第三十六話:焚き火の脇で
ぱちぱちと火の粉が飛び散る音が聞こえた。焚き火がそれを囲う四人の顔をオレンジの色調に染めている。逃避行の末、居留区の外には無事に出られたが、現在地が分からないでいた。いつの間にか日も落ちてしまったため、タールが火を起こして今に至る。
手元には数個のベリーがあった。フュジョイルという木の実らしく、焚き火の燃料となる小枝を手分けして集めていたときにリーナが道中でいつの間にか採集していたらしい。当の彼女はこんな状況にも関わらず俺の膝の上で寝ていた。すうすう寝息を立てながら寝ているのは可愛いが、俺自身はまだ心ここにあらずという心境だった。
俺はシアとタールに事の顛末をゆっくりと語っていった。彼らは文句一つ言わずに焚き火に目を向けながら、黙って聞いていた。そうして語り終わるとシアは吐息を漏らした。
「なるほど、そういうことだったんですね」
彼女は目を伏せたまま、告げられた事実に納得していた。
綺麗な黒髪の上で焚き火の橙色の光が踊っている。そんな情景に感動するほどの気力は今は無かった。
タールが大きなあくびをする。
「これからどうするんだよ。まさか居留区にのこのこ戻るわけじゃないだろ?」
「今は無理だな」
「居留区外をさまようのか? 何の手立てもなしに?」
「はあ……」
確かに居留区外に出た以上、何の情報もない。自分たちにとっては未知の領域だ。どのように生き延びればいいのか。指針は全く決まっていなかった。
タールはどんどん落ち込んでいた。声のトーンが次第に下がっていき、いつものような快活さを感じられなくなっていた。
「このまま死ぬまで本国に戻れなかったりするのか?」
「少なくとも、戻るには真犯人を突き止める必要がある」
明確な事実だった。俺達が例の連続強盗殺人事件の犯人乃至は協力者でないことを証明できれば、それは帰還の大きな手助けになる。
そんな希望的な話にも関わらず、シアの表情は曇っていた。彼女は幾らか小枝を折って焚き火に投げ込む。それでレーシュネの前で鉛筆を折ったときのことを思い出した。
「しかし、当局も血眼でこちらを探してるでしょうし、真犯人を突き止めるにしても無理がありますよ」
「俺たちゃ探偵じゃないんだぜ。居留区に戻って犯人探しをしてるうちに捕まる」
「その必要は無いかもしれない」
「え?」
シアは素っ頓狂な声で俺の呟きに反応した。タールの黒い瞳がこちらを興味深そうに見つめていた。
「連邦人の協力者が居留区外のラッビヤ人と関係があったなら、外でも情報収集が出来るはずだ。ある程度まで目星を付けられる」
「こじつけっぽく聞こえるがな。強盗殺人事件はキャンプから逃走したラッビヤ人が起こしたはずだ。必ずしも居留区外と関係があるとは言えないだろ?」
「行政長官に上がってくる情報が総務相に恣意的に操作されていた可能性は否定できない。そうなってくると、“犯人はキャンプから逃走したラッビヤ人だ”という情報自体真偽が怪しいんだ」
「う、うーん……?」
「それに殺された前任が一体何処を目指していたのかも気になる。一連の事情と無関係だとは思えないんだ」
割と希望的観測に則った考えだったが、現状これ以外に本国に戻れるようにする方法はない。あるとすれば、降伏旗を上げておとなしくお縄に付くことくらいだろう。
だが、依然シアの表情は晴れなかった。
「そもそもデュインに居留区が設置されているのは、抵抗する先住民の支配地域と安全地帯を分けるためです。情報を集める以上、私達がラッビヤ人の村落を点々とするのは確実ですが、そう簡単に歓迎してもらえるでしょうか」
「連邦軍が手間取っているとするなら、現代兵器がリークしてるか異能持ちが居るんじゃねえか? そうなると流石に危険すぎるな」
「逆に考えてみてくれ、兵器のリークもケートニアーの存在も内通者が居ないと無理だろ」
レシェールはただ単に大げさにことを捉えていたわけではない。強盗殺人に関わる連邦人の協力者が単に居たとして、彼女は大して気にしなかっただろう。それすらも糸口にしたいくらいの重大な国家の危機が背後にあると想定せざるを得ない。
シアは瘧に罹ったかのように震えた。ただでさえ白い肌の顔面が青ざめていく。
「そんな話……今まで聞いてきませんでしたよ」
「確かにただの憶測に過ぎない。でも、話を繋ぎ合わせればそういうことになる」
「絶対にラッビヤ人が俺達を攻撃してこないと言えるのか?」
「それ、心配ない。大丈夫を思う」
タールの疑問に答えようとしたところで膝の上から声がした。リーナの声だった。いつの間にか起きていたようだ。彼女は横になったまま言葉を続ける。
「ラッビヤ、追われてるの人は叩かない。ジャルト・ロホティルを護る」
「なんだ? そのジャルなんとかってのは?」
「イーストラルトの教え、追われているの人を叩かないがひとつ。悪いことをしたら悪いことで叩くがふたつ。恥ずかしいのことをさせないがみっつ」
「なるほど、氏族の掟のようなものかもしれませんね」
シアは冷静に分析してそういった。タールはそれを聞いて大きなため息をついた。そして、自ら頬を2回叩く。
「……ま、それくらいしか策がないならやってみるしかないだろ。俺はもう寝る!」
そういって彼は後ろに倒れてしまった。シアは覗き込むように彼の方に首を伸ばした。
「ね、寝てる……」
ものの数秒で人は寝れるものなのだろうか? 頭を打って気絶しているだけではないかとも思ったが、気持ちよさそうに眠っているように見える。そういえば、タールは行政庁の前で寝てたりもしていた。どこででも寝られる特技の持ち主なのかもしれない。
そんな彼をシアは奇妙なものを見たといった顔で見ていた。
「俺達も明日に備えて寝るぞ」
「……はい」
硬い地面に寝込む。目の前には満天の星空が広がっていた。明日からどうなるのか不安しかないが、睡魔に抗うことも出来なさそうだった。




