第十六話:言語保障監理官
気づけば俺はベッドの上で白いシーツを被せられていた。見たことのない青い天井、それは病院のようだったが医師や看護師は視界には居ない。起き上がろうとしようとするも、体全体に痛みが走った。
「無理は禁物ですよ」
声の方向に顔だけを向けるとそこには先程俺たちを守ってくれた少女が居た。灰色の瞳がこちらを真っ直ぐに見つめていた。
「手当してくれたのか?」
「いえ、それはお医者様が。質問にはっきりと答えられていたので大丈夫かと安心しましたが、その直後に倒れられたのでここまで送らせて頂きました」
「君は一体何者なんだ?」
異能保持者である上、軍人にも滅多に居ない多能力者。訓練された兵士連中を前にして物怖じしないだけの自信は一体どこから来たのか。きっと来歴は尋常なものではないだろうと思っていた。
少女は質問を聞くと悩ましげな顔をしながら、服の袖から何か四角いものを取り出す。彼女はそれを開き、こちらに見せてきた。
「名前はシア・ダルフィーエ・シアラと申します。ここには言語保障監理官として派遣されています」
「ヴェフィス人、か」
名前の形式に“フォン”が挟まれていないあたり、それがヴェフィス人の名前だというのは察していた。ヴェフィス人はリパラオネ系の一民族だ。リパライン語を話すユナ・リパラオネ人とは別で独自の言語であるヴェフィス語を話し、古代ラネーメ人王朝では武人として王侯貴族との間に封建的な関係があった。このため目上には従順で忠誠心が強いと言われるが、プライドが高く自分の主人に値しないと感じればそれ相応の扱いをすると言われている。
シアは静かに頷いた。
「ええ、叙事詩時代の武士の家系ではありませんが一応はそうです」
「もしかして、護憲及び法執行部に所属していたりしないか?」
「あら、よく知っておられるのですね?」
シアは興味深い人間を見つけたとばかりに顔色を明るくしていた。
言語保障監理官事務所というのは連邦国内の人々が言葉を話すに当たって不自由や不公平のないよう調整することを職務とする。言語特務局とは言語翻訳庁の隷下に位置するところでは兄弟のような関係にある。
その中でも護憲及び法執行部は武装を許可された部署で、武力的な抵抗があると考えられる事態に独自に介入することが出来る。という、まるでフィクションに出てきそうな部署なのである。
「何で、監理官がここに居るんだ」
「先に到着している言語特務局職員と協力して先住民の言語保障を行うよう言語翻訳庁が指示したからですね」
「多分、その職員ってのは俺だ」
体が動かないために瞑目することしか出来なかったが、心持ちでは頭を抱えていた。また、イロモノの知り合いができたと思うと複雑な感情しか覚えない。
シアはふりふりのメイド服の袖を揺らしながら、手でこちらを指してきた。
「それでは……貴方はヴィライヤ先生なんですか? あのレーシュネ長官が仰っていた?」
「ああ、アレン・ヴィライヤだ」
どうやら、レーシュネはやっと俺の名前を覚えてくれたらしい。喜ばしいことだ。
しかし、シアはそれを聞いて落胆したような表情になった。それまで優しく見守るような雰囲気だったのに、一変して軽蔑するような眼差しがこちらに向けられる。
「その程度で言葉を護ろうとしたんですか」
「……何?」
「護ろうとする意志は強く感じました。でも、今の貴方では無理でしょう」
シアは真っ直ぐこっちを見つめながら、言い放った。
「今の貴方では他人を護るには弱すぎる」
彼女の言葉には冗談であるという雰囲気が全く含まれていなかった。だからこそ、その言葉は癇に障った。
「能力者の監理官と無能力者の調査官を同じ尺度で扱って欲しくはないな。その言葉が言えるのは腕っぷしが強い君だから言えることじゃないか」
「……分かってませんね」
「何を」
「護るのに必要なのは物理的な力だけではない、そういうことですよ」
フリルだらけの袖で包まれた腕をくるくると回しながら、シアはそういった。その瞬間、がちゃがちゃと乱暴にドアノブをひねる音が聞こえた。シアは背後に振り返ってそのドアを開ける。そこにはリーナが居た。彼女は無傷だったから、また別の場所で待機していたのだろう。
彼女は不満げな様子でシアに迫った。
「アレンを困らせるのことをしないで」
「別に困らせていたわけではありませんが」
「アレンは帰るところをくれた。私が護られた。悪い人じゃない」
「はあ、分かりました。ではこうしましょう」
シアは指を立ててこちらに振り返った。清楚な笑みを浮かべていた。
「私がヴィライヤ先生の家に同居するということで」
「いや、いやいや。待て、どうしてそうなる。頭大丈夫か?」
「リーナさんに変なことをしていないかも分かりますし」
「してない! 何もしてないから!! するわけないでしょうが!!!!」
レーシュネといい、どうして政府の職員はそういうことばかり考えるのだろうか。頭がピンクになる再教育でも受けてきたのだろうか?
必死の様相で反論していると、シアはどんどん嬉しそうになっていった。どうやら彼女は人をからかうのが好きらしい。
「真面目に言いますと、言語翻訳庁の指示の件もありますし、一緒に居たほうが得策かと」
「なんでこうなった……」
天井を仰いだ。アレン・ヴィライヤの受難は続いているらしい。




