエレナさんにクレーム対応について質問した。

 意気込んで聞いてくる私に、エレナさんは快活に笑っていた。


「クレーム対応、大事なことよね」

「……私、さっき。叱られて声が出てこなかったんです」

「あー、さっきのお客様、ハンサムなのに激昂すると怖かったわね」

「ええ……でも、きちんと対応できるようになりたいです」


 そう真摯に言うと、エレナさんは穏やかにほほ笑んだ。


「多くのお客様は、自分の不満を聞いてほしいの。だから、第一に謝罪。それだけでクリアされるわ」

「担当の者に手違いが……と言ってもダメなのですよね」

「そう。苦情を言われたら、ホテルの顔になって対応するの。新人もベテランも、フロントもキッチンスタッフも、掃除係も関係ない。お客様にとってはみんな、ホテリエだからね」

「奥が深いですね」

「深いわよ! 海よりも深いから、楽しいのよね」


 にっこり笑ったエレナさんに、私もほほ笑む。


「ねえ、セリアさん。あなたは今、心が豊か?」

「え……?」

「心が豊かじゃないと、お客様を豊かにできないわよ。何か、困っていることがあるんじゃない?」


 どうやらエレナさんには、見抜かれてしまっていたようだ。

 コツを実践するよりも、まず第一に自分のもやもやを晴らす方がいい。

 そう言ってくれた。


 優しく諭されて、私はついエレナさんに甘えたくなった。

 でもウィリアムのことを一から話したくない。

 けど、聞いてほしい。私はそれとなく伏せて、エレナさんに尋ねた。


「……あの……男性と意見が分かれた場合って……どうしたら分かってもらえるんでしょう?」

「それはお客様の話? それとも友人? 恋人?」


 私が口を引き結ぶと、エレナさんはふふっと笑って尋ねない。


「私なら、相手に分かってほしいという感情を諦めるわ」

「えっ」


 思いもよらない言葉だった。


「男と女でしょ? 運河より広い溝があると思うわよ」

「……そういうものでしょうか」

「相手を変えるのはできないけれど、自分の気持ちなら変えられるって気づいたの。年をとってようやくね」


 エレナさんは三十五歳。それほど年齢を重ねたから、見えた景色が違うと言う。

 二十歳の私には見えない世界なんだろうか。


「昔はカッカきて、恋人を平手打ちとかしていたんだけどね」

「えっ、エレナさんがですか?」

「そう! おてんばだったの。でも、ある時、怒っても怒っても気が晴れないことに気づいてしまってね。そのときに、あ、クレーマーだと思うことにしたの」

「お客様……ですか?」

「そしたら、腹が立つことも減ってきてね。怒っていると、疲れるじゃない?」


 確かにと思う。

 怒るのはぐったりする。

 何もしたくなくなるし、なんでこんなことに巻き込まれたんだと、自分や誰かを恨みたくなる。

 ほほ笑んでいるときは、心は軽やかに舞い上がる。


「むかつくことがあったときは、クレーマーだと思うべし。私の人生の教訓よ」


 エレナさんはきれいに笑った。私もこうなりたいなと憧れる笑みをしていた。



 仕事を終えた晩、引き出しにしまいこんだウィリアムの電報を見た。

 見るのも嫌になって奥に押し込んでしまったけれど、今なら冷静にみられるような気がする。

 もう一度、見ても不快な電報だ。


「クレーマーだと思うか……」


 エレナさんの言葉を思い出し、分かってもらおうというのをやめて事務的に電報を打った。

 苦情対応だと思うと、へんに怒りもわかなかった。


 『会って、話をしたいです。おゆるしください。』


 打った数日後、返事があった。


 『今は、会いたくない。』


 拒絶されてしまった。目は据わったが、諦めずに電報を打つ。


『あなたがいいときに、連絡を、ください。』


 そう打ったものの、それから一か月、ウィリアムからは返事がなかった。


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― 新着の感想 ―
エレナさんもセリアちゃんも大人ですね…… 私ならクレーマーと思おうとしたとしても思えてなくて、逆によりキレそうです…… 「あ!? お主、いつ私のお客様になった!? だったらこれまでお主に費やした時間あ…
投稿感謝です^^ 某w似の似非イケオジを軽々とあしらうエレナさんがステキ(◡‿◡*)♡ 夫婦円満の秘訣が『パートナーをクレーマーだと思うべし』とかだったら…… 親しい中にも日々の積み重ねって大切そ…
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